5.1:マジカル透明少女世界
透明の国って私は呼んでいるけれどね。透明世界とか、マジカルワールドとか。少女の楽園とか。色々な呼び方が会って、みんな好き勝手に使っているのよ。マジカル透明少女世界? ええ、ちょっとカオスな呼び方だわね。でも、もちろんそうやって呼んだって結構よ。
……なに、ふざけただけ?
つまんないやつね。
まあいいわ。
とにかく、そーいう場所があるのよ。
こっち側の世界とはゆるい繋がりがあって、みんな気づかない間にかなり影響し合ってる。そう、多少は人の行き来もあるわ。
それで、私の仕事は、あっちとそっちの狭間で生まれた物語の破片を回収することね。
わかった? わからない。ふむ、わかるように説明する気あるのかって?
うるっさいわね。ちゃんとするってば。
透明な落とし物。
私はそれを拾うのよ。
放っておくと、誰かがつまづいちゃったり、熟成して妙な匂いを放ち始めたりするような。でも、普通は誰の目にも見えないし感じられない。そんな感じのやつらを回収していくの。
……うまく説明するのはやっぱり難しいわね。
まあとにかく、こっち側の世界の住人に、私たちの姿やら持ち物やらは見えないわけ。
もちろん透明なもの同士なら、お互いが普通に見えるのよ? つまり、こっち側に住んでいながら、だんだん心が透明に近づいていくと、ゆっくり向こう側のものが見えるようになってきちゃうわけね。
それが行き過ぎると、透明の国に引きずり込まれて、戻ってこなくなっちゃうわ。
はい? あなたの状態について?
何よいきなり青ざめちゃって。意気地なしったらないわ。
そうよ、大丈夫に決まってるじゃない。
そもそも透明の国とこっち側の国は繋がってるし、影響し合ってるんだって話したでしょ? その繋がりをちょっと刺激してみただけなのよ。
それに、あなたは自分が思うよりずっと稀有な存在だわ。
だから大丈夫なのよ。
腑に落ちないって顔ね。
うーんと、じゃあ。具体例なんだけど。
あなた、現実逃避したいって思ったことある?
なに、今がまさにそれ? あっそう。
じゃあ、もう一個質問を追加するわね。
実際に現実を逃避した自分を、想像できるかしら?
ほら。
無言になった。
できないんでしょ。
苦労したのよ。あなたみたいな人を見つけるの。
自分の中に危うさが存在していることを、きちんと認識している。
現実ではない別の世界が存在することを、誰に教わるわけでもなく知っている。
生まれたときから背中にくっついている翼をちょっと羽ばたかせれば、それだけでとんでもなく遠くへ飛び立ててしまうことを理解している。
その上で、地に足がついている。
重りもいかりも綱も外してしまって、さあ好きなところへ行っていいよと言われても、ただ地面の上で今まで通りに草を踏んで散歩をしている。
空の美しさや自由を、知らないわけじゃないのにね?
眺めているだけでいいと、あなたの一番根っこの部分が思っている。
そういう人はね。
いざ飛び立ったときも、好きなときに好きなように、危なげなく家に帰ってくることができるものなのよ。
だから、多少乱暴なやりかたで突っついても、すぐ元に戻ってくれるでしょうという希望的観測!
「……今、希望的観測って言った?」
「あー、ううん! 言ってないわ!」
「いや絶対言ったと思」
「それから信頼ね! 性格的に、あんたは好奇心より責任感が勝つタイプだと見た!」
「………」
遮ったな? という目でつばさは少女を見た。
遮ってないもんっ。という目で少女はつばさを見た。
前者は正直な心の声。後者は嘘つきの心の声である。
放課後。
約束通りの場所を訪れたつばさは、謎の少女と再会して奇妙な対話をしていた。
花壇ではひまわりの花が咲き綻び初めている。隣のテニスコートからネットを超えて飛んできたボールが転がってくるのでそれを投げ返してやると、「ありがとうございまーす」とのんびりした感謝の叫びがこだまのように返ってくる。そんな場所。ファイトファイト〜、とテニス部員が練習を盛り上げるための華やかな掛け声を響かせていた。
とにかく、とつばさは思考を元に戻す。
あまりにも常識はずれではあるものの、それなりに事情は呑み込めてきた。
彼の直感が正しければ、つばさはおそらく、一生に一度出会えるかどうかの特別な体験に招待されたのだと思う。
たとえばサンタクロースにそりに乗せてもらって一晩プレゼント配りのお手伝いをするとか、魔女の猫を追っかけて危うく釜茹での危機に遭い命からがら逃げ出してくるとか、その類いの。
半透明な少女との出会い。
まあ結構面白いほうの体験なのではなかろうか。
しかしそれにしても、とつばさは考えた。
『責任感』ときたか?
