消えた商隊② ~遭遇・討伐~
森の外縁に差しかかったとき、空は晴れているのに、森の中だけが曇天のように薄暗い。葉の色は鈍く、風は止まり、虫も鳥もいない。
まるで森そのものが、息を潜めているようだった。
「…ここが“ラグルの森”なの?」
「そのはずだがな」
オリバーは声を低くし周囲を見回しながら答えた。
彼が斧の柄に手をかけるのを見て、ノエルも口を開く。
「違和感しかないわね。前に通った時は、もっと普通だったのに」
「普通?」とソファが小さく呟いた。
「そう、風が吹いて、虫も飛んで、鳥が鳴いて、木が香ってた。今は、全部止まってる」
オリバーがエルクを止め、ゆっくりと手綱を解いた。
「これ以上馬車ごと入るのは危ねぇな。ここで待たせる。……何かあったら、戻れるようにはしておく」
「了解。――ソファ、集中して。何が来るか分からないからね。商隊が消えたのは、この中。地図の報告ではこの辺りが最後の通過点…」
「うん。…ヤクモ、ハウス!」
エルクを木陰に繋ぎ、三人は徒歩で進む。
地面は湿り、踏みしめるたびにぬめった音がした。
まるで土の下に、何かが蠢いているかのようだった。
「≪アルゴス≫だっけ?発動してるみたいね。上出来よ。何か感じる?」
「……うん。森そのものが動いてる。……“息”をしてるみたい」
「息をする森、ね」ノエルが笑うが、声は硬い。
森の奥、ひときわ大きな倒木の影で、何かがこちらを見ていた。
倒木を越えると、荷箱が散乱していた。
木製の車輪、裂けた布袋、血の跡。
その中央で、うつ伏せのまま動かない人影。
「俺が行く!光を!」
オリバーが駆け寄りノエルが魔法で淡い光を灯すと、それは鎧姿の男だった。…まだ息がある。
オリバーが抱き上げ、ソファが水筒を差し出す。
「おい!分かるか?」
「……ぅ、あ……」
唇が震え、掠れた声がこぼれた。
「商隊……やられ……影……黒い人の形……」
「影?」ノエルが顔をしかめる。
「……魂……抜かれる……。
見たら……動けなく……」
最後の言葉は途切れ、男は気を失ったが、呼吸は安定している。
「影喰いね。…面倒だわ」
ノエルが声を潜めながら伝えた。
「影喰い?」
「古い呪術の成れの果て。魂を吸い上げ、残骸を人形にする……忌まわしい奴らよ」
オリバーが舌打ちした。
「こいつは護衛の1人だな。あと4人か。影喰いだとすると…ちとマズイな」
「どうして?」
「オブリヴィオンなら斬れる。だが俺には見えないかもしれない」
「…でしょうね。セレナがいれば違ったのに。なんで今日は筋肉バカのオリバーなのよ」
「否定は出来んが、流石にこいつは予想外だ。謝らんぞ」
「…アンタ、小声で喋れるんじゃん」
「今そこ大事?ふざけてないで対策を…」
その時、森の奥で風が揺れた。
いや、風ではない。何かが動いたのだ。
ソファがフレイルを構える。
「……来る!」
空気が震えた。
黒い霧のようなものが、枝の影を引きずるように集まっていく。やがて霧は人の形を取り、輪郭を揺らめかせながら紅い目と口を浮かび上がらせた。
「これが……影喰い……!」
ソファの声が緊張に滲む。
「ええ。まだ動かないで。下手に攻撃すると逆に喰われるわ。オリバー、どう?アンタ見えてる?」
「ハズレだな。見えない」
「…本体じゃないかもね。ソファ、後で説明する。全員を氷の檻の中に入れて!」
「りょ、了解!≪フェンリル≫
――お願い、囲って!」
ソファの足元から白い霜が走り、氷の蔓が生えると、瞬く間に半透明の檻が地面から立ち上がりパーティーを包み込んだ。
冷気が走り、黒霧が触れた瞬間、パリンと弾かれる音が響く。
「…上出来!オリバー、ソファに説明よろしく!」
「丸投げかよ!この檻はどれくらい持ちそうなんだ?」
「アタシたちが凍え死ぬまでは持つわよ。早く!」
ノエルは檻の外周に手をかざし、風の渦を生み出す。
「風よ、流れを断て――
雷よ、輪を描け!」
風が巻き、雷が走り、薄い壁のような膜が周囲を包み込んだ。
