第30話 酒クズ悪役令嬢、再び
大きく開かれた扉の向こうは、眩いばかりの光に満ちていた。
高い天井から吊るされたクリスタルのシャンデリアが輝き、他領から集まった高貴な貴族たちが、色とりどりの衣装を纏って談笑している。
「おー……」
思わず声が漏れた。地方の領主館にしては、予想を遥かに超えて豪華絢爛だ。
私たちが会場へ足を踏み入れると、周囲からちらちらと視線が集まった。
正確には、私にではない。私の少し後ろを歩くノアだ。
淡い青色のドレスに身を包んだノアは、華やかな会場の中でも異様なほど目立っていた。光を受けて輝く白髪と、雪のような肌。まるで本物の妖精が紛れ込んだようだ。
元から美少女だとは知っていたが、本気でドレスアップした彼女の破壊力は凄まじかった。男女問わず、会場にいる人間の目が釘付けになっている。
「ノア、すごい見られてるね」
「そうですかね……」
当の本人は、初めての夜会に圧倒されて他人の視線どころではないらしく、そわそわと居心地が悪そうに視線を泳がせていた。
その時だった。会場の音楽がピタリと止まり、一段と高い位置にある中央の扉が、厳かに開け放たれた。
「王太子殿下のご入場です」
会場の空気が一瞬で変わった。さっきまで談笑していた貴族たちが、自然と背筋を伸ばす。
現れたリオンを見た瞬間、私は思わず息を呑んだ。
いつも私に『リゼ〜!』と犬のように懐いてくる、あのポンコツ気味な男の姿はそこにはなかった。
王家の象徴たる深紅のマントを背負い、仕立ての良い白銀の正装を纏ったリオンは、背筋をすっと伸ばして悠然と歩みを進める。その圧倒的なオーラと、彫刻のように整った横顔は、まごうことなき“この国の次期国王”そのものだった。
(……うわ、何あいつ、めちゃくちゃカッコいいんだけど)
会場の貴族が息を呑み、令嬢たちが一斉に頬を染めて色めき立つ。
(ちゃんと王太子できるじゃん……)
周囲からも感嘆の声が上がる。
領主の案内を受けながら、リオンがゆっくりとフロアを見渡した。そして、壁際にいる私たちを見つけると、その凛々しい表情が一瞬で崩れ、ぱっと顔が明るくなる。
しかし、その視線がノアへ向いた瞬間、リオンの動きが完全に静止した。
「…………」
「?」
見つめられたノアが、不思議そうに首を傾げる。
リオンは何か言おうとして口を開き、すぐにそれを閉じた。そして、気まずそうにパッと視線を逸らす。よく見たら、耳まで真っ赤になっている。
……リオンといい、ガレスといい、アシュレイといい。私のチート級の魅了がかかっているはずなのに、ノアのビジュアルを前にデレやがって。
確かに原作なら、こいつらは全員ノアへ落ちる男たちだ。だからって、私の目の前で揃いも揃って見惚れることなくない?