何か重大事を頼まれる予感。これは多少、心したほうが良さそうである。
「それで結局、俺に接触した目的は何かな? きみも急いでるそうだし、ここからはお互い手短かに済ませようか」
つばさが言うと、少女は腰に手を当てた。
「可能な限り話が早くなったのは嬉しいわ。ズバリ、預かっていて欲しいものがあるのよ」
少女は彼女自身の肩に掛けていた荷物を外して差し出した。
「預かって欲しいのはこのポーチね。さっき説明した通りの『透明な落とし物』でいっぱいになってるの。取扱注意よ」
「……つまり、ただ持っていればいいだけ?」
「そう。見た目に反してちょっと、いやかなり重いから気をつけてね。まあ、四六時中所持していてもらえれば、それでいいわよ」
「入浴時や睡眠時は?」
「そりゃもう肌身離さず」
「体育の授業とか」
「頑張れ!」
「………」
断りたくなってきた。
つばさの内心が露骨に表情に現れたのか、少女は切羽詰まった様子で縋り付いてきた。
「ち、ちなみにこれは、すっごく大事なことなのよね! 『鍵』を落としちゃって、大至急捜索しなくちゃいけなくなっちゃって! そんでもってこの袋が重すぎて飛翔が制限されてるし、ワープの多用は『鍵』がないと世界に負担がかかりすぎちゃうからNGだしで、だから一旦手放さなきゃいけないけど人の目に触れるところに置いとかいとそれはそれで怖すぎるから預けないといけなくてそれで!」
「よくわからないけど、つまり全部きみの都合なわけだ」
「はいその通りですっ!!」
「わぁお開き直った」
つばさはため息を吐いた。
なるほどこの少女はつばさの性質を正しく把握しているらしかった。
実のところ、彼は真正面から頼まれると断れなくなる傾向にある。
特に、相手が切羽詰まっているとき。
さらに相手側の窮状とこちらが被る手間暇を天秤にかけたときに、こちら側が軽いと判断される場合に、その傾向は顕著である。
「一応聞いておくけど。留意事項はある?」
「重い、とか? あー、それから、みんなの目にはその袋は見えないし触れもしないよ、とか。それ、逆さまにして振っても中身は出てこないよ、とか? 中身を見たければ好きにすればいいし、特にルールを破ったらペナルティとかもないし、そもそもきみに何かあったら私の責任だから全力でなんとかするっていうか……」
つまり、基本的にはこちらが被る問題はないに等しいわけだ。……そうだと、思う。多分。
つばさは手を差し出した。
「持っとくからそれ貸して」
「えっ、いいの?」
「ふうん? 断って欲しかったとは知らなかったな」
「いいえそんなことはありません、やったぁ〜!」
少女は白々しく喜びの声を上げる。
他愛もない。誰がかと聞かれれば、もちろんつばさのことである。便利な駒として使いやすいやつナンバーワンとして自分をランクインさせてやりたい。
今まで不良の使い走りに使われたことがないのは、もはや奇跡的と言えるだろう。
少女の言う通り、見た目よりかなりずっしりと重い肩掛けポーチを受け取りながら、つばさは遠い目をした。
そして翌日から、彼の受難(?)の日々が始まった。
『えっ、つばさどうしたん? 全体的に動き悪すぎだし、そもそもレイアップシュートはお前が一番得意だったはずじゃ……』
『おいおいおい、なんでそんな服脱ぎにくそうにしてんの?』
『あれ、今何もないところを掴もうとしてなかった?』
『つばさくん、片方だけ妙に肩が下がってるけど、怪我とかしたの……?』
「———やっぱメチャクチャ迷惑だわ」
滅多に怒らない温厚なつばさの額に青筋が立つ。
彼のそばには、プールに浮いた浮き輪のようにぷかんと湯船を漂う例の肩掛けポーチの姿がある。
溜め池に生息する亀さんの姿を眺めているとでも想像すれば、多少は心も穏やかに鎮めることができる光景。
つばさはふーっと息を吐いて精神を落ち着かせた。
半透明な少女はあれから一度も姿を見せていない。
全く傍迷惑なことである。そういえばいつ回収しに来るか聞くのを忘れていたし、向こうから通達しに来る、といったような細やかな配慮は当然なかった。
いつになったらこの重い荷物を持っていってくれるのか?