「これで近寄り辛くなる。でもそう長くは持たないかな――作戦会議!」
―――影喰い古い呪術の成れの果て。
「いいかソファ。こいつは魂を縛って、永遠に喰らい続ける呪いが具現化したものだ。元の術者の属性によって、弱点が違う」
「どうすればいいの?」
「術者の属性を当てる。
呪いの核を討つ。この2つだ」
「…どうすればいいの?」
「そこが問題だ。本来は調査、対策、討伐なんだが、まず既に発生…多分封印が解かれて発動しちまってる。商隊が運悪く最初の被害者って事になるな」
オリバーの説明に頷くソファ。
「とすると俺たちが調査部隊ってところか…。報告して対策練って討伐隊編成となるところだが」
「私たちは何も知らずに入っちゃった…ってこと?」
「理解が早くて助かる」
ノエルが雷を放つ。
閃光が影を貫き、黒霧が裂けた。
だが、すぐに再生する。
「……だめ。光じゃ焼き切れない」
「ノエル、やっぱり“木”か?」
「でしょうね!“木”だわ。外れる方が奇跡ね」
「マズイな」「…ホント面倒。寒いし」
「どういう事?」
「ちょっと待ってて。
トラヴァス、分かった?」
地面に耳を当てていたトラヴァスが低く唸る。
「…森そのものが呪われとるでぇ。“根”みたいなもんが張っとるんや。こいつら、森の影と一緒になっとるんちゃうか」
「ってことは、森全体が封印の術式……?」
ノエルが確認する。
「影喰いは森を媒体にして再生してる。どっかに“封祠”があるんちゃうか?封印が壊れとるな。知らんけど」
「…一応聞くけど、オリバー。“封祠”が森のどこにあるか知ってる?」
ノエルの質問に彼は首を振って答える。
「…術者の属性は“木”なんだよね?だったら“火”か“氷”でなんとかならない?」
「「正解」」と2人が頷く。
「…だったら私が…」
「「不正解」」
「なんで?」
ソファの問いにノエルが答える。
「ソファが1人でここに来ちゃったなら、それで正解だね。でもね、アタシたちA級が2人いてそれは不正解」
「ソファ、もっと欲張れよ!生きて帰る、依頼も達成する、これだけだとCランクだな。それより上に行きたいんなら、それ以上でないとな!」
「…それってどうすればいいの?」
「「森も救う!」」
「…っ!」
2人のハンターの言葉に声を失うソファ。
「さぁソファ、アンタどうすんの?Cランクなんかで満足?」
「出来るなら…森も救いたい!」
「良く言った!じゃあ、どうする?」
「一つ聞いていい?“呪いの核”は“封祠”にあるの?」
「「正解」」と2人が頷く。
「“封祠”を探して、核を火か氷魔法で壊す。どう?」
「探せる?」とノエル。
「やってみる」
「檻の外は任せていいからね。探すのに集中しなさい」
「了解…≪アルゴス≫
――すべてを見せて!」
囁くような詠唱とともに、彼女の呼吸が深くなる。
息を吸うたびに、胸の奥で何かが反応した。
五感が裏返り、匂いが“形”を持ちはじめる。
木の根の匂い、苔の湿り、獣の汗、それらすべてが色を持ち線を描く。
「風も、根も、木も――全部、動いてる。この森は縛られてるのに抵抗してるんだ」
一旦息を止め、更に呼吸を深く、目を閉じて意識を全て≪アルゴス≫に集中する。
フレイルの核が共鳴するように輝きを放った。
湿った土のような、焦げた鉄のような、血の気配にも似た“匂い”。だが生き物の腐臭ではない、甘く、しかし鼻の奥を刺すような異臭――
「――見つけた!ここよりまだ少し奥っ」
目を開け、方向を指そうとしたソファがぐらりと揺れた。
「ソファ。十分だ。良くやった」
オリバーがそっと彼女を支え座らせた。
「…アンタならここからでも十分攻撃できるわね?」
ノエルの問いに、ソファは目で答えた。
フレイルを支えに身を起そうと力を入れ――
「カンペキ!合格~っ!」
ノエルが大げさな身振りと共にソファを抱きしめた。
あまりに場違いな反応に理解が追い付かず、ソファは目を丸くする。
