山月記
さっそく遺棚から取り出した本はこれ。
『山月記』著者は中島敦。
いくつかの会社から出版されているが、私が所持しているのは角川文庫版。先月会社近くの中古書店で購入したものだ。
とても懐かしい。高校時代の現文の時間で読んだ覚えがある。
白髪のアニメキャラクターが表紙になっている。
パラパラと捲る。中身は私が昔から持っているものと同じようだ。
栞が床に落ちる。
黒髪のアニメキャラの栞だ。うわぁ。紙じゃなくて木製のだ。
DAZAI? 太宰ということか。
あまりアニメには詳しくないのでわからないけれど、これは過去の作家をモチーフにしたアニメなのだろう。それとのコラボということか。
あぁ、ということはこの白髪の子は中島敦?
中島敦と太宰治か。
確か同じ年代くらいの作家だったろうか。スマホで調べてみるとどうやら生年月日が同じなようだ。
「ん?」
太敦?
検索のサジェストに表示された単語、私の乙女が反応を示す。迷わずタップ。
スマホ画面に映し出されたイラストを見て、あぁ、と納得した。
どうやらこの文庫の元の持ち主はそういう趣味の持ち主だったのだろう。
残念ながら興味がない、とは言い切れない。
中島敦の山月記に太宰治の栞を挟む、その行為になんらかの意味が込められているのだろう。
私はそっと栞を挟みなおす。
「……」
ごほん、なんというか背徳的な行為のように思えてしまった。
おそらくは彼女? 彼かもしれないけれど元の持ち主は彼女である確率の方が高いのだろう。
奥付を見てみる。初版の発行日は言わずもがなだけれど、最新の発行日からまだ二年ほどしか経っていない。私の手に渡るまでの時間を考えれば持ち主の手にあったのは一年ぐらい。
山月記が読みたかった、というよりもキャラグッズのひとつとして購入したというところだろう。
本には開き癖もついていないし、カバーを外して背を確認したがそこにも皺が入っていない。
私も別に本とは読むべきもの、というこだわりはない。
装丁マニア、という言葉があるくらいだし。各出版社もかつての名著を様々な装丁で再販している。
手元に置いておきたい所有欲を煽る。
読書離れが叫ばれ、電子書籍で多少は読書人口も戻ったのかもしれないが、結局その解決策は印刷、卸、販売に携わる多くの人にとっての解決策にはならない。
できうる限りは新刊書店で買うようにはしているが、割引も多いし、ポイント還元もある、さらに場所も取らない電子書籍ばかりになってしまう。
それにしてもこの本の持ち主はどうして手放してしまったのだろう。
読み物として買ったわけではないのなら、なおさらだ。
こうして栞まで用意していただろうに。
私は缶ハイボールで唇を湿らせて本を開いた。
帯は丁寧に保管、本を開くときは開き癖がつかないようにそっと開く、さらにUVカット用の透明カバーをかぶせる。読書するためにここまでする神経質な知り合いもいるが、私は気にしない。むしろ汚れや傷は好きだ。それがまたこの本の思い出になる。
ほろ酔い気分で文字を流し読みする。
山月記を読んだのは高校生以来。もう数年ぶり。……いや十数年ぶり。
自分は特別になりたい、と思う男が平凡な人生を拒否した結果山に住まう虎となるお話。
胸が痛い。
サイドテーブルに伏せたスマホが目に入る。
かつての知り合い。高校時代の友人たち。もう連絡はとっていない彼女たち。SNSでふとした弾みに検索。目にしたのはカレシと、夫と、子供と幸せそうにしている彼女たち。
高校時代は夢、あの当時は夢だと思っていなかった、を語り合った友人たちはあの当時最も嫌悪していた普通を手にしていた。
私にだってわかる。
その普通がどれほど難しいか、ぐらい。
もう夢は難しい、とわかっていながらも私は未だにその普通を目指せないでいる。
私のこれは夢なんて立派なものではないのだろう。
大人になれないだけ。
あぁ、もしかしたらこの持ち主も友人たちと同じように、普通を目指したのだろうか。
だから手放したのか。
彼女が何を目指したのか知らないけれど、そうして手放した若き日の思いは今私の手元にある。
缶を口元に運ぶ。しかしすでに空っぽ。
すでに空の缶を台所に並んだ仲間たちの隊列にくわえてあげる。
社員旅行で購入した琉球グラスに、戸棚から取り出したウイスキーを注ぐ。安い琥珀色の液体が沖縄の海を思わせるエメラルドブルーのグラスを染め上げた。
氷をふたつ入れて指先で一周させる。
インクと紙の匂いと一緒にフルーツの香りが鼻を抜け、喉に焼けるような刺激。
「あぁ、もう全部明日の朝でいっか」
衣服を脱ぎ棄てて、キャミソールの上にブランケットをかけ、ソファーに横たわる。
今日も特別になれなかった私の一日は終わりを迎える。
スマホには母からの帰郷を促すメッセージ。
私も李徴と同じ、袁傪に顔を見せることはできない。まだこの街という山に身を隠していたい。