考えれば考えるほど疲れてきて、だんだんと様々なことがどうでもよくなってくる。
ちゃぽん、と水音を立てる。
ぬるくなったお風呂に顎まで浸かり、つばさは静かに目を閉じた。
今日、彼は図書委員の仕事を始めてサボった。
特に理由はなかった。
誰かに迷惑をかけるということは、想像以上に簡単なことだった。
まずは実行することの簡易性。
そして第二に、図書委員のサボり程度では結局大した波を起こせないという意味でもあっさりしていた。
つばさくんが当番忘れるなんて珍しいね。最近疲れてる? すみません。次回は気をつけます。———この程度で終わり。最初の一歩も、最後の後始末も、なんとあっけなかったことか。
「———思春期っていうのは、やっぱりパズルのピースをガンガン組み替えていく時期だと思うのね? 想像もつかない絵柄が浮かび上がってくるのが楽しいんだし、みんなが試行錯誤の中で成熟していったり、びっくりするくらいアーティスティックな組み合わせを発見していったりするのを見るのが面白いわけなのよ」
夜のベッド脇、するりとガラス窓から滑り込んできた少女は、つばさの寝顔を眺めながら静かに言った。
「あなたは安定して地に足がついてるから大丈夫、みたいなことは言ったけど……まぁ。本当に大丈夫な人間なんて、どこを探してもいないわ。そういう意味では、私嘘ついちゃったかも」
「どうせそんなことだろうとは思っていたよ」
「あら。起きてたの?」
「今起きた。俺は眠りが浅いんだよ」
「知らなかったわ」
「言ってないからね」
「ふふっ。そんなにたくさんお喋りしてなかったものね。私たち」
「したくもない」
眠たげに目元を揉みながら、つばさがベッドから体を起こした。ギギ、と木の骨組みが軋む音がする。
彼は約束通り、少女から預かった荷物を肌身離さず身につけた状態で眠っていた。
ここ一週間ほど一度たりとも外さなかった肩紐をあっけなく外し、彼は少女へ差し出した。
「返すよ」
「うん」
少女は、少し複雑そうな顔でそれを受け取った。
「袋の口紐が緩んでいないわ。あなた、中身を見なかったのね?」
「見て欲しかった?」
「いやぁ。私としてはどっちでも構わないのだけれど、見ない人がいるとは思っていなかったわ」
「興味ないものには触れない主義でね」
「きょ、興味ない!? これに!? まごうことなき魔法道具なのにっ!?」
「別に」
「中身はすごいのよ! 一生に一回も見られないわよ普通!」
もったいない! というか、いいから大人しく私に自慢させなさい! はいはい。
というわけで、つばさは少女が集めたという落とし物の数々を、袋の口から覗き込んでみることにした。
「……すごいね」
「すごいでしょう?」
そもそも時空間の物理法則はどうなっているのか。
袋の中身は端的に表現して小宇宙であり、一週間苦しめられた重量も、本来この程度では済まないものであろうことは確かである。
さらに、少女は目につくものについて少しばかり説明を加えてくれた。
あれは炭酸飲料の瓶に入ってたビー玉ね。そっちにトイレの蓋があるのは見える? それから、桜色の鳥が落とした目玉が三つと、歌う窓枠……ああ、あの破片の群れはね、空飛ぶクジラが噴いた潮なのよ。
それらは本当に、この世に存在したものなのか?