「…ここからあの“封祠”を見つけるとはな。精霊の力とは言え、全くとんでもないルーキーだな。」
「言っとくけど!今はウチのパーティーの一員だかんね!ソファが欲しかったら、アンタがウチ入んなよ!」
「お?俺は今ソロだが、いいのか?お前ん所は魔法使い限定じゃなかったのか?」
「今再編成中。セレナとソファ次第だけど候補に入れてあげてもいいよ?」
「面白そうだな。じゃあソファにアピールしておくか。影喰いは請け負った。他は任せていいか?」
「任された。っていうかもう全員見つけた。封印が解けてすぐだったみたいね。ちゃんと生きてるわよ」
「流石だ――「ちょっと!」」
2人の突然の掛け合いに思わずソファが割って入る。
「ノエルさん?説明求む。意味不明」
「未知の敵。ソファ追い込んで、試したの」
ソファの追求にとびきりの笑顔で指を折りながら答えるノエル。
彼女の態度に怒りで震えながらも力が入らない。何とか落ち着こうと声を振り絞る。
「“危険”だったよね?」
「うん、そだね」
「“まだ”危険だよね?」
「うん、そだね」
「今、ふざけてたよね?」
「うん、そだね」
「私、フラフラだよね?」
「うん、そだね」
「なんでセレナがいないの…!」
「ホントそれ!」
「トラヴァスは止めれないの?」
「そら無理や!」
「なんで?」
「…今俺だけが仕事中やねんけど?」
「そうは見えないけど?」
「…まあ、この程度なら雑魚やしな」
何かを諦めたソファはオリバーに助けを求め振り返る。
「…ノエルが言ってただろ。“後で説明する”って」
「えっ?それが今?」
「とりあえず、影喰い片付けてからでいいか?」
「…了解」
「……出るぞ」
オリバーの持つ戦斧オブリヴィオンの刃先に走る黒鉄の紋が淡く光った。
同時に彼の全身に魔力が漂い、唸りを上げ戦斧を振り上げる。
次の瞬間――轟音とともに氷の檻が内側から砕け散った。
破片が吹き飛び、冷気の渦から歩み出た巨体。
「いい檻だ!この冷気、使わせてもらおう!」
そう言って地を蹴った瞬間、大地が震えた。
彼は戦斧を構え、一直線に影喰いの群れの奥の封祠へと突っ込む。
黒い霧が人型に蠢き、そうはさせまいと腕を伸ばす――が、届くより早く。
「――喰らえ!」
斧が叩きつけられた瞬間、衝撃波が奔り、封祠が崩れ落ち、呪いの核も粉々に砕けた。
影喰いの輪郭が引き裂かれ、黒い霧が悲鳴のような音を立て虚空へと逃げようとした。
「そこか、――逃がすか!」
オリバーが大地を蹴り、再び斧を構える。
重力を無視した一閃――
金属音ではなく、空気が裂ける音。
その一撃は真上から影喰いの中心を叩き潰した。
黒い霧が炸裂し、紅い光が弾ける。
魂の断末魔のような音が森に響き、崩れ落ちた影喰いの残滓は、霧と共に地へ吸い込まれていった。
やがて、そこにあったはずの“存在”さえも消える。
「……ふぅ」
オリバーは斧を肩に担ぎ、ひとつ息を吐く。
「見えてないのに良くやるわ…。ホントは封祠の位置知ってたでしょ?」
こちらへ戻ってきたオリバーにノエルが声を掛ける。
「ん?それは当たり前だろう?封印されているモノによっちゃあ、俺には見えんからな。情報だけが頼りだ。封祠の位置は出る前に聞いていた」
「…さっき知らないって言ったのに!」
「言ってはいない。首振っただけだ!」
「ノエル!どこから騙してたの?」
「…えへ。最初から、かな?でも封印されてたのが影喰いなのは知らなかったなぁ」
「それはそうだろ?なんの封印かは誰も知らんだろ?」
「…どこが最初か分かんない!」
「えっと~、ソファが湖の依頼を受けてた日に~」
「…そんな前から…っ」
「ギルドでアリアと話してたら商隊と連絡がつかないって報告が来て~」
「……」
「そしたら、護衛依頼受けたのがオリバーの後輩だってなって~」
「………」
「アリアがオリバーに声かけてて~」
「…………」
「ちょうどいいから手伝ってって!」
説明を受けたソファがワナワナと震えていると、何故かオリバーも固まった。
