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Ⅷ:地下の鳥

 大して呑めもしないラム酒を愛用のカットグラスに薄く注ぎ、ルイスは紫檀(したん)のテーブルで束の間の休息に浸っていた。この古き良き時代に取り残されたような木造建築の店は、直結の居住地を得る際について来た幸運な副産物だ。当初は愛すべきガラクタを並べて博物館のように眺めるだけだったが、そのうち仲間内の憩いの場にでもするかと思いつき、店の名残どおり喫茶店兼バーをはじめることにした。しかし気まぐれな店主の開店日は誰にも報されず、今や趣味で拾い集めた家具や調度品が所狭しと並ぶ、骨董品屋の風体と化している。そもそも喫茶はともかく、酒専門のレフと違ってその筋に詳しくもなければ、大勢で寄り合うのを好む性質(たち)でもない。何より大切なガラクタたちを無粋(ぶすい)な酔っ払いに壊されて、穏やかに済ませられる自信がない。そんな訳で、酒を出すのは辞め、呑みたいヤツは勝手に持参しろと言うようになった。カウンターの奥に並ぶ小洒落た酒瓶たちの立場はなくなったが、店の引き立て役として今もカウンターを飴色(あめいろ)に飾っている。


だが、たまには気の知れた仲間と、こうして語らうのも悪くない。


孤独を(たしな)むカウンターの男は、琥珀色(こはくいろ)のグラスを眺め、薄っすらとアンニュイな笑みを浮かべている。懐かしい北の大地の土産話でも切り出そうかと思ったが、どうにも気が進まず、くだらない世間話に、時間ばかりが過ぎて行った。熊のような身体で二人分の席を占領しているレフは、いつもより少し陰った表情(かお)の男を流し見ながら、波々と注いだウイスキーのグラスを、茶色い髭に埋もれた口元に運んだ。


「また拾って来たんだってな」

「猫みたいに言うなよ」


使い古した革張りのカウンターチェアに腰掛け、バーテンのいないテーブルに肘を突き、ルイスはグラスを揺らしてラムの妖艶な薫りで遊んでいる。


「その様子じゃ手を焼いてるな。退屈してたのか?いつからそんな趣味ができたんだ?」

「俺はいつだって自分の世話で精一杯さ。子守はあんたの方が向いてると思うが、どうだ、引き取らないか?」

「俺もお前には手を焼いてるぜ」


ルイスは片頬を持ち上げ犬歯を覗かせて笑い、(もてあそ)んでいたラムをやっと唇に触れさせた。互いの背を預けられるほどの男と、こうして戯れ合うのも悪くはないが、レフがどこか勿体ぶっているのをルイスはその鋭い耳で感じ取っていた。先ほどから、たびたびグラスに酒を注いでは、慎重にそのきっかけを(うかが)っている。何かある。それも、あまり良い話ではないようだ。この肝の据わったざっくばらんな男ですら、昼間から酒の力を借りなければならない、それほどの理由が何かある。


「それで?わざわざこんなところまで出向いて来たんだ。話があるんだろ」


堪りかねたルイスが口火を切ると、レフの表情はあからさまに強張った。グラスの酒を一気に呑み干し、(ひげ)を拭ってひと息つくと、気の良さそうな低い眉と大きな瞳でルイスの顔を神妙に見つめ、やっと重たい口を開いた。


「─── 居場所の検討がついた。あまり、悦べはしないがな」


ルイスの中で、様々な顔と景色が錯綜(さくそう)した。レフが何を躊躇(ためら)い、何を言わんとしているのか、波乱な記憶の時空を超えて、ひとつの“答え”に繋がったその瞬間、風に(なび)く、金色(こんじき)の草原が一面に広がった。それは、あまりに遠く、儚く、風化した景色に残る、美しい記憶の情景だった。

もうそこに、立ち戻ることはないと思っていた。永い、永い苦悩と歳月を経て、やっと“過去”に置いてきたのだ。懐かしさに浸る間もなく、その“答え”は同時に、男の中にある種の恐れを産み堕としていた。根絶やしにしたはずの恐怖が(かえ)り、すぐさま胸の内に巣喰いはじめた。


「───どういう意味だ」

「俺たちが言えた義理じゃないが、最近、地下の連中が血生臭くてな。その臭いを辿って行ったら、場違いな“白い鴉”に行き当たったんだ」

「はっきり言えよ」


湧いてくる恐れを噛み潰しながら、ルイスは低く()えた。レフは身を乗り出し、怯えを隠した天色(あまいろ)の威圧を圧し返すように、ずっしりと(にら)み据えた。


地下都市(マリス)だ。セラは、おそらく下にいる」


ルイスは、明らかに動揺している。無理もない。地上都市(フィロス)が隔離し、その存在に目を背け続ける地下都市(マリス)に堕ちたと報せるくらいなら、(むし)ろ訃報を伝える方が賢明だろう。


「─── だがそこまでだ。俺たちに手は出せない。いいな、ルイス」


レフはその瞳に刻み込むように、強く言い聞かせた。顔を見るまで、ルイスには嘘を報せるつもりだった。そうすれば、こんな墓穴を掘り起こすような真似をせずに済んだはずだ。しかし、そうしなかった。何度も決意し、酒の力を持ってしても、遂にはそう出来なかった。一時(いっとき)の安堵よりも、永きに渡り培ってきた信頼を、永遠に失ってしまうことの方を恐れたのだ。これは、己の弱さだ。狼狽(うろた)えて声を失ったルイスを前に、レフはそれを痛感していた。


「自分の意思で消えたんだ、自由にさせてやれ。俺たちとは住む世界が違うんだ ─── 」


感情も情報の整理もつかないところに、突然耳元でピープ音が鳴り出した。ルイスは反射的に右耳の軟骨に嵌めた銀色の無線に中指を触れると、切迫したカレンドラの声が飛び込んで来た。


「今、キースが自宅の前にいるわ」


その聴き慣れた沈着な声に、ルイスは幾らか判断力を取り戻しはじめた。あの少年が単独であれほどの距離を移動できるはずがない。運良く大型移送車(エリスロ)に乗ったのだとしても、キースのチップでは、認可の同伴者がいない限り居住区域(コロニー)を出て水門橋(セパル)を通過することは出来ない。まさか、自力でチップを取り出したのか。─── いや、それなら追跡も途絶えているはずだ。そして、飛び交う動揺の中から、ひとつの直感を掴んだ。連れ出したのは、ヴァルスに違いない。各部隊からの報告をひととおり脳内に呼び出し、状況を把握すると、ジャッカルは冷静に応答した。


「問題ない。あの家はもう片付いてる。ヴァルスもそこに居るはずだ」

「ええ、だけど ─── あの子は賢いから、何かあるはずよ。誰か向かわせる?」


ジャッカルは思案している間に残る恐れを噛み砕き、動揺を理性で()じ伏せた。そして、ウイスキーを(あお)りながら様子を見護るレフの、険しい瞳を見据え、静かな声で判断を下した。

「必要ない。そのまま、泳がせておけ」


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