なんだか無性に腹が立った私は、気づけば側を通りかかった給仕のトレーから、ワイングラスをひったくっていた。
◇
リオンの公式挨拶が終わり、歓談の時間が始まると、会場の注目は一気にノアへと集まった。
無理もない。絹のような白髪に淡い青のドレスを纏った彼女は、この世のものとは思えないほど美しく、目立ちすぎていた。
だが、ここで問題が発生した。
周囲の貴族たちが次々とノアに声をかけるものの、貧民街育ちで中身が日本の男子高校生であるノアに、高度な貴族マナーなど分かるはずもない。ダンスの誘いを受けても、相手とどう手を組めばいいのかさえ分からないのだ。
「あら……お声掛けしても挨拶一つ満足にできないのですか?」
「まあ、どちらのお家のお嬢様なのでしょう。ずいぶんと……自由な教育を受けていらっしゃるのね」
案の定、遠巻きに見ていた高慢そうな令嬢たちが、扇子で口元を隠しながらクスクスと嫌味を言い始めた。
ノアは困惑したように青い瞳を揺らし、居心地悪そうに身を縮めている。ガレスとアシュレイが不快そうに眉をひそめ、前に出ようとしたその時――。
私は、手元にあった高級ワインのグラスをぐいっと飲み干し、テーブルにドンッと置いた。
おかしい。まだ三杯しか飲んでないはずなのに、いい感じにアルコールが回っている。
ちらりと横を見ると、給仕のトレーには、いつの間にか十を超える空のグラスが並んでいた。本当におかしい、時空が歪んでる。
「おい、そこのすっとこどっこい共」
私がドスの利いた声で言い放つと、嫌味を言っていた令嬢たちがビクッと肩を跳ね上げた。
「リ、リゼリア様……!?」
狂った令嬢として社交界に名を馳せている私の登場に、周囲が一気に身構える。
「ノアが作法を知らないから何だってんだよ! 外野の有象無象がうるせぇんだよ、すっこんでろ!」
アルコールパワー全開の悪役令嬢ムーブである。治安は最悪だが気分は最高だ。
「な、なんですって……!」
「文句があるなら私の実家に正式に書類でも送ればぁ? 一瞬で家ごと叩き潰してやんよ!」
私が一歩詰め寄ると、ヒィッ、と短い悲鳴を上げて、令嬢たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。酔っ払い侯爵令嬢をナメんじゃねーよ。
「……リゼ、飲みすぎです。言葉遣いが完全にならず者になっていますよ」
そう言いながらも、アシュレイの口元は少し嬉しそうに綻んでいた。私はそんなアシュレイの顔を見てにやりと笑うと、腕を強引に掴んだ。
「付き合え!」
返事を待たず、フロアの中央まで引っ張っていく。
「ちょ、リゼ――」
演奏に合わせて半ば無理やり手を組ませると、そのまま一歩踏み出した。アシュレイは何事もなかったかのように、一瞬で私の歩幅へ合わせてきた。
さすが貴族。悔しいけどエスコートが自然すぎる。
導かれるままくるりと身体を返すと、ドレスの裾がふわりと舞い上がった。アシュレイに腰を支えられたまま振り返り、私はノアへ大きく手を振る。
「はー! 楽しくなってきた! ノア、よく見てな。今から覚えろ!」
「……え。私、今しがたダンスもできないと嫌味を言われたばかりですが」
呆然とするノアを、私は笑い飛ばす。
「ばーか! やったことないなら、できるかどうかなんて分かんないだろ! 私の足元見て覚えろ!」
「随分と無茶を言いますね……」
「大丈夫だ」
いつの間にか近くまで来ていたリオンが、ノアへ手を差し出した。
「俺が合わせる。お前は俺の足を踏まないことだけ考えろ」
「難易度が高いです」
「まずは一歩だ」
王太子直々の誘いに、会場中の視線が二人へ集まった。
「ガレスはダンス下手だから、リオンにしときな!」
踊りながら私が笑うと、ガレスは腕を組んだまま眉を上げた。
「言ったな。あとでお前も相手をしろ」
ノアはしばらく差し出された手を見つめたあと、私の方をチラリと見た。
私が頷くと、覚悟を決めたようにその手を取った。
最初の数歩はひどいものだった。危うくリオンの足を踏みそうになり、曲がる方向を間違え、身体が石のように固まっている。
それでもリオンは急かさなかった。
「そうだ。そのまま俺についてこい」
ノアも、私の足元を盗み見るようにしながら、必死に動きをなぞっていく。
一曲が終わる頃には、ぎこちなさこそ残っていたものの、先ほどの令嬢たちに笑われるような踊りではなくなっていた。
私の暴走により一時は騒然としていた会場も、いつの間にか穏やかな空気を取り戻し始めていた。




