12,思惑の踊る社交界にて
前エピの続きです。
広間は人でいっぱいだった。淑女の纏うドレスが柔らかな光沢を放って散りばめられている。底面の大理石の上に咲いた色とりどりの華のようだ。香水や蜜蝋、料理の香が入り混じって鼻が利きづらい。まったく、血や火薬の気配の欠片も感じさせないこの空間はふわふわして落ち着かない。とても妙な気分になる。ループタイを指先でいじると、煙水晶がカチリと光った。
さて、行くか。
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舞踏室をぐるりと囲む回廊もまた、多くの人で賑わっていた。休憩がてら立ち話をする令嬢、ダンスの相手を見定める若い男、娘の行動を嗜める母親たちが各々の思惑を胸に密かな駆け引きが行われていた。その場所に、青年が一人、佇んでいた。
灰褐色の髪先が後ろに流れて、剥き出しになった耳には銀のピアスが光る。やや長めの髪の間から覗く目はひどく冷淡な灰色で、凛と前を見据えるその姿は全く血の通っていない人形のような、非人間的な何かを想起させた。好奇の視線と熱気を気にもせず、端麗な横顔が階下のダンスホールをじっと見つめている。それは、あたかも獲物を探し当てるサーバルのようにも見えた。彼の名前はエドワード・アーネル。この煌びやかな世界に紛れ込む、一匹の嘘つきである。
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そう、あくまで余裕綽々と。僕は、目下でいくつものドレスがくるりと回り、そのたびに咲いたりしぼんだりするのをぼんやりと眺めていた。絢爛な壁画も、頭をもたげて揺れる、とある問題の前では壁に広がった大掛かりな染みに見えてくる。
ずばり、その問題とは、「いかにして第一派閥の懐に潜り込むか」といったところである。
僕ーエドワード・アーネルは、第二皇子派、いわゆる「第二派閥」に属している。異なる派閥にのこのこと踏み込んでいけば、当然警戒され、その実態を知ることは難しい。今回のケースにおいて、この肩書きが不利にはたらいた、という訳だ。その一方で僕にとっての利点もいくつか存在する。
利点の一つは、僕が中位武家の三男坊であり、この混沌とした社交界におけるに無知に見えること。そしてもう一つは、そんな僕の指先が、剣の柄を握るためでなく、獲物の懐から音もなく品を抜き取る不届きな技術が本業であるということだ。
僕は左脇に折りたたんだ帽子を、軽く抱え直した。緊張で無意識にループタイをいじっているふりをしながら、ゆっくりと歩き出す。僕は通路の先にいる、僕と似た背丈の男を見据えた。年は僕より上だろうか。僕はあえて、やや足元がおぼつかない、この場に気圧された「不慣れな田舎貴族」の足取りで彼の左側へと近づいた。
そして彼とすれ違うその瞬間、僕は微かに体勢を傾け抱えた帽子の先端を、彼の豪奢な上着の脇ポケットへかすめさせた。同時に、僕の右手の指先が、彼のポケットのふちに引っかかっていた嗅ぎタバコ入れの、冷たい銀の彫刻を捉える。手袋越しに冷たい感触が伝わってきた。人差し指に引っ掛けたそれを音もなく引き抜く。そして、僕の抱えた帽子が死角となってその手際は映らない。
すれ違いざま、相手は僕を認識したはずだ。しかし、視線すら合わせない。その価値がないと判断されたのだろう。
すれ違って、正確に三歩。僕はわざとらしく足を止め、ハッと息を呑んで振り返った。その瞬間、僕の瞳から冷たい色が拭い取られ、いかにも場慣れしていない若者の顔を作る。
「――失礼、閣下!」
通る声で呼びかける。相手の貴族が、不快そうにゆっくりとこちらへ振り返った。その瞳に、僕の差し出した「それ」が映り込む。
「足元に、こちらが。......貴方様がお落としになられたのでは?」
僕の手のひらの上には、精緻な純銀の細工が施された嗅ぎタバコ入れが載っていた。相手の眉が、ほんの一瞬だけピクリと跳ねる。彼は自分の上着のポケットへ、無意識に、だが完璧に気取られない優雅さで手を伸ばし――そこが空であることに気づいたようだった。
「......私の、だな」
相手は、自分がポケットから落としたとでも思い込んでいるだろう。社交の場で私物を落とすという、エチケット上の小さな失態。それを救った、いかにも不慣れで実直そうな、第二派閥の男。
そんな僕の様子に相手は安心したように淡白な笑みを浮かべた。
「ありがとう。君は....?」
ああ、ここまでくればもう容易い。今まで何度もやってきたことだ。
「僕ですか...?エドワードと申します。このような場でお話できる機会を持てたこと、大変光栄に思います。」
僕は上半身を軽く傾け、恭しく礼をする。わざわざぎこちなさが覗く角度に調節して。
Bleed(出血する)の語源がBloom(花が咲く)で、花が咲くように血が吹き出すという意味合いになっていることに鳥肌がった今朝。




