第32話 Lion①
夜会で個別ルート作戦を決意した翌日。私は人生最大の悩みを抱えていた。
「誰を本命にするか……」
領主館の客室。ベッドの上に胡座をかき、三人の男の顔を順番に思い浮かべる。
ノアの作戦は単純だ。
私が攻略対象の誰か一人と結ばれる。その直前にノアが【運命交換】を発動し、私とノアの役割を入れ替える。
そうすれば、ゲーム上では『主人公が攻略対象と結ばれた』ことになり、個別ルートのハッピーエンドが成立する。ラスボス戦は回避され、私は討伐されずに済む。
素晴らしい。欠点があるとすれば、三人のうち一人しか選べないことだろう。
まず、リオン。
この国の王太子。順当にいけば次期国王であり、結婚すれば私は王妃だ。
たまに信じられないくらい馬鹿だが、そこは王家の権力で補って余りある。
次に、ガレス。
平民出身ながら、実力だけで男爵位と騎士団長の地位を勝ち取った国内最強の男。
筋肉、包容力、安定感。生活能力も高く、結婚したら絶対に家事を全部やってくれるタイプだ。
最後に、アシュレイ。
王家の血を引く公爵家嫡男で、将来の宰相候補。
頭も顔も良く、金もある。私が散財しても、眉間に皺を寄せながら最終的には全部処理してくれそうだ。
「うーん……」
全員当たりだ。いや、大当たりだ。
なんなら全員と結婚したい。ゲームシステムに一妻多夫制を実装しなかった製作者を問い詰めたい。
私は真剣に考えた。
将来性、権力、資産、地位、家柄、老後の安定。すべてを総合的に判断した結果――。
「やっぱ王族だろ」
王妃。響きが強い。しかもリオンは元婚約者で、今は私にべったりだ。他の二人を一から攻略するより、圧倒的に話が早い。
「よし。リオンに決定」
私は一人、力強く頷いた。
◇
というわけで、私はリオン攻略を開始することにした。
領主館の食堂で朝食を取りながら、向かいに座るリオンの顔をじっと見つめる。
「……どうした、リゼ?」
リオンがパンを口へ運びながら首を傾げた。
「いや、別に」
うん。相変わらず整っている。夜会の正装姿も反則級だったが、ラフな格好でも十分イケメンだった。
これが将来国王とは、夢がある。
「……なんか失礼なこと考えてないか?」
「気のせい気のせい」
私は笑って誤魔化した。
さて。ここで問題がある。
リオンはすでに私にベタ惚れ――のはずだ。ただ、婚約者候補として紹介したいとは言うくせに、肝心の私には、好きとも結婚してくれともはっきり言ってこない。候補って何だよ。そこから先へ進めろよ。
リオンが一歩踏み出すきっかけを作らなければ、進展は難しいだろう。
幸い、【魅了補正】には、相手の感情を刺激する出来事を強制的に引き起こす《イベント補正》がある。
すでに私へ惚れている男へ、さらに恋愛イベントを追加投入する。もはや勝利が約束された出来レースだ。
《固有スキル【魅了補正】を使用しますか?》
(リオンの執着心が一気に上がるような、分かりやすい恋愛イベントを頼む!)
《対象:リオン・アークライト》
《イベント補正》
《――成功》
脳内に無機質な文字が浮かぶ。
よし。あとはイベントが起きるのを待つだけだ。
「失礼いたします」
そのときだった。食堂の扉が開き、“外面モード”のガレスが入ってきた。
「朝食中に失礼いたします、殿下」
普段は横柄なくせに、仕事中だけは完璧な騎士団長である。
「どうした?」
リオンが姿勢を正し、耳を傾ける。
「――報告いたします。馬車の手配を進めておりましたが、その最中に、あの方がこちらへ向かわれているとの知らせが入りました。たった今、屋敷に到着されたとのことです」
「あの方……?」
私が首を傾げると、リオンが肩を強張らせ、その顔から見る見るうちに血の気が引いていくのが分かった。
「……リオン殿下のご兄君、ルシアン殿下です」
「は?」
リオンの兄、ルシアン・アークライト。以前、ダンジョンでリオンが自嘲気味に語っていた男だ。王位継承順位ではリオンが上であるものの、能力も実績も弟を圧倒する、最大のコンプレックスの元凶。
イベント補正、まさかのとんでもないやつ引き当てちゃった?