いかに透明で常人の目に見えないものだったとして、見える者には見える存在だったのか?
答えはきっと、イエスなのだろう。
つばさが半透明の魔法使い少女に出会ったように。
多くの人間が、それぞれの出会いと体験をしているのだろう。
「……ねえ。きみは、透明の国の魔法使いさんは」
「何かしら」
「イオリちゃんって女の子を知ってる?」
「えっと、あなたのクラスのもう一人の図書委員よね。危うくって、見ていてハラハラするけど面白い子だわ」
「ははっ」
やはりそうだとも。
つばさは内心で頷いた。
誰もが透明な世界との接点を持っている。
ゆえにこそ、すべての人間はどこかしら、関わりがある。重なっている部分がある。何か曖昧なものを媒介にして繋がっている。
そういうものだ。
……完全に分離したものとして世界を捉えてしまうから、必要以上に他者の機嫌をうかがおうとする。
「きみが、荷物置き場代わりに俺を選んだ理由、想像してみたんだけど」
「ふむ?」
「もしかして、俺に刺激を与えたかったのかな。俺が今のままだと、あまりにつまらないから」
もしそうだとするなら大成功だよ、とどこか淡白な口調でつばさは言った。
「思春期らしく、殻を破って欲しかったんだろう。なぜなら俺は内心鬱屈しているくせ、爽やかの仮面でそれなりにうまくやっていた。それを問題にもせず、器用に自分を潰さずに生きていく手腕は貴重だけど、きっと面白くはなかったに違いないから。幻想世界との境界線を極限まで薄めてしまって、あっちへふらふらこっちへふらふら、綱渡りみたいな真似をしてくれたほうがきみには都合がいいんだろうね? だってそっちのほうが、『落とし物』がより多く生み出される」
自力では超常の幻を引っ張ってくることなどない人間に、強制的にそちら側の世界をのぞかせる。
それによって、心に物理的な刺激を与える。海を揺るがす大波を、大地を揺るがす激震を。そういう計画だったのだろうと、つばさは言う。
「ちょっと違うわ。いいえ、だいぶ、かしら」
「そう?」
「私はずっと正直よ。言ったでしょう? 結局、あなたが一番、リスクの大きさが許容範囲だったの。他の子に荷物を預けていたら、あるいは袋の中に吸い込まれて永遠にさまようだとか、莫大な孤独を生産して呪いに転じるとかしてもしかたがなかったかもしれないわね。それで、そうならなそうな人間はだいたい、どう頑張っても私の姿なんて見えるようにならない頭カチコチなやつばっかり。その点あなたは、『本』という媒体を通して繋がることができたから良かったわ」
でも、と少女は少し考えるように言う。
「さては、自分で思ってたにね? あなた。『自分はつまらない人間だった』って」
少し驚いたような表情を浮かべるつばさに、半透明の魔法使いは優しく言った。
「大丈夫よ。私はあなたのこと、つまんないやつだなんて思ったことは一度もないわ」
———だから、ちょっと告白してみたら? 好きなんでしょうあの子が。
「そうだね。やってみようかな」
「なんだあなたつまんないわね。ちょっとは恥ずかしがるかと思ったのに」
「速攻で発言が矛盾したけどいいのかな?」
「つ、つまんないけどつまんなくないのよ! わかるでしょ!?」
あははっ、また開き直ってる。
つばさは布団で口を抑えて、くすくすとくぐもった笑い声を上げた。魔法使いは膨れっ面をしている。しかし本気で機嫌が悪いわけではないらしい。
人の顔色を読むのが得意なつばさには全てばれている。
周囲の感情を敏感に察するということは、それに由来する生きにくさと同量の生きやすさをプレゼントしてくれるものなのだ。
つばさは唇に笑みを浮かべる。
嘘も本当も適当も本気も、全てひっくるめて今まで何度も浮かべてきた、働きバチも真っ青になるほど働き者の唇に。
窓の向こう側では、銀色の光が世界を照らしている。
つゆのこぼされた蜘蛛の巣は白々と発光し、窓枠は磨かれた真珠のように様々な色合いを見せている。
夜はふけてゆく。
いつも通りに月のきれいな空だった。




