5.0:マジカル透明少女世界
ペラペラの栞が好きだ。
なんなら、本を読むこと自体より、あの長方形の物体を集めたり眺めたりしている時間のほうが好きかもしれない。
昔は自分で作ったものを、知り合いに配ってみたりもしていた。
もう飽きた、そんなにたくさんあっても使えない。彼らがそんな表情を浮かべ始めたのを敏感に察知して、すぐにやめたが。
それでも、親戚中に栞入りの封筒を送りつけていたあの時期は、まあまあ楽しかった。かもしれない。
何はともあれ、つばさは図書委員である。
バスケ三昧で生きている楽天家、という立ち位置を自己紹介で固めたため、図書委員に立候補したときは余暇と享楽を求めての挙手だと思われたかもしれない。
しかし実のところ、真っ当に活字中毒なのである。彼は。
意外だ!? というツッコミは甘んじて受ける。何せ自分自身でも、意外だと思うので。
具体的に何が意外かといえば、小学生の時点でバスケに興味を持ってしまった自分が意外である。生涯インドア派で貫き通すはずだという根拠のない確信は、九歳で崩れ去った。
周囲の思う意外とは、順序が逆である。
つばさの本質は、孤独を好み続けている。
そういう人間なのだ。
ちなみにつばさは明確な優等生であり、カウンター当番をスッポ抜かしたことは一度もない。
逆に同じクラスでペアの女子は忘れっぽくて、すでに何度もやらかしている。ついに彼女のほうから、「私の当番の日はどうか声をかけてください。私はものを覚えているということが本当に苦手なのです」と拝み倒されたときは新手のギャグかと思ったが、どうもそうではないらしく。困っているならと了承すれば、彼女は非常に喜んだ。
その程度で喜んでいただけるなら、とつばさは困惑しながらどういたしましてを言った。
別にこちらにとっては大した仕事ではない。
それにしても、毎回彼女がからっきし覚えていないのには驚いた。当番でないつばさが覚えていて、彼女のほうは忘れているというのが日常茶飯事になっている。しかも毎週同じ曜日である。何をどうすればそのような忘却の才能が手に入るのだろうか、と半ば感動してしまう。
そんなに図書委員の仕事が嫌いなのか?
いや、それだけはありえない。
何せ、そこそこ人気のある図書委員を最終的に勝ち取ったような人間である。まさか仕事内容を予測できていなかったとは言うまいし……では、なぜに?
人には向き不向きがあるのだろう。と、結局つばさはそう結論付けた。
というか、それ以外に要因は思いつかなかった。
別に、図書委員の仕事を忘れるくらいは問題ないのだ。現につばさの協力さえあれば、彼女はすぐに思い出すことができる。
しかし、四六時中これなのか? と考えてみると、さすがに多少心配にはなってしまう。
なぜか。
この世で生きていく中で、彼女が覚えておくべきことは図書委員のカウンター当番だけではないからである。
人と結んだ約束を片っ端から忘れていては、不誠実のレッテルを貼られてしまう可能性が非常に高い。
本人にどのような事情があろうが、解決したいと思って頑張っていようが、攻撃したい人間は相手の事情や心情など考慮しないのだ。
……とまあ。
そのような思考の結論を、可能な限り柔らかくしてオブラートやら砂糖衣やらに包み込んでそれとなく本人に伝えてみた。
その結果はというと。
「だ、大丈夫だよ? うん。これでも私は今まで生きてきたわけであって……そう! これからの人生も同じように生きていけると信じてるから!」
「あはは……まあ。確かにね?」
「それにね。私は、すごくラッキーガールだから」
またしてもすっかり当番を忘れていたらしい彼女が言うことには、人生はラッキーなやつが得をするようにできているらしい。
ふむ、当たり前の論理では? そう首を傾げざるを得ない言葉だったが、話の導入としては悪くない。いかにも当たり前のことを、特別な意味を持たせて語ることは、逆に人の注意を惹きつける常套手段だ。
こちらの心配が正しく伝わっているかという点については、あまり考えないことにする。
「だって、私の周りの人って大体みんな優しいんだ。私が何度忘れても、根気強く教えてくれるんだよ? いやもう、あり得ないくらい知り合いガチャ運強くない? ねえ?」
「………」
「いやもう、これは人生勝ち組って言っていいでしょ! ラッキーすぎて、何があっても大丈夫な気しかしないな。うんっ」
もしや、と思う。
その『周りの人』の中に、今現在の話し相手を含んでいるのだろうか? まさかね?
