6、小春凪に漂ふ理想
「今日は街に出ようと思うんだ」
見上げる穹は高く、震えるほどにひどく蒼い。白い微粒に取り巻かれた陽光に僕は思わず目を細める。丸みを帯びたつば付帽を戴いて冷たい空気の中を一歩、踏み出した。その隣には当然のようにジルがいて、針金のような体を暗色のトレンチコートで包んでいる。
「外出とは珍しいな。いつも机にへばりついて、そのまま干物になっちまうかと思った。」
「それはそれは、随分な物言いだねぇ。僕だって息抜きぐらいするよ。」
なだらかな石畳を二人分の足音が叩く。一方はブーツ、もう一方は薄いレザーシューズである。
段差を上り切った先には馴染みの売店がひっそりと営業している。狭い店に煙草、安酒、甘味、月刊誌、缶詰等々がこれでもかというほど詰め込まれ、雑多さが溢れ出んばかりである。
以前の「僕」もよく利用していたらしい。今の僕もこの空気感が好きだ。この混沌に身を埋めてみたくなる。
無口な店主から新聞を受け取ると、石畳はそのまま道なりに表通りへと続いていく。等間隔で並ぶガス灯が今は沈黙し、我慢強く佇立していた。
広い道へ出ると、凍てついた街が僕らを迎えた。日差しは多少の熱を持つものの、風は肌を刺すように冷たい。
僕は視線にやり場を与えるように白黒一色刷りの紙片を見た。余白を残すまいと羅列した文字列が味気なく横たわっている。
一通り目を通して顔を上げると、碧色の眼が僕を見ていた。僕の歩調に合わせてゆったりと、微かに冷気を纏って隣にある。
「クーデターだってさ。北方で」
僕は彼にも見えるように誌面をはらりと揺らした。その前を幌付き馬車が、摩耗された車輪を軋ませつつ騒々しく駆けて行った。
ジルは興味深そうに僕の手元を覗き込んだ。少し前屈みになって視点を下げるその様子はちょうど、蜜蜂を待ち伏せる蟷螂のようである。
「へぇ...憲法を無視した議会弾圧か。共和派の主格が追放されたらしいな。」
馬車が纏う鈴の音が消え去って、西風が後を追った。
「ここのところ移り変わりが激しいからねぇ。僕としては懐古的な専制君主が懐かしくなってくるのだけど。」
「おや」
ジルは器用に片眉をあげてみせた。
「議会政治はお気に召さないのかい?一庶民として今のは聞き捨てならないな」
僕はひらひらと空いている方の手を振った。
「議会だ民主制だの言ったところで、無知が集えば塵に等しい。僕はそう思うんだ。もちろん、人権の普及という面において先の革命に意義は感じているけれど、そこまでかな。限界点があるんだ。」
この国にも微弱ながら革命の余波が流れ付き、その中枢にささやかな一石を投じたことは否めない。そしてそれ自体は悪ではない。
大通りを右に曲がって細道へ。微弱な日差しが遮られ暗闇が溜まっている。
「つまり、前提条件として、民衆にある程度の知性が必要だと?」
僕の背中に静かな声が飛んだ。
僕はゆっくり振り返って彼を見た。
「そう。それに加えて、個人のカリスマ性と統率力。群衆が求めているのは結局それだよ。まるで迷子の羊のように先導者を渇望する。」
緩やかな降り段差を一段、また一段と降りていく。下っていくたびに静寂はより鋭利になり、空気さえもじっと息を潜めている。
少し開けた道の奥で、黒猫がこちらを見つめていた。身じろぎひとつせずに 金色の瞳がじとりと僕を見定めている。
「さて」
さて、楽しい楽しい歴史のお時間です。




