近鉄特急殺人事件
帰宅中の電車。
定時帰宅がデフォの私にしては珍しく終電ギリギリの電車に揺られていた。
別に私が残る必要もないのに。という不満は飲み込んで、工場の稼働が終わるまでやる必要もない書類整理を行っていたのが理由だ。
人も少ない車内。
座席に座り、はぁ、と溜息ひとつ。
「……疲れた」
ぼそり、とつぶやき天井を仰ぐ。
「ん?」
網棚に何か置いてある。
文庫本だ。
紙カバーがかぶせてある。
特徴的な青い色のカバー。あれはおそらく上野駅の書店。
手にとって書店名を確認する。
やっぱりそうだ。帰省の際には私も利用する書店だ。
カバーがされているので中身の文庫はわからない。しかし新潮社から出版されていることはわかる。
まず本の天側。そこにスピンの存在。スピンとはあの栞がわりについている紐のことだ。それから他所の出版物と違って綺麗に断裁されず段違いになっている、天アンカットだ。
これが新潮社文庫の特徴。
中古で購入する場合はこれらの特徴が消えてしまうのが難点だ。
中古書店の中には日焼けしている本を研磨加工する店舗も存在する。その過程でスピンはちぎれ、不揃いな天も綺麗にやすられてしまう。
さてそれでは本のタイトルを確認させていただこうかしら。
気づけば仕事の疲れはどこかに消し飛んでいる。
私の予想としてはやはり東野圭吾だろう。
映像化作品も数多く、常に書店でいちばん目立つ場所に配置されているので、普段本を買わない人でも知っているし手に取りやすい。
しかしその予想は外れであった。
「おおっ」
思わず声が漏れる。慌てて誤魔化すように咳払いして周囲を見渡すけれど、数少ない乗客は私同様疲れ果てて、もしくは酔いつぶれて浅い眠りの中だった。
私の声が漏れ出た原因は本の作者。
まさか、西村京太郎だったとは。
『近鉄特急殺人事件』著者、西村京太郎。
私が子供の頃、テレビの二時間ミステリ枠と言えば西村京太郎、山村美紗、内田康夫の旅情ミステリ三銃士だった。すっかりテレビなんてみなくなって久しいのであのミステリ枠がどうなったのかはわからないが、すでに定番ではなくなっているのだろう。
特に旅情ミステリ、その中でも電車と言えば西村京太郎だ。
ミステリに詳しくない私でもそのイメージはある。
なんというか、久しぶりに帰省した地元で駄菓子屋のおばちゃんが変わらずにいたのを目撃したような気分だ。
この本の持ち主は私の父と同世代ぐらいの会社勤めの男性だろうか。
ミステリドラマと言えば西村京太郎。
電車ミステリと言えば西村京太郎。
そして出張のお供と言えば西村京太郎。
それは平成の初期に旅行をした人の共通認識だろう。
駅ナカ、空港内書店では当たり前のように入口脇の棚は西村京太郎八割、内田康夫一割、残りは池波正太郎だったはず。
未だにこの鉄板は生きていたのか。
タイトルは『近鉄特急殺人事件』か。
関西地区からの出張? いやそれとも関西へ向かったのだろうか。
そうだスピンはどのあたりの位置に挟まっている?
?
中盤部分にスピンは挟まっている。
しかし、多少の違和感。
何かを探すように文庫本をパラパラと捲る。
「あった」
終盤近くの場所にレシートの姿があるではないか。
レシートはこの本を購入した時のものだ。
おそらくはあれだ。購入したレシートを栞代わりに使うタイプの人だ。時間潰しように文庫本を買った人がよく使う手法。こってこっての出張サラリーマンの行動なんだが。
そう気づくとスピンの位置もこれは初期位置から動いていないことがわかる。
レシートを元の位置に戻すと、私は本を先頭から読み進めていく。
この文庫本はどこを旅してきたのだろう。
「お客様、終点ですよ」
人の好さそうな駅員に声をかけられた。
はっとして顔をあげる。
いけない本に夢中になりすぎた。
「これ、落とし物です」
手にしていた文庫本をその駅員に押し付けて、電車から駆け下りる。
路線図でしか見たことのない名前の駅。
時刻は終電間際。
こういう時に限って他の線への乗り継ぎ電車なのだからいただけない。
駅の時刻表と睨めっこする。
おっと、なんだか十津川警部っぽいかしら。
「はぁ」
けれど私は十津川警部じゃないし、亀井刑事でもない。
見知らぬ駅のロータリーでタクシーに飛び乗った。




