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ANCIENT -無代譚-  作者: 美朱太
未開の少年たち
4/9

1-4 戻れない放課後

杏はただひたすらに逃げていた。

立ち止まっていると自責の念に押しつぶされそうで…呼吸も上手くいかない。

表面上だけ風華を信じることしか出来なかった。

 「はぁ…はぁ…誰か…」

閉まりかけの商店街。

買い物袋の片手に肩で呼吸をする杏を見る。

傍から見るとただの異常者だろう。

ただ本人からしたら命懸けの逃走だ。

杏と同じ年くらいの女子高生は彼氏と思われる人物と笑いながら写真を撮っている。

ヒソヒソと指を刺して笑う男子高校生。

そうしてくれるだけでも救いだ。自分が存在していると口に出されずとも分かる。

だがほとんどの人はスマホを片手に過ぎていく。

時には杏の肩にぶつかったりもするが、汚い物を見るような目で見て再び歩き出すだけ。

不思議とそれにも慣れていく。

おそらく慣れるのが得意なだけだろう。

 「ふ…風華…だ…誰か…」

疲れと不安で今にも気を失いそうだ。

アスファルトのタイルのこの道を真っ直ぐ歩けていない。だいたい2歩分くらいズレている。

分かってはいるのだが…思うように動けない。

フラフラと踊るように歩いていると、一人の学生服を着た男とぶつかる。

 「痛…!」

暖かい懐に吸い込まれるように頬を寄せる。

このまま静かに眠ってしまいそうだ。

だが流石に目の前の男はそれを許してはくれない。

必死に杏の体を引き離そうと肩を押す。

…だがちょっと満更でもない顔をしていた。

その証拠に押し返す力が弱い。

 「ちょ!辞め!辞めてくださ!」

 「って!?え!?」

 「あ…杏ッ!?」

 「どうしたんだ!?杏ッ!」

薄れ行く視界では必死な顔をする男。

そしてなぜか自分の名前を叫んでいる。

顔は分からない。男の腕の暖かさに安心を覚えてしまう。

もうこのまま消えてしまいそうだ。

 「え!?杏!?」


 「お前のせいだ…お前のせいだ…」

風華の声が脳みそを木霊する。

普段の高い声からは考えられないほど低い…唸り声に近いものを感じる。

水の中にいるように呼吸が苦しい…

 「ハア…っ!」

 「はぁはぁはぁ…」

風華は周りにはいない…そして水辺はザッと見渡したところない。どうやら夢を見ていた様だ。

だが…ここは何処なのだろう。

白く低い天井に太陽の匂いの染みついた布団と毛布。

…誰かの胸で気を失ったことを最後に記憶が途切れている。

 「起きたか…?」

襖を半開きにして男が顔を出す。

風呂に入った後なのか、髪型は普段と違ってパッと見はよく分からなかったが…

このちょうどいい二重幅とイケメンと言うより、男らしいという言葉が似合う男

これは勇だ。

意識を失う前に名前を呼んでいたのにも説明がつく。

 「勇…?ここは?」

 「俺ん家」

 「あッ!本当に何もしてないからな!」

 「家に連れ込んだみたいになったけど!何もしてないからさ!」

 「わ!分かってるよ…!」

 「それより風華が…!」

 「あ…杏って風華と仲良かったんだ…」

 「寝てる最中も風華の名前呼んでたし…」

 「違うの!」

 「ま…まぁ母さんにおかゆ作ってもらったから食べてよ」

 「うちの母さん料理下手だけどおかゆだけは5つ星レストランに勝てるから」

 「五つ星レストランにおかゆあるか分からないけど…」

勇は杏を寝ぼけているのだと判断する。

襖を全部開くとお盆の上に一つだけ乗ったおかゆを畳の上に置く。

勝俣家は和室が多い様だ。襖を全開にしてると一面が和室だと分かり易い。

一番近くの和室の若い綺麗な女の人が勇の忙しない姿に爆笑している。

聞かずともその人物が勇のお姉さんだと分かる。顔が似ているのもあるが、勇がよくお姉さんの愚痴を面白可笑しく話してくれていた。

旅館の女将のように両手を地面について頭を下げる勇。

そして徐々に閉まっていく襖。

杏は慌てて上半身だけで起き上がり勇の肩を勢いよく掴む。

 「風華が…!風華が危ないのっ!」

