8-1 渚
そして現在…舞も傷ついていたがそれ以上に傷ついている者がいた。
「お…俺のファーストキッスが…」
遥真は静かにうずくまり涙を流す。あまりにも純粋で悪意なんて知らなそうな涙。
そんな綺麗な涙に誰も見向きもしない。
これが格差というやつなのだろうか…。
悲しくも誰からも価値の無い涙は静かに落ちるだけで、誰も掬ってはくれない。クスクス笑う者まだ現れてしまった。
ただ1人風華だけが背中をさすってくれる。
「別に人工呼吸したわけでもなさそうだったし…」
「多分あの人は本当にただ遥真にチューしたかっただけなんだよ」
「おッ!お前言うなッ!」
「今舞のパイの柔らかさで上書きしようとしてるんだから…ッ!」
「あぁっ!遥真くん辞めてよ…!」
「せっかくもう少しで忘れそうだったのに…!あぁ私も上書きしたい…!」
「…」
杏は何故か風華の目をじっと見る。
…風華は"待て"をされた子犬の様に涎を垂らしている…。やっぱりこの子は優しいがど変態だ。
「…ダメっ!」
「わ!分かってるよ!」
「仕方ない…人肌脱いじゃるか…」
「えっ!?どうしたの!?」
スタスタと舞の背後に回り込んだ杏。
多分前世は忍者なのだろう…あまりにも早すぎる動きだ。監視カメラですらその動きを捉えられない。
「ウチが忘れさせてやるぜ…舞ちゃむ…!」
イケボを出しながら手を胸の下に近づける。
一瞬蕩けた顔をして舞は心を許しそうになってしまう…だが流石にガードが固い女の子…すぐにその場から逃げていく。
「玲那ちゃん…!杏ちゃんが変だよ!」
「え?」
プニプニ…
玲那は舞の横腹を触っていた。あまりの俊敏さに舞は反応しきれていない。死んだ事に気づかない動物の様だ。
「いやっ!誰か助けてっ!」
「…」
「と…止まる気になれない…!」
「うん…」
「俺も思った…」
「ひやぁっん!やだぁっ!」
R18認定されそうな声が出ちゃう舞。
そこに良い匂いを撒き散らすイケメンが現れる。この甘い香りは颯じゃ無い…。
金髪が綺麗に揺れて興奮する男の横を通り過ぎていく…!この顔面のイケメンさは翔だ…。
その罪なほどのイケメンフェイスを舞に近づける。誰か逮捕してもらわなければ誰でも惚れてしまう。
「可愛いね…君」
「ひゃ…!ひゃいぃ…!ありがとうございますぅ…」
中性的なイケメンフェイス…それほど舞の好みだったのだうろか舞は顔を真っ赤に染める。
その姿を見た杏は危険を察知した…!
最新の車よりも敏感な杏の危険センサーによって、舞と翔の体は切り離される。舞を離すのではなく、翔の肩を力強く掴んだ離す。
でもまだぽわぽわしている舞…。
「颯!舞の前に立っておいて!」
「え?分かったよ」
一応颯のイケメンフェイスで舞が翔に惚れるという最悪の事態は止められた。
だが翔を連れて行った杏は最悪の事態が訪れていたのだ。
「ちょ…!君顔面ドストライクなんだけど…!」
「な…何言ってるの!?」
「ま…待って!名前なんて言うの君ッ!」
「え?あ…杏だけど…」
「杏…杏ちゃんって彼氏とかいるの?」
「え…!いないけど…?」
「な…!なら!」
「俺と連絡先交換して欲しい!」
「別に良いけど…」
流石モテそうな男だあまりにも連絡先を交換するのが早い見習いたい物だ。…なんて感心している場合でもなかった。
ガードの硬い杏が今まさに翔と連絡先を交換している。…勇でもやっと中3でやっと交換できたと言うのに…。
しかも絶賛脈なしっぽさを感じている状態…勇にとって本当に最悪だった。
勇は自然と足が杏の元へ進んでしまう。
「俺と付き…ッ!」
「ちょっと待ってくれ!」
「杏ッ!俺話したいことがあるんだッ!」
杏の目の前に両手を広げて立った勇。
その言葉はやけに震えていて…言葉も少し吃っていた。
「え!?これどっち優先なの!?」
「俺は杏ちゃんにその…俺の気持ちを…」
「俺は…俺は…」
あれでもない…これでもないと言葉が草の様に捨てても捨ててもまた生まれてくる。
