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精霊と歩む少女【旧バージョン】  作者: アインス
エピソード Ⅰ

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精霊の住処~出逢い~

窪地の最奥――そこに広がる水面は、ただの泉ではなかった。


揺らぎもない鏡のような水面に、淡い光がゆらりと浮かび上がる。


ソファは立ち止まり、息を呑んで瞳を大きく揺らした。


「……ここが“精霊の住処”……?」

「違うわ」


セレナが首を横に振り、落ち着いた声で言う。


「ここは“入り口”。奥へ進むには、導きを受けなければならないの」


ノエルがにやりと笑い、水面へ軽く手をかざした。


「素通りはできないのよ。

 ここを開けられるのは、精霊に縁のある者だけ。

 心配することないわよ~。

 ここに2人もいるんだから」


彼女の手から淡い光が広がり、水面がふるりと震える。


瞬く間に波紋は輪を描き、光の縁が浮かび上がる――。


ソファはその光に目を奪われた。


自分が呼ばれているような、不思議な感覚が全身を包んでいく。


ピエールが思わず前に出て、その光景を凝視した。


「……ここを通るのか……?」


セレナが微笑んで答える。


「そう。導きがあれば、誰でも通れるわ」


「精霊に縁を持たない者が勝手に足を踏み入れれば

 ――ここはただの池よ。ずぶ濡れになるだけ」


「……なるほど、もう一度確認だが、通っていいのか?」

「しつこいなぁ。大丈夫だって!」

「行きましょう」

セレナが静かに告げ、一歩を踏み出す。


彼女の姿が光に包まれて溶けていくのを確認し、ピエールは意を決して足を進めた。

ノエルが固まったままのソファの背を軽く押し、同じく2人も光に包まれた。



―光の向こうは、異なる世界だった。


ひんやりとした冷気の中、天井や壁一面に散らばるのは、

星屑を閉じ込めたかのような鉱石

―“燐晶石《りんしょうせき》”と呼ばれる光の結晶だった。


それらは脈動するように明滅し、洞窟のような空間全体に柔らかな輝きを投げかけている。


「……きれい……」


ソファは思わず息を呑み、足を止めた。


その光景は夜空の星を閉じ込めたようで、目が離せなかった。


隣でピエールもまた、言葉を失っている。


「……ここが、精霊の……」


ノエルは大して驚いた様子もなく、口笛を吹くように軽く笑った。


「何度来ても派手だねぇ。ま、ここじゃ反応はそうなるよねぇ」


セレナも肩をすくめながら頷く。


2人が見とれていると、足元の水面がふわりと揺らめいた。


静かだった水辺が、まるで呼吸するように膨らみ、淡い光を抱えながらゆっくりと浮き上がっていく。


それは水が重力を裏切り、柔らかな膜となって空間へ広がっていくようだった。


「……水が……浮いてる……?」


ソファは瞳を大きく見開き、無意識に後ずさる。


ピエールも剣の柄に手をかけ、息を呑んだ。


「ありえない……。これは――」


セレナが淡く微笑み、首を振る。


「驚くことじゃないわ。ここは“精霊”が支配する場所。

 この水は、精霊たちの目みたいなものね」


ノエルが肩を竦めて付け加える。


「要は“興味津々”ってこと。

 あっ!来た来た」



―ー瞬間風が洞窟の奥から吹き抜け、燐晶石の輝きが一斉に明滅する。


「うおっと!」ピエールが思わず顔を覆う間に、渦巻く風の中心で稲光が走った。


現れたのは、漆黒の毛並みを持つ猫。


毛先は深緑に染まり、たてがみのような部分には黄色の閃光がちらつく。


片耳が折れたその姿は、気まぐれな王者のように堂々としていた。


黄金色の瞳がぱっと開かれ、ピエールとソファを一瞥したかと思うと、尻尾を大きく振り払う。


「へへっ、久しぶりやなぁ。

 またお散歩いくんかぁ?」


まるで挑発するような声と共に、ノエルの肩へ軽やかに降り立った。


「トラヴァスぅ!やっぱり派手に出てくるわねぇ」


ノエルはどこか得意げに笑みを浮かべ、頬擦りをしてくる精霊を乱暴にあやす。


ソファは呆然とその光景を見つめ、ピエールは剣にかけた手を下ろせずにいた。



水の膜が再び波紋を広げ、今度は淡い紫の靄がふわりと立ち昇る。


その香りは甘やかで、どこか懐かしい花の匂いを思わせる。


靄の中から、しなやかな尾を揺らす一匹の狐が現れた。