 「な…何を言ってんの…?」

 「とにかく学校に行かなきゃ!」

 「風華が!死んじゃう…!」

その言葉を聞いた瞬間勇の目は少し細くなる。

杏両手を掴んで立ち上がらせる。…勇の手は大きく震えていた。

 「姉ちゃん!」

 「はいよー」

勇のお姉さんは状況を察すると原付の鍵を勇に向かって投げる。

それをノールックでキャッチすると杏の手を引く。

 「風華…!風華…!」

玄関を開けっぱなしで外に出ていく。

お気に入りだと話してくれていた靴の踵も踏んでいる。額からは汗が流れている。

原付のエンジンを掛けると杏は勇の背中に飛び乗り抱きつく。

胸が当たって嬉しい…なんて気持ちは微塵も湧かない。

ただ風華の事が心配で堪らない。

口からは「風華」を呼ぶ名前が溢れている。

 「初めての2ケツ…!」

 「振り切るからしっかり捕まっててくれ!」

 「うん!」

真面目な勇にはスピード違反という言葉は似合わない。法定速度という言葉しか知らない。

だが事が事だ…と覚悟を決める。ちょっとくらい警察も許してくれるだろう。

スピードメーターは徐々に振り切れ、風が頬に当たると少し痛いくらいだ。

ヤンキー御用達の学校への最短経路を進む。

いつもの通りヤンキーは一つ覚えで屯ってタバコを吸っているが、勇が通った瞬間その火は消える。

入り組んだカーブの壁を連続で超えて最後のカーブを右に曲がる。


 「風華…!風華っ!」

杏は転げ落ちる様に原付から降りる。

スマホホルダーにつけたスマホには19:10と書いてある。初夏だからか一丁前にもう真っ暗。

 「風華っ!返事して!」

 「杏ッ!何があったんだよ!」

 「…っ!」

田んぼの蛙が赤茶色の塊の上を跳ねる。

その塊の上でカラスが蛙と塊を口に含む。

臭いが鼻に入ると全身を支配されそうだ。

徐々に脳みそが理解をしてくる。

こんな時だけ頭の回転が早くなる。

涙が込み上げてくる。肩が震えてくる。


 「ううっ!!」

杏は田んぼの中に小さく嘔吐をする。

昼から何も食べてないのか胃液だけだ。


…この塊は人間の遺体だ。


そしておそらく風華の体だ…。

遺体が損傷していて分からない。

信じたくないと言った方が正しいのだろう。

長い髪が広がり孔雀の様に水に浮かんでいる。

片目は風船の様に膨れていて今にも破裂しそうだ。口には犯人と思われる人物の体液が付着している。

体は…見ていられない。

内臓が吹き出そうにもなっている。

いつもの様に笑ってほしい…。

だが目には正気がない…。


 「風華ッ!風華ッ!」

上手く言葉が作れない。

ただ名前を呼ぶだけで全てが伝わる。

名前を呼んでも風華は目を開かない。

いつも寝ていても名前を呼んだら起きてくれるのに…。あの無理な言い訳をもう一度聞きたいと思ったのは今日が初めてだ。

だが起きない。


 「風華ッ!」

見間違えじゃないかと辺りを見渡してみる。

風華の悪戯心で騙そうとしているのではないか?…そうに違いない…。

だがその行為は悪手だった。

 「え…っ?」

小さな両腕が水路に投げ捨てられている。

雨の降っていない側溝に血は固まっている。

注意して歩いていなければ気づかないそうだ。

この両腕に気付かずに通り過ぎた人がいるとゾッとしてしまう。

おそらくこれも風華の腕なのだろう。

左腕の中央に小さなホクロがある。

このホクロは似ても似つかない勇と風華の唯一の共通点だったのだ。

 「風華ッ!風華ーッ!」

蛙の集団の鳴き声よりも大きい叫び声。

それに負けじと蛙の鳴き声も大きくなる。

そんなことはどうでも良かった…。

 「…風華」


その後、勇の叫び声を聞いた近隣住民は救急車を呼んだ。

わずかな希望など感じることはなかった。

救急車に乗った後のことは覚えていない。

色々と警察からの事情聴取も受けたが返せていたのかすら分からない。

ドーナツの様に心がすっかり空いてしまった。

一人の人間が死んでしまったただそれだけなのに。


この事件の凄惨さから全国ニュースで大々的に取り上げられた。

だが風華の実名報道はされなかった。

