それぞれの道①
オロディア軍の退却は無秩序な混乱の中で始まったが
その中でムタレン将軍の輿は、混乱の真っ只中にありながらも堂々とその場を占拠していた。
周囲には震える側近たちと、ひっそりと涙を流す連れ帰った一部の愛人たちが控えていたが、将軍の顔は無表情で険しい。
「それで?この状況をどう説明する?」
側近は我が身への叱責と処分を恐れ、目を伏せながら一瞬の沈黙の後、震える声で絞り出した。
「先陣指揮官の若造ピエールめが、
…敵国と通じていた可能性がございます」
その言葉にムタレン将軍は一瞬目を細めるが、
すぐに我が意を得たりと笑みを浮かべる。
「裏切りか…。さもあらんのう…
本国より目付に来たと言っておったが、
敵に通じておったのなら得心よのう?
あやつの妻…ファニーだったか。…我が前に連れて参れ」
側近の一人は即座に応じ、急ぎ処理の準備に動き出す。
「本国にはこう伝えろ。
『部隊の壊滅はタキミンの独断による無謀な突撃によるものであり、
さらに裏切り者の存在が原因だった』…とな!」
この言葉を聞いた側近たちは皆、彼が部下の将軍や兵士たちに全責任を押し付け、
自身はその責を免れる算段に気付いてはいたが、もちろん声に出すものは誰もいない。
退却を始めたオロディア軍兵士たちの疲弊は限界に達していた。
戦場での補給は途絶えており、最初の頃は略奪でしのいでいたが、
進むにつれて略奪する対象すらもなくなっていった。
夜道を進む兵士たちの中には、空腹に耐えかねた者が地面に倒れ込み、
その場で動かなくなる者も珍しくなかった。
将軍の輿の周囲は比較的秩序が保たれていたが、それは単に彼の冷酷さに因るものだった。
「体の動かない者は切り捨てろ。奴らはもう兵士ではない」
命令に従い、動けなくなった兵士たちは次々とその場で切り伏せられていく。
ある兵士が叫ぶ。
「俺を置いていかないでくれ!まだ戦える!…頼む!」
だが、その声は刃の一閃と共に途絶えた。
近くで見ていた別の兵士が震える声で呟く。
「…動けなくなったら、ああなるのか」
「俺たち、進軍前に食糧が全然足りないって言ったよな?」
「そうだ。あの時も、誰も聞いちゃくれなかった…」
「そもそもなんであの国に攻め込んだんだよ?」
「言っても聞くわけないだろう…」
兵士たちはこの戦が最初から勝ち目のない死の谷への進軍だったことなど分かり切っていた。
やがて兵士たちは、勝手に道を外れ、群れから離れていく者が後を絶たなくなる。
後ろを振り返ることなく薄暗い道を進む彼らの姿は、残された者にさらに絶望を刻み込んでいく。
残ったのは、ムタレンに忠誠を誓ったほんの僅かな部隊と、
命じられたことに機械的に従う者だけだった。
後日、ギルドにて
―― コードの武勇伝『前線指揮官と故郷の新妻“2部”』より ――
センスのいい家だったねぇ。
ハッピーエンドのストーリーじゃあ主人公が故郷の恋人の元へ帰るだろ?
なぜかヒロインが外にいるタイミングで、主人公が返ってくるんだよなぁ
ヒロインが顔向けた先には思い人が立ってやがるんだ。んで抱きあってめでたしめでたしってな。
そん時の背景にある家だよ…。うらやましいなチクショウめ
でよ、約束通り“指揮官様のお姫様”を見つけたわけだ。
当然聞いてた通りの場所に、聞いてた通りのお姫様。
想像通りの監視どもってな具合よ。
どうやらお姫様は監視に気付いてないらしい。
監視は監視で命令あるまで手は出さねぇって感じだ。
初日は様子見といきたいところだが状況が動いてからじゃ遅ぇからな。
買い出しがてら周辺の観察してその晩に決行よ。
兵は拙速を貴ぶってな。
暗くなるのを待って愛の巣へお邪魔したのさ。
麗しのお姫様には悪いが俺にとっちゃあナイスタイミングだったねぇ
…おい、ちょっと耳貸せよ。
お姫様はよ、白磁みてぇなお上品な肩先はいかにも華奢なんだ。
だがよ!そんな体からは不釣り合いな隆起が…
そりゃあ牛の角に似た大胆なカーブでよ!