どれもまともな言葉ではなく…大したものでもなかった。
ふと翔を見てみるが…顔も身長も…パッと見で判断できるところは全て敗北…。
徐々に自信がなくなって…直接伝えることさえも叶わない。
震える勇に杏は優しい微笑みを見せる。
可愛いや…綺麗…よりもただ嬉しいという気持ちだけが先行した。
そしてついにポロッと口から本音が溢れ出てしまう…。
「一緒に海に行きたい…」
「んん〜?もう一回言って〜?」
「えっ!?」
「ウチと海に行きたいのか〜?」
「…うん」
杏は小悪魔な様にような優しい笑みを見せる。
それに対して勇は震える声とぎこちない笑顔で頷く。
「ほら!日が落ちる前に行かなきゃね!」
先取りした秋の太陽の様な暖かい手が勇の手を包み込む。
「いいの…?」
「ほれほれ〜!」
杏は優しそうな笑みで翔の方を振り返る。
「ごめんっ!また今度でもいいかな?」
「う…うん!絶対にだよ!」
翔のイケメンフェイスはしょぼくれたチェリーフェイスへと早変わりしてしまった。
走り去る杏と勇の背中に腰あたりで小さく手を振る。死んだ様な目をしていたという。
そして2人を見送ると虎之助の胸に静かに額をぶつける。
「えっと…僕はよく分からないけど…」
「頑張ったと思うよ…」
「だから切り替えてまた別の女の子を…」
「諦めない…」
「へ?」
「俺は絶対に杏ちゃんと付き合う」
「え…えぇ?」
「今日はあの男に邪魔されたから仕方がなかっただけだ!」
「よしッ!そう言うことにしようッ!」
イケメンなのに打たれ強いのはリスペクト。
翔の元気になった姿を微笑みながら見送る虎之助。その隣には何故か風華がいた。
「あ…あのさっきはごめんなさい…」
「あ…いいよいいよ」
「ていうかあの人チャラそうなのに…意外たピュアな部分があるんですね」
「翔は可愛いとか言う時はだいたい付き合いたいとか思ってないけどさ」
「本当に照れてる時はあーなっちゃうんだよ」
「高校入りたての時とかモカのこと好きだったから好きになったらすぐにわかるもん」
「あ…」
虎之助の斜め後ろから悍ましい殺気…。
恐る恐るおソウル振り返ると…そこにはまたニャンコになったモカがいた。
青い瞳が真っ赤に燃え上がる様に怒りが簡単に怒っているのが分かる。でもどこか申し訳なさそうな顔をしていた。
「て…!?にゃんこちゃんあの人のこと…!」
「いや全然違うんだよね…」
「モカは翔に告白された時そんなに仲良くなかったからさ…」
「モカがボコボコに言っちゃって振られて…そのショックで翔が学校辞めそうになったんだよね」
「まぁその時はどうにか学校辞めなくて今はこうして仲良くしてるけどね」
「モカはその出来事が黒歴史なんだよね」
「どうしてですか?」
虎之助は優しそうに風華に顔を近づける。
「実はモカは自分の厳しい面が嫌いらしくて…掘り起こしちゃダメなんだよね…」
「私全然近くにいるにゃよ!」
「にゃんこちゃんってノンデリってぽいのに…優しいんですね」
「なんか遥真にそっくりです!」
風華は無邪気なキューティースマイルを怒り狂うモカに見せつける。もう夕暮れ時なのにその笑顔は輝いて見え、モカの怒りはすぐに浄化されていく…。
海面に顔が反射して少し揺れる顔に2人は小さく笑う。2人の座る浅瀬はもうすでに少し暖かくなっていた。
杏は視線を外す勇に無理やり視線を合わせる。
「はぁ〜今日はなんだか疲れちゃった」
「…遊び疲れたのか?」
「そうですとも!海では遊ばないとね!」
「そっか…」
「でもまだ勇と遊ぶ体力は残してるから安心なさい!」
真っ白な歯を見せながら笑っている杏。
夏の夕暮れがその笑顔を余計に綺麗に見せてきて、恥じらいの残る勇の顔を嘲笑している様に思えた。
「い…いや実は俺…海で遊ぶってより…杏と話したくって…」
「ウチがそんな鈍感だと思う?」
「えッ!?」
「でもまずは遊ぶ!」
「ちょッ!?」
杏は勇の手を引き砂浜を駆ける。
もう誰もいない海へ杏が飛び込むと勇もそれに続いて飛び込む。
ザブンッ!