「待て!ちょうどいいとはなんだ?」
「アリアと話してたのはね、暑苦しくなくて、臭くなくて、下品じゃないヤツ誰だって。そしたら、オリバーはどう?って話になって~」
「…ちょうどいいとは?」
「ホント偶然。今回の報告が来たの!話の内容聞いたらオリバーは行くだろうし、ソファも帰ってくる頃だから間に合うし、…アタシはヒマだったし」
「「おい!」」
「オリバーには恩売って、勧誘して。ソファにはレアな敵と経験積んでもらって」
「「おい!」」
「ちょうどいいじゃないって、アリアが!」
「「おい!」」
「また…やられた!」
「ソファもか!」
「オリバーも?」
「アリアはな、鬼だ!」
「あの笑顔で?」
「あれは《《世を忍ぶ仮の姿》》だ!」
なぜか手を取り合う2人を余所にノエルが笑顔を浮かべる。
「さっ!商隊の連中の抜けかけてた魂も戻っただろうし、荷物も含めて持って帰ったら依頼完了ね。オリバー、力仕事担当でしょ。さっさと動く!」
「…連中の回復には付いてくるんだろうな?」
「とっくにトラヴァスがやってるわよ。ほら。帰って来たわよ。トラヴァス~。オリバーを案内してあげて~」
こちらへ姿を見せたばかりのトラヴァスが驚いて目を丸くする。
「なんでや!回復させたら戻って来いって言うたやんか!」
「言ったわよ?戻って来ないとオリバーを案内できないじゃん」
「なんでや!なんでそんな手間を…二度手間やないか」
「え?じゃあアンタここまで1回で運んで来れんの?」
「…くっ…!オリバー、せめて肩に乗せてくれ…」
「すまん!トラヴァス。せめて肩に乗ってくれ!俺は今自分の無力が情けない…」
「ノエルは無理や。こんな精霊使いの荒いヤツは聞いた事ない」
彼らはブツブツと愚痴を言い合いながら森の奥へ消えていった。
残された形になったソファにノエルはエルクを連れてくるよう指示を出す。
指示に従いながらもフレイルから出たヤクモに呟いた。
「ヤクモ…せめて希望という爪を立てさせて」
「いいよ。誰に?」
「ノエルとアリアに…!」
「…むり」
「まさか!ヤクモも買収済み?」
「ちがうよ。ノエルもアリアもいい人」
「それは知ってるよ。でも今回のはちょっとやり過ぎじゃない?」
「いつもすごい心配してるよ。2人ともソファのこと大好き。匂いで分かる」
「それは…わかるけど…」
「今日1番がんばってたのはノエル!」
「…えっ?」
「朝ノエルからミミズの匂いしてたよ」
「??」
「森の音ずっと、ぜんぶ聞こえてた…」
ソファは≪アルゴス≫に全て集中した時を思い出す。
――確かあの時、森の全景が掴めた気がする…
意味を理解したソファは咄嗟に振り返りノエルを探す。
――いた。すぐに彼女は≪アルゴス≫と呟いた。
いつもは背筋を伸ばし、誰よりも前を歩く彼女が、膝をついていた。
いつもは高らかに笑う声が、荒い息の音に変わっていた。
肩を上下させながら、地面に手をつき、指先はわずかに震え、張り詰めた弦が切れ、音もなく沈んでいくように、威勢も、強がりも、今はもうどこにもない。
――ソファの≪アルゴス≫に気付いてもいない。
突然≪アルゴス≫の視界が閉ざされた。
「分かった?でも、おしまい。見ちゃだめだよ」
何かを言おうとして、言葉が出なかった。
恐らく彼女が最も見られたくなかったであろう姿は、これまでソファが見て来た彼女の姿で最も美しく、そして、熱かった―。
止まっていたはずの森の風が、一筋だけ通り抜けた。
それがまるで、ノエルの息を運ぶように――。
なんでや!こんなに見えへんとこで頑張ってたのに!全部ノエルが持ってくんか?
騙されたらアカン!
見つけたのも!
回復したのも!
全部…全部俺とちゃうんか!
あん?魔力?…今回はノエルのや。アンタは非常用や、ゆうてたな。
指示?対応?…ノエルの作戦やな。アンタ考えられんの?ゆうてな。
朝のミミズ?…全部俺にくれたな。アンタにご褒美よ。ゆうてたな。
朝から頑張ってはったんや!!今日のノエルは一味違った!