生徒たちにトラウマを与えないための手段。

学校側は生徒たちの気持ちを大事に最適な判断をしたと思う。

学校は事実の確認と言って臨時休校に入った。

風華の遺体については両親が早くに亡くなっていたこともあり、八つ歳上の現在都会に住んでいる兄の元へ預けられた。

ほとぼりが冷めるまで葬式はしないそうだ。

あれから1週間が経ち…。

パトカーの赤い光が月を照らすその夜。

 「杏ちゃんご飯できたわよー!」

2階の杏を呼ぶ、1階の勇の母親の声。


あの事件の後…。

杏は「家に帰りたくない」と勇に泣きついた。

普通だったら無理だと断って家に帰すべき。

だが勇の母親は特別な事情があることを察して、何も言わずのそれを了承した。

現在杏は勇の隣の部屋の一室を使っている。

元々は都会の方に就職した歳の離れた兄の部屋。兄とは親友の様に仲が良かった事から勇の部屋と現 杏の部屋の仕切りには襖がある。

そこから部屋を行き来出来る様になっている。

思春期に入った勇からしたら警戒するべき入り口が2個あるだけになってしまった。


勇の家に住み着いてからの杏は、普段の学校生活とは真逆だった。

杏は決して口下手で人見知りではなかった。

むしろ人と仲良くなるのは人の数倍早いと思っていた。

だが杏は家に来てから一言も話してる姿を見たことがない。母親に洗濯物や皿洗いの手伝いを頼まれると何も言わずに頷く、そしてテキパキと素早く終わらせて部屋に戻る。

そして時より杏は声を上げて泣いていた。

はっきり言って異常だ。

だが母親は鬱陶しがる顔もせずに夜遅くであっても朝早くであっても、何も聞かずに抱きしめた。

もちろん勇も杏とは1週間近く話してない。


階段から降りてくる足音が聞こえて、食卓には謎の緊張感が走る。

今日は夜勤明けの父親が居て、その手にはお酒を持っている。杏と父親は会ったことがない。

リビングのドアを開けると杏は父親に一礼する。それと同時に父親も頭を下げる。

 「君が杏ちゃんか!美人だな!」

気まずくなるのを嫌った父親の一言。

杏は小さく笑うとすぐに表情を戻し定位置に着く。

父親は机の下で姉に足を蹴られたのだろう…。

苦痛の表情を浮かべている。

そして静かに始まったご飯の時間。

皆一言も話さずに黙々と腹を満たす。

相変わらずあまり美味しくない。

同じ料理なのに味が苦いくらい濃い部分と水を飲んでるのか…?と疑うくらい薄い部分に分かれている。

プロの料理人が20年掛けて編み出す技を、無意識にやってのけている。

ただ肝心の味が不味すぎる。

皆少し苦痛の表情を浮かべながら食べ進める。

そんな状況をどうにか打開しようと一人の男がリモコンを持つ。

大黒柱としての威厳を保ちたかった父親のリベンジ。

テレビを着けるとちょうどニュース番組をやっていた。

だがこれがいけなかった。


 『本日未明、会社員2人が死亡する事件が発生しました。』

 『目撃者情報によると…』

 『上半身裸の性別不明で身長約2m』

 『性別不明の緑がかった異様な姿を…』


緑色の異様な姿をしているものなどいない。

いるとしてもカマキリやミドリムシくらいだろう。見間違いというのは怖い。

杏の反応を見るために横を見る。


杏の様子が違っていた。

ここ数日良くも悪くも何も反応することはなかった。夜に誰もいない部屋から物音がなっても、無心でご飯を食べていた。

そんな杏が…なぜか震えていた。

持っていたコロッケもその震えで机の上に落とす。

 「ど…!どうしたの!杏ちゃん!」

黄色の台拭きを持った母親の声。

その声に反応することはなく、杏は呼吸する魚の様に口を動かす。

異常事態に気づいた父親は慌ててテレビを消す。

忙しない母親、声の大きい姉、慌てる父親。

数秒のうちに足を踏み合いになり子供のように喧嘩をし始める。

 「ちょっと!あなたのせいで!」

 「ママっ!踏まないで!」

 「ど!どうしろって…!」

騒がしい背景。その隅で杏は静かに涙を流す。

喧騒の中、耳を澄ます。

 「あ…あぁ…」

夏の終わりの蝉の様な声…

それでもしっかり耳元に入った。

杏は静かに立ち上がり玄関へ向かう。

