8.1:怪物まみれのパレット
……結論から言うと、全部妖精先生の言う通りだった。
困っていることは、意外な形で決着がついてしまったりする。
先生の場合は、夜に見た夢がきっかけだったらしい。
そしてマキナの場合は、『新入部員候補に美術室を案内したこと』だった。
たまたまその日、手が空いていたのが、マキナだったのだ。
一番熱心な部員は生徒会書記を兼任していたため、その集まりがあると当然そちらを優先することになり。他にも忙しい人をこきつかうわけにはいかないという制約がある中、それならとマキナが手を挙げた。
「こっちに準備室があって、顧問の石原先生はここに引っ込んでいる場合も多いから。困った時は遠慮なく……」
そんなことをつらつらと語りながら、マキナは後輩女子三人組を連れて歩く。時間が経てばもう少し追加で仮入部のメンバーがやってくるだろうが、今はとりあえずこの三人。見るからに明るい子と、見るからに暗い子と、ひたすら眠そうな子。彼女たちは非常に仲が良いようで、まるでパックにぎゅうぎゅうに詰められたたこ焼きのようにくっつきながら歩いていた。
「壁に飾ってあるのって、卒業生の作品なんですか?」
ふと話しかけられて、マキナはそちらへ目をやった。
美術室の壁はそのほとんどの面に、特に出来栄えの良かった作品がずらずらと飾られている。後輩のうちの一人は、それに目をつけたらしい。
マキナは頷く。
「そうだね。大体はそうかな」
「うわぁ、すごい! 私もここに飾れるぐらいすごいの描きたいです!」
調子がいいなあ、とマキナは思う。けれど、楽しい。彼女のキラキラした目は、こちらまで幸せにするような純粋さを持っていた。
それにマキナも、これら作品の群れに感動する心情について、共感できる部分はあるのである。
一年生になって初めてこの部屋に足を踏み入れた時、その色彩と香りに包まれた世界観に圧倒されたものだった。
先輩方の作品というのもは、全て自分の何百倍も優れているものに見えた。
自分もここに仲間入りできるのかもしれないと思うと、目眩がするほど興奮した。
マキナが少しばかり過去の感傷に浸っている隙に、三人の後輩たちは飾られている絵の前に立ち、何やら勝手にコソコソとお喋りを始めていた。
「ねえ、どれが好き?」
「え……これとか」
「あ〜なるほど、いいねそれ」
「そっちもすごいのあるよ」
「うわこの仏像めっちゃリアル」
「こんくらいミッチも描けるんじゃない?」
「どうだろ」
「いけるいける」
おい先輩を無視すんなよ寂しいじゃん、という思いと、仲が良さそうでいいなぁ彼女ら、という思いが同時に去来する。
どうやら三人組は完全に自分たちの世界に入ってしまったようで、完全に手持ち無沙汰になったマキナはふっと斜め上に視線をやった。
そして。
その瞬間のことだった。
———あっ。
見つけてしまった。
あっけなく。こんなにも、拍子抜けするほどあっさりと。
後輩たちの会話もすうっと遠くなり、マキナは完璧に自分だけの世界に入ってしまった。
それも仕方ない。後から考えても間違いなくそう思うくらい、この時にマキナが見たものは彼女の心に衝撃を与えていた。
(あー。これか。……これ、だったんだ)
それは一枚の不透明水彩画だった。
テーマを同じにした作品群が十枚ほど並べられているうちの一つである。
『一文字から三文字の単語を画面のどこかへ配置し、その背景を自由に構成する』。すなわち、言葉と紐付けて創作する絵画作品、というコンセプトで創られたものであるらしい。
この課題が教科書にも載っていたのを見たことがあるし、何より先輩からそういった授業課題が出されることがあると聞いている。マキナ自身、これから似た作品を制作する授業を受けることになる可能性も高いと思われた。
そして。
目の前にある絵の作者が使った文字は『怪物』。
元々出来のいいものばかりを集めて展示しているのにも関わらず、群を抜いて存在感がある絵だった。
これは、おどろおどろしくも美しい怪物を描いたもの。
とぐろを巻いて星あかりに銀の牙を煌めかせる。
金属樹が生えてきたようにささくれだった奇妙な模様だらけの体はボロボロで、それでも寄るものを全て食い殺しそうな迫力がある。
哀れで恐ろしい夜の化け物。
たったひとりぼっちで寂しそうな目をしているのに、なぜだろうか、きっとこの怪物には友達がいて、画面の外から手を振りながら会いにきてくれるんじゃないかと想像させるような温かみをも持っているのだ。
特別な絵だった。
マキナが心底憧れた絵だった。
初めて美術室へ足を踏み入れた一年生の春に、魂へ焼き付けた驚愕の種。
これと同じものが描ける才能に生まれたならば、自分の人生全てを捨ててもいいとさえ思ったほどに、強烈に惹きつけられたものだった。
ああ———どうして今まで、気づかなかったんだろうか?
マキナの手は正直だった。
全くもって、単純明快なことだった。
マキナが怪物を描きたいと願ったから、マキナの手が怪物を描くようになった。
たったそれだけのことなのだった。
その日、体験入部を終えた後輩たちが帰っていった後のこと。
マキナは美術室に残り、再び怪物の絵の前に立った。
そして、憧れのその絵に向かって手を差し伸べた。
するとごく当たり前のことのようにするすると怪物の絵が動き出し、その美しい体をくねらせ、胃の腑を痙攣させるようにしながら一輪のひまわりを吐き出した。薄暗がりの中、マキナは彼女に与えられた黄色い夏の花を受け取った。
怪物は一仕事を終えると、また元通りにくるりと丸くなって瞼を細くし、動かなくなった。
怪物にプレゼントされたひまわりの花びらは、よく見るとうっすらとその色を透けさせていたような気がする。
しかしマキナは全く何も気にしなかった。
彼女は、いつも夏になるとひまわりが咲く学校の花壇にそれを挿しに行った。そして、くるりとそれに背を向ける。
そのわずか一週間後。
マキナは太陽の絵を描いて、学校に提出した。
美術部の顧問の先生と相談しながら記入した応募票。
ちょうど締め切りの迫っていた絵画コンクールへ郵送されたその油絵は、見事に賞を獲得し、マキナは五万円のお小遣いをゲットした。
ふふん、と得意げに鼻を鳴らした彼女こそが、次期美術部部長となって慕われることになる、みんな大好きマキナ先輩なのであった。




