第3話「雨音の向こうにある安らぎ」
木製の深皿は、三つとも見事に空になっていた。
パンの欠片すら残っていない器を満足げに見つめながら、狐の男の子はぽっこりと膨らんだ自分のお腹を優しく撫でている。
熊の女の子はすでに眠気が限界に達しているのか、男の太い腕に寄りかかり、うとうとと頭を揺らしていた。
リオンは空になった器とスプーンを音を立てないようにお盆にまとめ、厨房へと運んでいく。
背中越しに、男が子供たちの頭を不器用な手つきで撫でる気配が伝わってきた。
洗い桶に器を浸し、汚れを軽く落としてから、リオンは棚から小さな陶器のポットを取り出した。
乾燥させたカモミールと少量のミントの葉を入れ、お湯を注ぐと、爽やかで甘い香りがふわりと広がる。
高ぶった神経を鎮め、深い眠りへと誘うための温かいお茶だった。
小さな木のカップに三つ分のお茶を注ぎ、再び暖炉のそばへと戻る。
すでに女の子は男の腕の中で完全に寝息を立てており、男の子も重たいまぶたを必死にこすりながら起きていようと戦っているところだった。
リオンがテーブルにカップを置くと、男の子は眠気眼のままお茶を一口だけすすり、ふぅと満ち足りた息を吐き出して長椅子にごろりと横になった。
男は自分の横で丸くなった男の子に、乾いた大きな布を毛布代わりにかけてやる。
その顔には、先ほどまでの鋭い警戒心はなく、ただ不器用な保護者としての静かな疲労と安堵が浮かんでいた。
「……うまい食事だった」
男は自分の前にあるカップを手に取りながら、低い声でぽつりとこぼした。
リオンは少し離れた椅子に腰を下ろし、自分のカップを両手で包み込みながら小さく微笑む。
「お口に合って良かったです。冷えた体には、温かいものが一番ですから」
男はカモミールの香りを確かめるように一度深く息を吸い込み、それからゆっくりとお茶を喉の奥へと流し込んだ。
外では相変わらず暴風雨が吹き荒れ、窓ガラスを叩く雨音は少しも弱まる気配がない。
しかし、厚い壁と暖炉の火に守られたこの空間だけは、まるで別の世界のように穏やかで温かかった。
「俺は、ガレルという」
唐突に、男が名乗った。
その重々しい響きに、リオンはカップを持ったまま姿勢を正すように少しだけ背筋を伸ばした。
「リオンと申します。この食堂の主です」
「リオンか……。この子供たちは、俺の血を分けた子ではない。身寄りがなく、俺が引き取って育てている」
ガレルは眠る子供たちの寝顔を見つめながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
言葉数は少なく、説明も最低限だったが、その声の端々には彼らに対する深い責任感と、どう接していいか分からないという不器用な戸惑いが滲み出ている。
強大なアルファであり、おそらくは獣人の中でもかなり高位の存在であるはずの彼が、こんな小さな子供たちの前で途方に暮れている姿は、リオンにとって新鮮な驚きだった。
オメガであるリオンにとって、アルファとは常に自分を脅かし、力で支配しようとする恐ろしい存在でしかなかったからだ。
だが、目の前にいるガレルからは、リオンを恐怖させるような暴力的な気配は全く感じられない。
「子供たちは、あなたのそばにいると安心するみたいですね」
リオンがそう言うと、ガレルは少しだけ意外そうな顔をしてリオンを見た。
「そう見えるか」
「ええ。眠っている時の顔は、嘘をつきませんから」
ガレルは再び子供たちの方へ視線を戻し、大きな手で狐の男の子の背中を一定のリズムで軽く叩き始めた。
その動作はぎこちなかったが、男の子は心地よさそうに小さく寝返りを打ち、さらに深く眠り込んでいく。
『この人は、優しい人なんだな』
リオンの胸の奥で、小さく温かい感情が静かに広がっていく。
過去の傷から来る他者への恐れが、ガレルと子供たちがもたらした賑やかな時間によって、少しずつ薄れていくのを感じていた。
ガレルの金色の瞳が、暖炉の火に反射して穏やかな光を帯びている。
二人の間に言葉はなかったが、沈黙は決して居心地の悪いものではなかった。
窓の外の雨音は、いつしか激しい怒りのような音から、一定のリズムを刻む子守唄のような音へと変わっている。
薪が爆ぜるかすかな音と、子供たちの規則正しい寝息が重なり合い、静かな食堂に安らぎの時間を刻んでいく。
リオンは手元のカップから立ち上る湯気を見つめながら、この不思議な夜の出会いが、自分の止まっていた時間を静かに動かし始めたことを予感していた。




