第31話 夜のテラスで秘密の女子会
ワインを飲んだあとに踊ったせいか、気づけばかなり酔いが回っていた。
「風にでも当たろ……」
火照った身体を冷ますため、静かな夜のテラスへと避難する。心地よい夜風が、アルコールで熱くなった頬を優しく撫でた。冷たい手すりに身体を預けようと歩み寄ると、テラスの欄干に寄りかかる、見覚えのある小さな人影があった。
「ノア?」
「リゼ……大丈夫ですか? かなり酔ってますね」
ノアが苦笑しながら振り返る。けれど、その表情はどこか安堵したようにも見えた。
「平気平気。あとワインボトル一本はいける」
「本当にやめてくださいね」
そのまま、しばらく二人で黙って夜空を眺めていた。やがてノアが、夜風に溶けてしまいそうなほど小さな声で呟く。
「……楽しかったです」
思わず隣を見る。月明かりに照らされたノアの横顔は、いつになく穏やかだった。先ほどまで張り詰めていた緊張が、嘘のように消えている。
「え? あんなに嫌味言われたのに? お前、まさかそういう特殊な趣味?」
「茶化さないでください」
ノアは私を睨みつけると、再び夜空へ視線を戻した。
「確かに、こういう煌びやかな場所は初めてだったので緊張しました。……でも、リゼがいてくれたから、楽しかったんです」
そう言って、ノアは可憐な笑顔を浮かべた。最初に会った頃より、ずっと表情豊かになっている。そのあどけない表情に、なんだか少しくすぐったい気持ちになる。
胸の奥でずっと燻っていた迷いが消え、ようやく覚悟が固まった。――ノアのことなら、信じてもいいかもしれない。
「ねぇ、ノア。私さ……実はフェリクスから、笑えない真実を聞かされちゃったんだよね」
「……真実、ですか?」
私は周囲に誰もいないことを確かめ、声を極限まで潜めた。
「……私、『空虚の精霊王』の転生体らしいわ」
「……はぁ」
あれ?
思っていた反応と違い、ノアは驚くほど冷静だった。
「あの棺が空っぽだったのは、空虚の精霊王が死んで、その魂が私に転生してるからっぽいんだよね。だから私、このままだと世界を滅ぼすか、シナリオ通り討伐されて死ぬ。絶対に嫌なんだけど!」
私が勢いよくまくしたてると、ノアは小さくため息をついた。
「……やっぱり、そうだったんですね」
「え?」
やっぱり、だと?
「実は、私の能力で、リゼに与えられている『役割』だけは確認できていました」
ノアの声は、あくまで冷静だった。予想外の反応に、私はしばらく言葉を失った。
「まじかよ! 言えや!」
「言ったら、私の固有スキルについても説明しなければならないじゃないですか。色々と面倒だったので」
何だその理由は。まったく納得がいかない。
「お前の固有スキルって、人の正体が分かるとか、そういう能力なわけ?」
問いかけると、ノアはしばらく遠くの街明かりを見つめたまま黙っていた。白い髪が、さらりと夜風に揺れる。
「……リゼが隠さずに話してくれたので、私も言います」
ノアは少しだけ視線を伏せた。まだ、言うべきか迷っているらしい。やがて覚悟を決めたように息を吐き、真っ直ぐに私を見た。
「私の能力は……【運命交換】。私と他人の“運命”を交換するものです」
「……は?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「運命を、交換……?」
あまりにも突飛すぎて、頭が理解を拒んでいる。
「はい。正確には、この世界における『役割』と、その役割に必要な『能力』、さらにそれに伴う『周囲の認識』を、別の誰かと丸ごと入れ替える力です」
「何そのチートスキル!?」
思わず大きな声が出て、慌てて自分の口を塞いだ。
私の【魅了補正】なんかより、よっぽど神の権能っぽいじゃんか。
「ただ、『役割』に付随するものがどこまで交換対象になるのかは分かりません。恋愛ゲームのせいか、好感度は交換対象にならず、それぞれ本人に残るということは書かれていましたが……最悪の場合、人格や記憶まで影響を受ける可能性があります」
「確かに、運命を丸ごと交換するのはギャンブルすぎるな。使いづらそう」
「それに、誰とでも交換できるわけではありません。表示された説明によると、この世界で『フルネームが設定されている登場人物』にしか使えない仕様のようです」
なるほど。
この世界における“役割”を交換する能力なら、そもそも役割を与えられていないモブには発動しないわけだ。
「なるほど。そういう制限があるのか。そういえば私の【魅了補正】も、相手の顔と名前が分からないと使えないんだよね」
まあ、恋愛に関わる能力なんだから、相手の顔と名前くらい知ってないと使えないってのは、分からなくもない。
「固有スキルには、それぞれ何かしら発動条件があるのかもしれませんね」
「じゃあセレナやルカにもあるのかな」
「可能性はありますね」
……ルカの能力だけは、『呪いには効きません』とかじゃないことを祈ろう。
それはそれとして、ひとつ引っかかっていた。
「……ちなみに、何で今まで隠してた?」
ノアが呆れたようにため息を吐いた。
「初めて会ったときにこの能力を教えたら、リゼは絶対に交換を強要してきたでしょう」
よく分かってんじゃん。確かに初手でその能力を知っていたら、拷問してでも交換させて、私は主人公の座で悠々自適にイチャイチャ逆ハーライフを送っていただろう。
「最初は、リゼのことを本当に最低な人だと思っていました」
「失礼だな」
「でも」
ノアが一歩、私との距離を詰めた。青い瞳に、かつてないほど真剣で熱い光が灯っている。
「リゼと一緒に過ごして、少し考えが変わりました」
優しく笑うその顔に、また胸が少しくすぐったくなった。
「リゼのためなら、《主人公のライバル》と《主人公》の運命を交換してもいいと、本気で思ったんです」
そこまで言うと、ノアは気まずそうに視線を逸らした。耳のあたりが、ほんのり赤くなっている。
ちょっと待て。ノア、いいやつすぎない?