◇
応接室の重厚な扉が開く。
そこにいたのは、リオンとよく似た面影を持ちながらも、さらに洗練された知性と、圧倒的な王者の風格を纏った超絶イケメンだった。
彼は長い銀色の髪を一つにまとめ、美しい紫色の瞳を細めて、一見すると穏やかな笑みを浮かべていた。
「久しぶりだな、リオン」
ただ、その笑顔の奥にあるプレッシャーが半端ない。横にいるリオンがめちゃくちゃ嫌そうな顔をしている。
「……兄上。お久しぶりです」
リオンがぎこちなく頭を下げる。
「最近、お前が騎士団長と公爵家嫡男を連れ、王都を離れて独自に動いていると聞いてな。王都では、それを面白く思わない者も動き始めている」
「その……それは……」
「失礼します、ルシアン殿下。リオン殿下は世間を騒がせている空間の裂け目の調査を、総責任者として指揮しております」
うまく言葉を紡げないリオンを察して、アシュレイがすかさずフォローに入った。さすがエリート有能官僚。
だが、ルシアンはピクリとも表情を変えず、冷徹な視線をアシュレイに向けた。
「お前には聞いていない。口を慎め、アシュレイ」
「……出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ございません」
うお、こいつめちゃくちゃパワハラタイプじゃん。私が傍から全力で引いていると、ルシアンの鋭い視線が、今度は私の姿を捉えた。
ルシアンは私の顔をじっと見つめる。その視線が一度だけ、隣に立つリオンへ流れた。
数秒の沈黙のあと、何かを決めたように口元を緩める。
「こちらがリゼリア嬢かな」
「あー、はい。お久しぶりですぅ」
リゼリアの記憶によれば、幼い頃に一度だけ会ったことがあるらしい。その後は国境付近の重要な領地を治めていて、王都では長らく姿を見なかった。
「……なるほど。噂以上に美しいな」
その余裕たっぷりの笑みに、思わず心臓が跳ねた。もう少し早く出会っていたら、反射的に【魅了補正】を掛けていたところだ。
すると、ルシアンは真っ直ぐに私の前へと歩み寄り、その場へ片膝をついた。
「え?」
そっと私の手を取る。その瞬間、部屋中の空気が止まった。
「婚約破棄されたと聞いた」
穏やかな声。私の目を見て優しく微笑む。
「私と結婚しないか?」
静まり返った応接室で、私たち全員の声が綺麗に重なった。
「は?」
いや、急展開にも程があるだろう。
「王家にも責任の一端はある。私が責任を取ろう」
ルシアンはそんな周囲の反応など意に介した様子もなく、私の手を優しく包んだまま続ける。
「私の妻になれば、誰からも蔑まれることはない。王妃教育も必要ないし、望むなら一領地を丸ごと任せてもいい」
「ちょ、ちょっと待ってください」
提示された条件が良すぎる。攻略対象なら即決していた。
しかし、今の私は個別ルート攻略中だ。ゲームクリアに必要なのは攻略対象。ルシアンは攻略対象外。つまり、この超優良案件を泣く泣く諦めるしかないのだ。
「ルシアン様、そのお話は――」
私が手を引こうとした、その時だった。
「ま、待ってください兄上!!」
私が返事をするより早く、リオンが勢いよく私とルシアンの間へ割り込んだ。あまりの行動に、当の本人まで驚いた顔をしている。
ルシアンはそれを見て、少しだけ目を細めた。
「どうした、リオン」
「リゼは……」
一度言葉を詰まらせたあと、覚悟を決めたように兄を真っ直ぐ見据えた。
「リゼは俺の婚約者候補です! 兄上には渡せません!」
私を庇うように前へ立つリオン。その顔は耳まで真っ赤だった。
私はリオンの背中に隠れて静かにガッツポーズした。
(よっしゃ! 効いてる効いてる!)
《イベント補正》、大成功である。
ルシアンはそんな弟を見つめると、ふっと笑った。
「そうか」
怒るでもなく、面白そうに頷くだけ。
「なら今回は引いておこう」
「兄上……」
「ただし」
ルシアンは私へ視線を向ける。
「気が変わったらいつでも来なさい。歓迎する」
爽やかすぎる。引き際までイケメンだった。攻略対象じゃないのが惜しすぎる。
しかし、ルシアンの登場でリオンの私への執着が目に見えて強くなっている。
あと一押し。あと一押しで告白イベントだ。
そう思った、その時だった。
――コンコン
応接室の扉がノックされた。
「失礼いたします」
入ってきた侍女が一礼する。
「リオン様にもうお一人、お客様がお見えです」
「客?」
リオンが首を傾げる。
「どなたですか?」
侍女は私の顔を見て少しためらったが、静かな声で答えた。
「ミレーヌ・オルブライト伯爵令嬢です」
「……ミレーヌ?」
リオンが怪訝そうに眉を寄せる。
聞き覚えがある。なのに、すぐには顔が浮かばなかった。少し遅れて、婚約破棄された夜会の光景が脳裏に蘇る。
あの断罪イベント。婚約者というわけでもないのに、なぜかリオンの横に配置されていた、あのモブ令嬢か。
ゲームでは台詞すらろくになかった、リゼリアの取り巻きの一人だったが、今世では私が原作のリゼリア以上に素行が悪かったため、付き合いはなかった。
「何で、あの子がここに?」
思わず呟く。リオンはミレーヌの名前に心当たりがあるらしく、少し考え込んでいた。
「オルブライト伯爵家……北部でも指折りの有力貴族だな」
嫌な予感がした。なぜ令嬢がわざわざ王太子を追って地方の領主館まで来るのか。
応接室の扉が、ゆっくりと開いた。
「突然押しかけてしまい、申し訳ございません」
澄んだ少女の声。使用人に案内され、一人の令嬢が部屋へ足を踏み入れる。
柔らかな金色の髪を丁寧に結い上げ、淡い桃色のドレスを纏った可愛らしい少女だった。
彼女はリオンの前まで進むと、優雅にスカートを摘み、非の打ち所のない礼をした。
「お久しぶりでございます、リオン殿下」
「ああ……」
リオンは困惑を隠せないまま、ぎこちなく応じた。そして次に、彼女の視線が私へと向く。
「リゼリア様も、お久しぶりでございます」
「……どうも」
ミレーヌはにこやかに微笑んでいた。礼儀正しく、柔らかく、敵意など一切感じさせない完璧な笑顔。
けれど、一瞬だけ。本当に一瞬だけ、その瞳の奥に冷たい光が走った気がした。
「婚約破棄の夜以来ですわね」
微笑んだまま、ミレーヌは静かに続けた。
「…………」
こいつ。絶対、私のこと嫌いだ。
女の勘が、けたたましく警報を鳴らしていた。