蟻の大群を見ているかの様な空虚な瞳。

このままどこかへ消えてしまいそうだった。

 「待てッ!杏ッ!」

勇の叫び声は家族の喧騒にかき消される。

自然と足は玄関へと動き出していく。

脱ぎ捨てられたスリッパ、開けっぱなしの玄関の戸。

只事じゃ無いのはすぐに分かった。

勇は父親のブカブカのサンダルで家を飛び出す。

 「はぁ…はぁ…どこだ?」

生ぬるい息が渦を巻く。

杏が出て行ったものの数秒後に出てきたはず…

それなのに杏の後ろ姿さえ見えない。

闇に連れ去られたかの様に暗い。

街灯がポツリポツリと地面を照らしているだけで、辺りには何も無い。

だが自然に足は動いてしまう。

 「…ッ杏!」

昔よく行ってた近所の公園。

向かいのホーム、路地裏の窓。

こんなところを探しても見つかりはしない。

 「どこ行ったんだよ…」

自動販売機で100円玉で買ったコーヒーを握りしめて、思い当たる箇所を彷徨う。

ラベルには体の芯から温まると書いてある。

こんなもの飲んでも気休めにもならない。

風呂上がりなのに汗で流石肌にひっつく。

口に出せない不満を抱えながら歩いていると、何の道標かいつも目にする場所に辿り着く。

何気ない日常が一つの悲劇で上書きされた場所。風華の遺体が捨てられていた田んぼだった。

風華への弔いのために花束やお菓子、飲み物が大量に田んぼの横に置かれている。

尤もこの献花をしてくれた人々は誰が死んだのかも知らない。事件の一部を知っているだけ。


花束を見ながら手を合わせる少女。

一本だけ立っている電柱にライトアップされている少女。

震えながらしゃがんでいる。

まだ夏も始まったばかりで夜は冷える。

 「ここにいたんだね…」

 「杏…」

震える体に持って来ていたジャンパーを被せる。

一週間会話が無かったとは思えない。

案外素直に固く閉ざされた口紐は解ける。

無機質な言葉に杏は静かに頷く。

ジャンパーの擦れる音がうるさい。

 「ウチのせいで…風華は死んだの…」

 「名前も知らない人も死んだの…」

 「ウチがお父さんを怒らせたせいで…」

 「…その口ぶり犯人を知ってるんだな」

 「うん…」

 「ウチがいるせいで…風華は死んだの…」

声が震えている。寒さのせいもあるのだろうか。

 「ウチ死んだ方がいいのかな…?」

突拍子もない事を口にする杏。

決してふざけて言っているわけではない。

 「何があったのかなんて知りたくない」

 「けど死んでいい人なんてこの世にはいない…それは確かだ」

 「ありがとう…勇」

涙を目に溜めて上目遣いの杏。

普段の学校生活の杏とのギャップに、入り込めない壁を感じる。

 「誰が死んでも人と人は結局は他人だ…」

 「もっと気楽にいきた方がいいよ…」

冷酷で非情な言葉を放つ勇。

だがその目には少しの涙を浮かべていた。

風華というほとんどの人生を共にして、全ての感情をぶつけ合って来た存在。

その風華との突然で理不尽な別れ。

この言葉は杏ではなく自分の胸に刺した言葉なのかもしれない。

 「まぁ…そんなこと言っても…ムカつくもんはムカつくんだよ…」

 「でもっ!人間が勝てる様な相手じゃない!」

 「分かってる…」

 「でも案外話せばわかるかも知れないし…」

 「あいつは…お父さんはそんな奴じゃない!」

 「…さっきからお父さんって言ってるけど」

 「本当のお父さんじゃないよね?」

 「うん…」

小声で呟く。風の音でほとんど聞こえない。

 「詳しく聞かせてくれないか?」

 「風華を殺されたこともだけど…」

 「杏をこんなに泣かせたのにもムカついててさ…」

 「約束して…!」

杏は弱々しく震える拳を差し出す。

 「絶対に死んじゃダメだよ…勇!」

 「うん…」

杏の小指に小指を差し出す。

身長差は少しあるものの指の大きさはあまり変わらない。スマートに小指同士を繋ぐ。

涙を拭いた後の杏の微笑みに胸が苦しくなる。

 「…驚かないでね」

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