……いや、このように能天気な彼女のことである。当然含んでいるのだろう。
きっとそういうところが、あなたがおっしゃる『強運』を引き込む第一の要因になっているのではないでしょうか。どうお考えになりますか。
浮かんだ仮説を伝えるべきか秘めておくべきか、少しばかり迷う。
何と切り出せばいいのかわからなかったので、結局は何も言わないことにした。
「つばさくんもそうだよ。めっちゃくちゃ優しいじゃん」
……などと、思考するばかりで口に出さない傾向がある自分が恥ずかしくなるほど、彼女はあけっぴろげだった。
「……いやこれ。俺、なんて返せばいいのかな?」
「えっ、な、なんだろう!? 私だったら『ありがとうございます!』って反射で答えちゃう気がするけれども。つばさくんはキャラ的にちょっと違うよね?」
「ぷっ、あははっ」
「笑わせちゃった……どうしよう」
「ははっ、全然問題ないんじゃない? 泣かせたんじゃないわけだし」
「確かにそうだった!」
ああ、まったく。
なんて愉快な人だ。
びっくりするほど気分が明るくなった。
「そういえば俺、本の栞集めてるんだよ。あとベルマークとか。ヨーグルトのカップとか」
突然思いついたことを、脈絡なく言ってみた。特に理由はない。
「色々と……集めてるんだね?」
「そう。なんか誰かに言ってみたくなったから」
「あっ、私もよくそういうことある! それで困惑される!」
こんな感じで会話が弾んだ。
ああ、すごく楽しい。
つばさは本当に久しぶりに、他人と過ごす時間を好きだと思った。
彼女と話す時間は、楽しかった。
知り合いガチャ運に恵まれているのは、もしかすると、自分のほうかもしれないと……そんなことまで、思うほどに。
*
「貸し出しですね。それでは———」
学校図書館の昼休み。
利用者はそこまで多くはないが、それでも一部の本の虫は足繁く通う。
ここで読む必要はない、持ち帰って一人でゆっくりと……という生徒たちのために、貸し出しのシステムもある。
いつものように、カウンターで本を開いて時間を潰していた。
そこに訪れる、一人分の人影。
貸してください、というその声に従って機械的な仕草で立ち上がり、貸し出し手続きを遂行しようとして。
つばさは不意にその手を止めた。
不審者がいた。
「は?」
あるいはコスプレイベントに参加してきたばかりの生徒、という可能性もあったが……それはもう、ほとんど除外していい可能性だろう。
「よっし、賭けに勝ったわ! なるほど、つまりこうすればよかったのね?」
「……すみません。不審者ですか?」
「えー、あっと、どうしよ。なんて説明するべきか……んー休み時間はあと五分で終わっちゃうし、とりあえず呼び出し状を渡しておくわ! あなた、全部ちゃんと説明するから、放課後に校舎裏へ来なさいな!」
「不審者ですね」
「わわっ、違うのよ違うの! ただ私はちょっと普通と違うだけ! ね、見た目十代の女の子でしょ! こ、ここの生徒……そう、生徒ってことにして、見逃して! あっ、ほらっ、休み時間ギリギリいっぱいまでおしゃべりして、信頼関係築くっていう手もあるわね! うん、それで行きましょう!」
とりあえず司書教諭を呼ぼうと心を決めたつばさの腕を全力で抑えてくる不審者。
ギョッとして腕を引っ込めなかったのは、意地だった。この年齢にまで成長しておいて、この程度の現象を怖がるのは自身のプライドに反するものだった。
それは、本人が述べる通り、おそらく女子中学生程度の年齢の人間に見えた。
ただし、それは単に年齢と性別のみで人をカテゴライズしようとした場合である。
常識はずれなものは、ごく一般の分類で形容するとむしろ想像と実際がかけ離れることがある。
では改めて、その少女の特徴を述べよ。
第一、プリンセスの夜会服と現代のラフな女子中学生の衣装を絶妙にミックスしたような、あまりにも奇妙な格好。
第二、肩にかけた斜めがけの荷物入れ。
第三、身体が透き通っている。
そう。
第一と第二の特徴については、まあ看過してやってもよかったのだ。
問題は三番目である。
透き通った人間にどう対処すればいいのか?
いやもう、本当にどうしろというのだ。絶対図書委員の仕事の範疇を超えている。
そのような現場での対応マニュアルは、今までの人生全て振り返ったところで、一度たりとも習った記憶がないのだが。
……それとも、考えようによってはあるのだろうか?
昔読んだ絵本の中に、おばけに会っても動じずに友達になろうとする女の子が出てきたように思う。それから比較的最近読んだ小説では、殺された幽霊と皮肉屋な探偵がバディを組んで事件を解決していた。
フィクションの世界で、幽霊とのファーストコンタクトは、珍しくない。
他にも漁ろうと思えばいくらでも、似たような条件下においての人間の行動パターンの解析材料は十分過ぎるほど手に入る。
つまりは、現実に生かした経験が皆無であることが問題なのだろう。
「……まずは自己紹介からどうぞ」
これで正解なのか?
心底自分の対応を疑いながら、つばさは正体不明な半透明少女へ話を振ってみた。
「あっ、いい質問ね。ありがとう。ズバリ、私は透明の国の魔法使いなのよ!」
「………」
「いや本当なのよ? 透けてるでしょ私? 本当はこれ完璧な透明なのを、頑張って条件つけたり工夫したりして、あなたにだけは見えるように加工してるんだから! あっさりした顔で見てるけど、私ったら何気なくめちゃくちゃすごいことしてるのよ!?」
ああ———現実逃避したい。
つばさは顔を両手で覆いたい衝動を寸前で我慢した。
なんというか、あまりにも状況がカオスすぎるのだ。
彼の脳機能の処理限界を、現実がとっくに超過している。
キーンコーンカーンコーンと昼休み終了の鐘が鳴る。呼び出し状ならぬ、ごく普通の紙切れに時間と場所がメモ書きされたもの(指定場所は校舎裏ではなく、テニスコート前の花壇だった。というか校舎裏とはなんだったんだ。ここの中学校の裏側にスペースは多分ないし、あるとしてもつばさは知らない)を手渡される。
それじゃあね! と手を振っていなくなる半透明少女。
文字通り煙のように消えてしまった少女がいたはずの空間を、つばさはしばらくぼんやりと眺めていた。
次の授業が始まる。
ずっとこうしてはいられない。
カウンター周辺の後始末をして、つばさは静かに立ち上がった。