水飛沫が上がると逆光で見えづらかった杏の笑顔はクッキリと見えてしまい…そして杏の綺麗な水着も見えてしまう。
勇も笑おうとするが…上手く笑えない。
「いつもの勇じゃなーい!」
「だってさ…」
「やっぱり昼間のウチの態度が気になるの?」
「ま…まぁ…」
「俺がなんかしたなら謝るし…」
「別に謝る必要はないよ」
「え…?俺がなんかしたとかじゃないの…?」
「違うっ!ただウチが…」
「ウチが?」
杏は口を魚の様にぱくぱくとしている。
勇が目を合わせると隠し事があるかの様に目を背ける。
口では勇の事を違うと言っていたものの、杏の方がいつもの様子とは全く違う。
顔を追ったらぷくぅと頬を膨らまし上目遣い手間勇の顔を見つめる。いや見つめるというより睨みつけると言った方が正しいかもしれない。
だが赤い顔があるだけでそれは可愛く見える。
「どうしたの?」
「いや杏が何か言いかけてたじゃん!」
「バ!バレた!?」
「で…どうしたの?」
「聞きたい?」
「もちろん…」
また口をぱくぱくとしている杏。
だが徐々に言葉が出てきたのかついに言葉を発する。
「ただの嫉妬だから!」
「え?し…嫉妬?」
「でも勇が玲那の水着に見惚れるのも悪いんだぞ?」
「玲那のおっぱいが大きくなったからって…もう!」
「女の子にこんな事言わせないでよっ!」
「えと…?つまり…?」
「玲那ばっかりじゃなくて…」
「う…ウチも見てよ」
顔が燃える様に暑くなる。
それは勇だけでなく杏もで…普段のイタズラっぽい顔ではなく、可愛い顔をふんだんに見せつけている。
思わず抱きしめたくなる顔をしていて…腕が杏の肩へ伸びてしまう。
だが勇は気づく。たかが嫉妬でしかないと言う事を…。
自分に戒めの意味を込めて両頬を叩く。
「ど!どうしたの!?」
「お…俺は…俺は…」
「俺は?」
「俺は杏に告白した時から変わらず…」
「その杏の事が好きだから…」
「でもそれ以前に俺は男だから…スタイルの異人とか胸が大きい人は見ちゃうけど…!」
「それ以上に…それ以上に…!」
「や…!やめて!」
もう少しで出てきそうな言葉は、杏の両手で塞がれる事で容易く止められてしまう。
思わず「え?」と言う言葉は杏の手の中で谺する。
杏はまた口をぱくぱくさせている。
「ウ…!ウ…!ウチはずっと!」
「勇に告白された時とおんなじ気持ちだからっ!」
「…え?」
純粋な人間だった頃に杏に告白して振られた。
そしてその時は好きではなかったと言う事…つまりおんなじ気持ちということは好きではない。
こんな単純な答えを出すのに勇は数秒かかった。頭が悪いわけではなくパニックだった。
勇は呼吸が整わず息遣いが荒くなる。
さっきの嫉妬と言っていたのも…玲那の胸に対する嫉妬と言われれば説明がついてしまう。
自分のこぢんまりとした胸も見てあげてということだったんだろう。
それにも気づかずに自惚れていて…一丁前に告白のセリフを並べて…恥ずかしすぎる。
いつも恋愛経験がなさすぎると風華のことをバカにしていたが…こんな事を知られたら風華にもバカにされる。
「え…えと…」
「わっ!わぁ!今答えちゃダメだよ!」
「そんな事言われても…結構応えてる…」
「それにしてももう暗いね!もう帰ろっか!」
「うんcry…」
暗くなってしまった事で杏の表情は見えない。
こっちの顔が杏から見えていない事が何よりもありがたい事だった…。
恥ずかしさと悲しさに肩を落としてながら歩き、先に走って行った杏の背中を追う。
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