白銀の毛並みに紫が滲み、切れ長の瞳は妖しくも艶やかに輝いている。


「―おやおやぁ?ようやっと逢いに来てくれはったぁ思たら、

 こないぎょうさんで来ましたんかぁ?」


艶やかな声が洞窟に響く。


「シェルティ……」

セレナは小さく呟き、その瞳を細める。


妖艶な狐は、ゆらりと尾を揺らしながらセレナを見上げる。


「このままご無沙汰やったら、拗ねて二度と出ぇへんとこやったわ」

セレナは苦笑を浮かべ、小さく頭を下げた。


「怒ってへんよぉ。お迎えご苦労さんやなぁ」


「……な、何だこれは……!」


突如として現れた二柱の存在に、ピエールは愕然と立ち尽くす。


「――喋った……猫と、狐が……?」


現実感がずれる。だが、二柱は彼に一瞥もくれず、同時にソファを見た。



トラヴァスは鼻先をひくつかせ、黄金の瞳を細める。


次の瞬間、洞窟の奥――水面に浮かぶ揺らぎへと視線を鋭く向けた。


耳がぴくりと動き、毛並みがわずかに逆立つ。



シェルティもまた、艶やかな紫の瞳を細めしなやかな尾をゆるりと―


まるで扇をたたみながら相手の出方を計るように尾を揺らし、

奥の気配に細やかに耳を傾けている。


ソファは胸の奥が妙にざわめくのを感じていた。


足元の水面は彼女の心臓の鼓動に合わせるかのようにわずかに震え、淡い光の輪が広がっていく。


「……え……?」


思わず声を漏らすと、背後からピエールが慌てたように声をかけた。


「ソファ、なにか……水が……!」


彼の視線の先で、水面は柔らかに揺らぎ、彼女はただ自然に歩を進める。


ノエルとセレナは声をかけることなく、その背を静かに見守っていた。


トラヴァスとシェルティの反応には気づかないままに―。


―予想だにしなかった存在を前にしたかのような表情にさえも…。



ソファは自分でも理由がわからぬまま、ただ無意識に揺らぐ光の道を進んでいた。


空間全体が息を呑むように静止した。


燐晶石の光が一斉に揺らぎ、洞窟は昼も夜も越えた、

空気は重くも澄み、呼吸一つで胸の奥まで浄化されるかのようだった。


その中心に、淡い光の柱が立ち上がる。


水底から浮かび上がるように、柔らかな輝きがソファを包み込む。


「なっ……!」


ノエルが低く呻く。


空間を埋め尽くした光はやがて収束しひとつの輪郭を結ぶ――


小さな、ふわふわとした毛並み。


灰がかった黒の毛並みが光を受けて艶やかに浮かび上がり、左右の瞳は異なる色で輝いていた。


空間を震わせた神聖な光景を打ち砕くように、あどけない声が洞窟に響いた。


「ボク、ヤクモ! よろしくね!」



―現われたのは、あまりに人懐こい表情を浮かべる小動物であった。


小さな足をぱたぱたと振り回し、

数回ソファの足元をくるくる回り胸元へと飛び込んでいく。


「ひゃはっ……くすぐったい!」


ソファは慌てて両腕で受け止めながら笑い声を上げた。


毛並みは驚くほど柔らかく、頬にすり寄ってくる温かさが信じられないほど心地よい。


「こ、これも……精霊なのか? どう見ても……ただの……犬にしか……」


ピエールはさらに混乱し、腰の剣に手をかけながらも半歩後ずさった。


「…なんなのこれ……」


ノエルは目を剥き、吐息混じりに言葉をもらす。


セレナも珍しく真顔になり、わずかに目を細めた。


出現時の威容と、いま目の前にいる存在との落差に、場の誰もが立ち尽くしていた。


「え、えっと……成功ってことでいいの……?」


ソファの困惑混じりの声は自然と震えていた。


「……ここじゃ、落ち着いて話せないわね」


セレナが静かに周囲を見回し、ソファの背を軽く叩いた。


「そうだね、一度出よっか」


ピエールは未だに状況を飲み込めず、剣の柄に触れたまま立ち尽くしていたが、

燐晶石の輝きが再び揺らぎ、彼らを包むと次の瞬間、

視界は白く塗り替えられ、気づけば再び泉のほとりに立っていた。


淡く光る水面に、外の空気が混じり合い、静けさが戻っていた。


ソファの腕の中でヤクモは丸まっていたが、やがてぱちりと口を開いた。


「ねぇねぇ、何するの?おなかすいたー!」


あまりに無邪気な声に、ソファは思わず固まった。


「……えっ? た、食べるの?」


ヤクモは尻尾をぱたぱたと揺らし、頬をすり寄せる。


ノエルは吹き出し、腹を抱えながら笑った。


「ははっ!こりゃ傑作だわ!

 あの大仰な出方しといて、これ?