雪白の柔肉…だが張りつめて豊満…
どうよ?生ツバもんだろう?これ以上は言えねえがな。
”偶々””偶然””運悪く”着替えの最中だったんだよ。
もちろん気付かれねぇように”しっかり観察して”背後から忍び寄る。
これは大事なことなんだ。
声を上げられるわけにはいかねぇからな。
もちろん与えられたご褒美はしっかり目に収めてきたがな。
そっと背後から口を塞いで捕獲完了だ。
あとはピエールが首にぶら下げてやがった指輪を見せて一言。
「ピエールの遣いだ。あんたは今監視されてる。
逃がしてやるように依頼を受けてる。
この指輪を証拠に見せれば分かってくれると聞いてるが…いいか?」ってな。
こういうのは勢いと冷静さを装うのが“コツ”だぜ?
低い声で有無を言わせずってやつだな。
お姫様からすりゃあ軽いパニックだろうが、
見間違えようもねぇ“ブツ”は目の前にある。
大人しく言う事聞いてくれたもんよ。
脱出は簡単さ。
そりゃあ入れたんだから出れるだろうよ。
素人の監視なんざぁ、監視の内に入らねぇ。
愛しの旦那様が遣わしたキューピットとともに逃避行の始まり、
俺たちは夜の闇に溶け込むように、姫を連れ脱出を果たしたのさ。
あ?鼻がどうしたって?
こりゃあお前あれだよ。拝観料ってやつだな…
―――――――――――――――
戦いを終えた一行が首都へと帰還する道。
控えめで質実剛健な門の前、両脇に立つ兵士が無言で礼を送る。
その視線には敬意と憂いが混じっている。
初めて訪れるこの国の首都…
整然とした町並みも、柔らかな灯りも、彼女の胸に巣くう重い影を払うことはなかった。
歩きながら、彼女の心は別の場所を彷徨っていた。
「ソファを頼む…」
デイルが最後に残したその言葉が、胸に深く突き刺さる。
目を閉じれば、彼の傷ついた顔が浮かび、その手の温もりを思い出してしまう。
必死に命を繋ごうとした彼の姿。
あの時、彼は笑おうとしていた。
微かに震える唇で、力なく微笑もうとした。
彼の言葉が胸の奥で繰り返されるたび、ソファの目には涙が浮かんだ。
彼女は顔を伏せ、足元を見つめながら、自分の無力さを噛み締めていた。
城門を抜け、木々に囲まれた小径を進むと、館の前に広がる広場に一行はたどり着いた。
木造の建物は、その規模の割に簡素だが、
整えられた庭や、手入れの行き届いた敷地が上品さを感じさせる。
豪奢さはないが、見る者に落ち着きを与える佇まいだ。
帰還した一行は重い体を引きずるように腰を下ろし、広場の石畳に座り込む。
誰もが言葉を失っていたが、その中でも投降兵たちの表情には、安堵と不安が入り混じっていた。
アリアが出迎えの者たちと何やら打ち合わせをした後全員に声をかけた。
「オロディアの方たちにお話があります。
先にお伝えした通り、皆さんにはこれから二つの道をご提案します。
安定した生活を望む方は、開拓地へ向かいます。
農業や建設作業、護衛任務などに従事することになるでしょう。
もう一つは、戦争終結までギルドに一時的に加入し、戦いに加わる道です。
ただし、これは十分な覚悟が必要ですし、こちらから強制することはありません。
どちらにしても皆さんの安全と生活は保障します。
質問やご相談はあちらの屋敷で受け付けますので
少し休まれたら屋敷までお越しください」
アリアの説明に、投降兵たちは迷いながらもそれぞれの道を選び始めた。
広場に腰を下ろしたハンターたちは、それぞれが思い思いの時間を過ごしていた。
静けさの中、彼らはそれぞれの心に残る傷と向き合いながら、次の行動に備えていた。
その夜、ソファは眠ることなく星空を見上げ、心の奥底で小さな決意を固めていた――。




