5、饒舌な午後に
お待たせしました。やっとテスト終わったんですよ。頑張りました。
「こんにちは、ジル。また来てくれたんだ。」
穏やかな午後の日。僕はにこやかにそう言った。
対面の男は、貼り付けた嘘を一枚剥がしてきたようで市民らしい格好をしていた。煤はすっかり消え去って今度は顔が露わになっている。
「当然だろうアリス?俺は約束は守るほうだ。」
約束。僕の友人であり続ける,という嘘を彼は守るつもりらしかった。切れ長のつり目が細められ、微笑む。
「ふぅん...それは良かった。」
僕は執務室の机の上で羽根ペンをくるくると回した。かすみがかった羽が傾いた日差しを柔く返す。
実のところ、僕にとっての「友人」というものがどういう存在なのかさっぱりわからなかった。それが僕にどう関わってどう影響するのか。結局のところ、昔の僕が執着していたものを無い物ねだりしているだけにすぎないのかもしれない。それでも。
「それで?君は、友人としての責務を果たしに来てくれたの?」
僕は微笑みを返した。
「せっかちなお客様だ。責務、なんて堅苦しいものじゃない、ただ会いに来ただけさ。」
ジルは呆れたように肩をすくめると、無造作な足取りで歩を進めた。長椅子を通り過ぎ、毛織のラグを踏み越えてまっすぐ僕の元へ。
「あいにく、待たされるのは嫌いなんだ」
光に透かした羽根ペンは冴え冴えと白い。柔らかな影の落ちる机は雑然としていた。未開封の手紙にインク壷、無骨なランプシェードといくつかの封蝋印。いずれも僕には見覚えなく、しかしこの部屋に居心地よく収まっていた。
ジルはそれらを一瞥した後、ある一点で目を止めた。
「懐中時計か。随分古い型だな。」
栞紐を間に咥えた革装本が無造作に積まれた、その上。鈍く光るそれは彼の注意を引くには十分だったらしい。
「ああ、それ?」
僕はおもむろにそれを取り上げると、じっと眺めた。
琥珀色に燻んだ真鍮の縁取りに唐草模様のレリーフが光る、古き良き時代の一品である。蒼く灼かれた分針が眠たげに音を鳴らした。
「僕のお気に入りらしくてねぇ。愛用してたんだって。」
そう云う僕の言葉はあたかも他人事のように虚しく落ちる。
「彫刻は銀か?」
尋ねる声はさりげないが、心なしか鼎の軽重を問うようにも思えた。
「ううん。僕混血種だから。」
混血種。第三身分の大多数を占める人種であり、大きな特徴として、銀に触れられないことが挙げられる。銀が世界貿易の主流となった今、それは国民主義が広まりつつある各国で欧州旧体制をずるずると引きずっている要因の一つでもある。
僕は時計のチェーンを弄びつつにこりと笑う。
「でも、そう聞くってことは君は混血種じゃない。きっと純血種でしょ?いいなぁ、君は銀でもいちいち気にせずに好きに扱える。」
「さぁ、どうだろうな」
ジルは否定も肯定もせず曖昧に笑った。
分針がまた小さく音を立てて進んだ。12の方向につけられたつまみへ手を伸ばし軽く触れる。僕はふと思いついてその突起を押し込みながらゆっくり回した。内部から伝わる機械的なゼンマイの振動。しかし、時計の針はいつも通り規則的に時を刻んでいる。
「ねぇ知ってた?昔ながらの懐中時計にはオルゴールを内包することも多いんだってさ。」
僕も最近知った事実だ。いや、正確には最近知り直したと言った方が正しいか。体温がほのかに移ったつまみから手を離し、6時の方向側面の凸部位に手をかけた。
その時だった。
「では、当てて見せようか。」
ひやりとした温度が僕の手に触れた。ギルが、時計を持つ僕の手に触れたのだ。冷たい。僕よりもずっと。
「何を?」
僕は時計の秒針に耳を澄ませて、できるだけ平然と取り繕った。
「今から流れるその曲を。そうだな...ハンガリー狂詩曲、第2番。そうしよう。」
彼の手は僕の指先まですっぽり覆えるほどに広漠だった。伝わる体温は生きているそれとは思えないほどにひどく冷めていた。
「できると思う?幾千の曲のレパートリーから一つを?」
僕は苦笑した。
「できるさ。きっとね。」
近くで見るジルの瞳は獲物を見極めるかのようにじっと揺らがず、ただ微笑を湛えていた。
そして曲は流れ出した。
ローファンタジー=「産業革命が始まったが旧制度が残る近代ヨーロッパで、かつ五話目でようやくファンタジー要素に触れる話」...????