 ……いやー、可愛いけどさ!」


セレナは真剣な視線をヤクモに注ぎ、ゆっくりと頷いた。


「間違いなく精霊ね。

 ――けれど、少し変わっているわね」

「変わってる?」


ソファが首をかしげると、セレナは言葉を選ぶように続ける。


「……名の響きがね、“此方”じゃないの」

「……此方、じゃない?」

「ええ。名を持つ精霊には二つの系統があるの」


セレナは淡い光を帯びた泉を見やりながら続けた。


「ひとつは“此方の名”。この土地に根ざした響きを持つもの。

 文献や伝承にも多く残されている。

 …一般的には伝説上の生き物、空想の存在として語られることの方が多いわね。

 一部の人間はそれを“精霊の名”として理解している」


ノエルが頷き、笑みを浮かべる。


「だからシェルティやトラヴァスみたいな名は、知ってる奴は結構いるんだよ。

 おとぎ話とか、昔話の題材になったりもするからね」


セレナは視線をソファの腕の中の小さな存在へ戻した。


「もうひとつが“彼方の名”。……遠い響き。存在しないはずの名。

 伝承にも記されず、“精霊の虚構”とまで呼ばれることがある。

 実在を疑われることも多いの」


ノエルが腕にまとわりつくトラヴァスの肉球をいじりながら、肩をすくめた。


「普通はね“精霊が応じた時点”で、

 その人間の属性が分かるんだよ。

 例えばこのトラヴァス。雷と風、二つを扱う精霊なのね」


「ふふ、私のシェルティは風と木。

嵐を呼ぶか、森を芽吹かせるか……どちらの力も持つわ」

セレナは淡い笑みを浮かべ、銀紫の尾を揺らす狐を撫でる。


ピエールが問う。


「つまり、顕現した精霊を見れば……

 その者がどんな属性を持つか、一目で分かるということか」


セレナは小さく頷いた。


「そう。火か、水か、風か、木か……

 精霊は人の魂の傾きを映す鏡のようなものだから」


ノエルが指を立てて補足した。


「それと――一応、ランク付けがある。

 ひとつだけの属性を持つ精霊より、

 二つ扱える精霊の方が上位だったり

 会話が出来るかどうかとかね」


ソファは腕の中の小さな精霊を見下ろし、思わず呟いた。


「じゃあ……ヤクモは、どんな属性を持っているんだろう……?」


ヤクモはソファの腕の中で尻尾をぱたぱた揺らしながら、

きらきらした瞳で見上げた。


「ねぇねぇ!ボクの力、見たいの?見たいんでしょ?」

ソファは思わず固まる。


「えっ……ちょっと……いきなり?」


ノエルが素早く割って入り


「ちょい待ち、ちょい待ち!

 ここでやらかされたら洒落になんないでしょ!」


セレナも同じく真顔で声をかける。


「……そうね。少なくとも、試すには危険すぎるわ」

「大げさだねぇ、ちょっとだけ見せてあげる!」


声と同時に、小さな光の玉がヤクモの足元に灯った。


それは赤とも金ともつかぬ色で、じりじりと火を宿すように揺れ、

やがて細い光の糸を垂らす。


光の粒はゆっくりと落ち、宙に消える前にかすかに弾け――

ぱちり、と儚い音を響かせた。


淡い光は、火にも雷にも似ているが、どちらとも言い切れない。


残り香のようにきらめきを残しながら、

最後には煙のようにすっと掻き消えていった。


ノエルは腕を組み、険しい表情で光の消えた空間を睨んだ。


「火でも雷でもない。けど、どっちの性質も含んでる……」


セレナも静かに頷く。


「そうね。今のは二つの属性が重なり合った“兆し”に見えたわ」

「……私も、二つ……なのかな?」


セレナは少し考え込むように目を伏せ、やがて囁く。


「二つ、どころじゃないかもしれない。

 だって――“どの属性にも当てはまらない”っていう可能性があるから」


「どうして?」

「覚えてない?ソファはさ、

 ついこの間、アタシに言われて土壁出してたじゃない」


ノエルは眉をひそめ、指を突きつけた。


「土は土、いわば地属性だよ。さっきの妙な光とはまったく別物。

 だから…二種どころじゃ済まないってことになる」


セレナが言葉を継ぎ、静かにまとめた。


「つまり――属性という枠組みそのものに当てはまらない。

 それが“彼方の名”を持つ者の特徴かもね」


ヤクモはソファの腕の中で胸を張り、

自分の特別さを誇示するかのように、小さな顎をくいっと上げた。


「とりあえず今日は戻りましょう。

 ここじゃ、話を広げるには落ち着かないわ」


一行は泉のほとりを後にした。


帰り道、ノエルがふと思いついたように口を開く。


「……ねぇ、せっかくだし少し寄り道しない?

 精霊の力、ここで試してみるのも悪くないでしょ。

 トラヴァスにご飯あげなきゃだし、シェルティもでしょ?」


ノエルが振り返り、にやりと笑うと

セレナも苦笑まじりに頷いた。

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