第28話 ラスボス誕生のお知らせ
遺跡で銀月草を飲んでから、すっかり油断していた。私の呪いは、全然解けていなかった。一時的に無理やり抑え込んでいただけだったんだ。
黒い靄は止まることなく全身から溢れ続ける。
「っ、あ……!」
息ができない。胸の奥を素手で掴まれ、無理やり捻られるような激痛が走る。頭蓋の内側まで軋み、視界がぐらぐらと揺れた。膝から力が抜け、その場へ崩れ落ちる。
「リゼ!」
誰かが私の身体を支えた。霞む視界の向こうで、全員が青ざめた顔で私を見ていた。
……というか、こいつら全員、『忘れてた!』って顔して硬直してない?
薄情な奴らめ。私の命を何だと思ってやがるんだ。
「フェリクス!! どこかで見ているんでしょう!? 出てきてください!」
ノアの悲鳴のような鋭い声が、森へ響いた。直後、空間が水面のように揺らぎ、どこからともなくフェリクスがふらりと姿を現した。
「えー、さっきお別れしたばかりなのにさ」
相変わらず緊張感の欠片もない笑顔で、地面に倒れる私を見下ろしている。ノアがなりふり構わず一歩踏み出した。
「リゼの呪いを解いてください!」
「それは無理かな」
あまりにもあっさりと無慈悲な答えが返ってきた。
「この呪いは、僕でも解除できないよ。聖女様」
ノアの表情が、一瞬で絶望に染まる。
「そんな……」
古代呪術。ダンジョンのボスすらワンパンした最高レベルの神聖魔法が使えるノアですら、この呪いには手が出せない。
それならば国内のどんな高位神官を頼っても解除できないことは、もうとっくに分かっている。
だけど私は、フェリクスなら何とかできると勝手に思っていた。
「……あなたでも無理なら、もう誰も……」
ノアが掠れた声で呟く。それを見て、フェリクスは少しだけ困ったように眉を寄せた。
「でも、解ける人なら知ってるよ」
その一言で、ノアが勢いよく顔を上げた。
「教えてください!」
そうだ。出し惜しみしてないではよ教えろ。こっちは死にかけなんだよ。
遠のいていく意識の中で、私は必死に耳だけは二人の会話へ向け続けた。
「転生者――《主人公の親友》だよ」
ノアの目が大きく見開かれる。
「他にも……転生者が?」
私は、あの日のことを思い出していた。二日酔いで半裸のまま、フェリクスと話した日のこと。
「……全部で、四人って……言ってた……」
息も絶え絶えに言葉を繋ぐ。
悪役令嬢の、私。主人公の、ノア。ノアの師匠、セレナ。
そして――私たちやメインシナリオには関わるつもりはないと、隠れ潜んでいた最後の一人。
「あの子の固有スキルだったら、リゼを助けてあげられるよ」
「どんな能力なんですか!?」
ノアが必死で食い下がるが、フェリクスは困ったように眉を下げた。
「僕からはこれ以上言えないんだよね」
「ルカ……ルカ・エルグラン……」
私は息も絶え絶えにその名前を口にした。
主人公の親友というワードでわかった。四人目の転生者は“ルカ・エルグラン”だ。
ゲームに出てくる主人公の友達は一人しかいないから、間違いない。ゲームのイベントで主人公と意気投合し、親友ポジションに収まりながら、様々な裏情報を提供してくれる超重要モブキャラ。あいつが四人目だ。
思考がそこへ辿り着いた瞬間、私の限界が訪れた。世界がぐにゃりと反転し、私は真っ逆さまに底なしの闇へと沈んでいった。
◇
夢を見た。いや、それは『夢』という生易しいものではなかった。
私の魂の奥底に眠っていた、紛れもない――『誰かの記憶』だ。
視界のすべてが、眩いほどの白で満たされている。
周囲を、数え切れないほどの精霊たちが愛おしそうに、楽しそうに歌いながら舞っている。
かつて世界を満たしていた、光と祝福の歌声。
無数の光が流れ込んでくる。それは世界中の人間たちが放つ、膨大な心の欠片だった。
嬉しさ。悲しさ。尊さ。
けれど同時に流れ込む――怒り、憎しみ、妬み、昏い情念。
(これでいいの)
自分の唇が、確かにそう動いた感覚があった。
慈愛に満ちた、けれどどこか諦めたような優しい声が、自分の喉から響く。
(私が全部、受け止めればいいのなら)
次の瞬間、視界が真っ赤に染まった。
大地が裂け、燃え盛る街の中で、人間たちが互いを貪り食うように殺し合っている。
容赦なく流れ込んでくる感情の濁流が、一気に変質した。
悲鳴、絶望、憎悪、殺意。
どす黒い負の感情が、限界を迎えた心臓へと容赦なく突き刺さる。