「……でも、いざリゼの『役割』を確認したら、そこに表示されていたのは《主人公のライバル》ではなく《ラスボス》でした。さすがにラスボスと入れ替わって討伐されるのは、私も嫌ですから」
「うん。さすがにそれは私もやめたほうがいいと思う」
ノアは少し考えるように黙ったあと、再び口を開いた。
「だから、別の方法を考えました。――個別ルートへの移行です」
「個別ルート?」
「そもそも、なぜ私たちが『大団円エンド』を目指していたのか、思い出してください。リゼの逆ハーレムを維持したまま、ゲームを正規の展開へ戻すためでしたよね」
そうだった。主人公であるノアに攻略対象を一人も渡したくないから、個別ルートを断念したんだった。
「でも、このゲームは、攻略対象の誰か一人と結ばれる『個別ルート』でも、正規のクリアとして扱われるはずです」
「確かに、個別ルートならラスボス討伐は起きないもんね。ってことは、あんたが誰かと結ばれてハッピーエンドを目指すってこと?」
「……いいえ。私の【運命交換】で、リゼを主人公に変えます」
「まじで? 結局交換してくれんの? お前、本当にいいやつだな」
死ぬくらいなら、一人くらい譲ってやってもいいかもしれない、とは思った。
でも、そもそもノアは、性自認も恋愛対象も曖昧だと言っていたし、それも難しいのかもしれない。
「……ちゃんと最後まで話を聞いてください」
ノアが露骨にため息をつく。
「この能力は、一度交換したら二度と元には戻せません。もし先にリゼへ主人公の役割を渡して、『やっぱり誰とも結ばれませんでした』と言われたら、取り返しがつかないんです」
その懸念はもっともだ。【魅了補正】がある以上、そんなことはまずないと思うが、固有スキルごと交換される可能性も捨てきれない。しかも私は、【魅了補正】を全力で使った挙げ句、一度リオンに婚約破棄された実績まである。
「なので、リゼが攻略対象の誰かと結ばれる、その瞬間に【運命交換】を使います」
ノアは一本ずつ指を立てるように、順序を整理していく。
「二人の想いが結ばれるその直前に、私とリゼの役割を交換する。そうすればゲームから見て、攻略対象と結ばれたのは《主人公》になります」
「それで個別ルートが成立すれば、ラスボスは生存?」
「はい。以前聞いた話では個別ルートでは誰かと結ばれるところまでで、ラスボス戦自体が発生しないんですよね? それならばラスボスが討伐される未来も、回避できるはずです」
「……お前、天才か?」
本当に目から鱗が落ちるかと思った。
「つまり、私が誰か一人と結ばれれば、ラスボス問題も全部解決して、生き残れるってことだな!?」
「確実とは言えません。でも、今のところ二人とも生き残れる可能性があるのは、この方法です」
ノアが、私の目を真っ直ぐに見据える。
「だからリゼ、腹を括ってください」
夜風が、私たちの間を吹き抜けた。
「リオン様、ガレス様、アシュレイ様。この三人のうち、誰でもいい。誰か一人を本気で選んで、結ばれてください」
脳内のアルコールが、一気に吹き飛んでいく。
「よし」
私は両手を強く握りしめた。
「決めた! 逆ハーレムは本日をもって解散!」
夜空へ向かい、高らかに宣言する。
「私、この三人のうち誰かを本命にして、全力で恋を掴み取って生き残る!!」
その瞬間。
「リゼ! こんなところにいた!」
テラスの扉が勢いよく開き、聞き慣れた声が響いた。リオンだ。
まるで飼い主を見つけた犬のような勢いで、こちらへ駆け寄ってくる。
「まだ俺と踊っていないだろう? 会場に戻ろう。皆に、俺の婚約者候補として正式に紹介したい」
「リゼから離れなさい」
背後から、冷たい声が飛んだ。アシュレイが眼鏡のブリッジを押し上げながら、鋭い視線でリオンを射抜いている。
「婚約破棄されて以降、まだ正式な復縁は認められておりません。彼女を当然のように自分のものとして扱うのは不愉快です。さあ、リゼ。こちらへ」
「いいや、俺と行こう」
横から滑り込んできたガレスが、当然のように私の手首を取った。そっと触れているだけなのに、逃がす気はないらしい。
「俺と踊る約束だっただろう。ダンスが下手だと思われたままでは癪だからな」
三人のイケメンたちは、誰が私と踊るかで再び小競り合いを始めた。
……うん。やはり逆ハーレムって本当に楽しい。
だけど私はこの中から誰か一人を選ばなければいけないし、これから命懸けの攻略が始まるわけだけど……現状、こいつらは全員、私のことが大好きだ。
そもそも私には【魅了補正】まである。ぶっちゃけイージーモードにも程があるのでは? これ、攻略難易度の問題じゃなくて、私が誰を本命に選ぶかってだけの話じゃん。
かくして、悪役令嬢による命懸けの個別ルート攻略作戦――難易度、楽勝。
その幕が、今ここに上がったのだった。