痛い。胸が張り裂けそうだ。息ができない。あまりの苦痛に、自分の胸を掻きむしり、その場に膝をついた。
「もう、十分だ!!」
すぐ近くで、聞き覚えのある男の声が響く。張り裂けんばかりの、必死な悲鳴。
「姉さん、もうやめてくれ……!!」
大切な誰かが止めようとしている。だけど、血を吐きながらも首を振った。
(まだ……大丈夫……)
けれど、そう答える声は、自分でも引くほど異形のものへと変わっていく。
優しかったはずの声が、精神の崩壊と共に、ドロドロとした呪詛へと変貌していく。
(全部……消えれば、いい)
身体から、禍々しい魔力が滲み出る。
さっきまで愛らしく舞っていた精霊たちが、瘴気に染まり、次々と泣き叫びながら異形の魔物へと変わっていく。
空がガラスのように割れ、森が枯れ果て、世界そのものが私の拒絶に呼応して軋みを上げる。
「姉さんは悪くない……全部、人間のせいなのに……っ!」
視界が激しく回転する。
気づけば、無数の兵士たちに囲まれていた。黄金の鎧。王家の紋章。
床一面に広がる巨大な魔法陣から、蛇のような無数の鎖が這い出してくる。魔力に包まれた身体を、冷徹な鎖が容赦なく縛り上げていく。
冷たい。痛い。身体が動かない。
「やめてくれ!!」
叫ぶ誰かの声も虚しく、そのまま巨大な棺の闇の中へと強引に封じ込められた。
バタン、と蓋が閉まり、完全な暗闇が訪れる。
次に何かを感じたときには、どれほど時間が経ったのかも分からなかった。
五感が消えゆく中で、最後に耳元で聞こえたのは、誰かの酷く静かな声だった。
「君には……愛が必要だったんだ」
そこで夢は、ぷつりと途切れた。
◇
目を開くと、辺りはすっかり夜だった。嫌な汗をぐっしょりとかいている。
腕には黒い呪いの紋章が残ったままだったが、激しい痛みは治まっていた。
足元には、すり潰された銀月草の茎が落ちている。みんなが必死に呪いを抑えて、看病してくれた状況を察した。
焚き火の淡い灯りだけが、静かに揺れている。みんな看病で疲れ切ったのか、焚き火を囲んで眠っていた。
「……フェリクス」
私は声を顰めて呟く。
「いるんでしょ?」
「いるよ」
すぐ隣から声が返ってきた。若草色の髪が焚き火に照らされている。ずっといたのか、今現れたのか。当然のようにそこに座っていた。
やっぱりね。私は重い体をゆっくりと起こした。
「聞きたいことがある」
「何?」
胸の鼓動が、痛いくらいにうるさく跳ね上がる。今までの出来事が、頭の中で一本の線になり始めていた。
私を見た途端に怯えだした精霊たち。空っぽだった棺。死んだという空虚の精霊王。
そして――夢の中で、私を「姉さん」と呼んだ聞き覚えのある声。私の胸を引き裂いたあの絶望の感触。
何より、出会った当初から私に執着し続けるフェリクス。
「もしかして」
フェリクスの金色の瞳を真っ直ぐ見つめる。
「私が……空虚の精霊王?」
数秒、沈黙が流れた。
やがてフェリクスは、私の言葉をずっと待っていたかのように、嬉しそうに口元を綻ばせた。
「正解」
細い指先が私の髪をそっと掬い上げると、そのまま優しく、愛おしそうにそこへ口づける。
「みんなの前では言えなかったからね」
私の思考が、完全に停止した。
空虚の精霊王。世界を滅ぼす、このゲームのラスボス。そして、千年も前にとっくに封印され、死んだはずの存在。
それが――私?
夜の深い森に、ただ静かな風だけが、冷たく吹き抜けていく。
「……一体、どういうことなの」
掠れた声で問い詰めるが、フェリクスは私の質問には答えず、ただどこまでも穏やかに笑っているだけだ。
一見すると慈愛に満ちた笑顔。けれど、今の私には、その奥に底知れない闇が潜んでいるように見えた。
その笑顔を見た瞬間、何か大事なことを思い出しそうになった。
「……っ!」
頭が割れるような痛みが走り、視界がぐらりと揺れる。
あと少しで、一番大事な核心を思い出せそうなのに、脳が拒絶するように届かない。
「リゼ」
フェリクスは私を心配するわけでもなく、変わらぬ笑みを浮かべたまま言葉を繋ぐ。
「僕の望みが叶ったとき、君に全てを話すよ」
静かな声だった。
「だから、それまで少しだけお別れだ」
……勝手なことばっかり言ってんじゃねぇよ。
そう言い返そうとした瞬間、再び視界が暗く染まる。
最後に見えたのは、どこまでも穏やかに微笑む、フェリクスの顔だった。
そして私は、そのまま再び意識を失った。




