第26話 ノア、急に主人公ムーブするじゃん
ダンジョン最奥部。
紫色の不気味な光を放つ巨大な扉が、私たちの前に立ちはだかっていた。閉ざされた扉の隙間から、重く禍々しい魔力が漏れ出している。
この先にいるのは、ダンジョンのボス――古代王家の魔獣だ。
空虚の精霊王の封印を守る番人。その魔獣を倒し、その奥にある封印を解くことが、このダンジョンのクリア条件だった。
戦闘要員の四人は、それぞれ武器を構えている。
リオンは長剣。ガレスは大剣。アシュレイは魔導書。ノアは杖。
そして、精霊の加護もなければ、武器すら持っていない私。
嫌だなぁ。帰りたいなぁ。
だが、この先へ進まなければならない。
空虚の精霊王は、本来この世界を滅ぼすラスボスだ。
ゲームでは、封印された状態でも人間の負の感情へ干渉し、世界に悪影響を及ぼし続けていた。
しかも中途半端に封じたままでは倒せない。一度封印を解き、完全な姿で出現させたうえで討伐しなければならないという、非常に面倒な仕様だった。
もっとも、今回は事情が違う。
本来のシナリオなら、この時期の空虚の精霊王は、まだ本格的に人間へ干渉できるほど力を取り戻していない。
私のチート濫用によって世界の流れが大きく変わっている以上、ゲームと同じとは限らない。けれど逆に言えば、今ならまだ精霊王の力も完全には戻っていない可能性がある。勝つなら、今しかない。
「行くぞ」
リオンが扉へ手を掛けた。凄まじい地鳴りとともに、巨大な扉が左右へ開いていく。
その先に広がっていたのは、闇に沈んだ巨大な広間だった。中央には黒い魔法陣が描かれ、その手前に一頭の巨大な獣が眠っている。
漆黒の毛並み。全長は十メートル近い。獅子にも狼にも見える、異形の魔獣だった。
魔獣がゆっくりと目を開く。闇の中に、赤い眼光が灯った。
その瞬間、息をすることすら忘れそうなほどの威圧感が、広間を満たした。
「来るぞ!」
ガレスが叫ぶ。
――ボス戦が、始まった。
◇
数分後、パーティのメンバーは息も絶え絶えだった。
本来なら、ここまで苦戦する相手ではない。万全であれば勝てる相手……少なくともゲームではそうだった。
「……っ!」
リオンが後退する。
顔色が悪い。当然だ。昨日、ノアの治療で魔力を大量に消費している。
ガレスもアシュレイも万全ではない。大量の蜘蛛の急襲を退けるためにかなり消耗していた。
「アシュレイ! 右からだ!」
「分かっています!」
アシュレイの防御魔法に守られながら、ガレスが大剣を振るう。しかし、魔獣の強固な皮膚に弾かれ、決定打にならない。
アシュレイが素早く詠唱をすると、無数の魔法陣が展開される。高位攻撃魔法が次々に叩き込まれる。
すぐにガレスが大剣を振り抜く。今度は刃が皮膚を裂き、黒い血が散った。だが、傷は浅い。
魔獣はそのまま前足を振り下ろした。轟音とともに、床が砕ける。
「うわっ!?」
私は慌てて飛び退いた。
怖っ。近くで見るとめちゃくちゃ怖い。ゲーム画面越しと迫力が違いすぎる。
「リゼ! 俺の後ろにいろ!」
リオンが私を庇うように前へ出る。だがその動きも鈍い。
一方、ノアは後方で最低限の援護に徹していた。
結界も、牽制も、必要な分だけ。昨夜の傷が響いているのかと思った。けれど、その横顔は苦しそうというより――妙に冷静だった。
戦況は悪化していった。
ガレスが吹き飛ばされる。アシュレイの魔力も尽きかけている。リオンも膝をついた。
そのとき、魔獣が咆哮した。大きく体をのけ反り、その口内に、部屋全体を消し飛ばしかねないほどの超高密度の暗黒魔力を収束させ始めた。
やばい、これ知ってる。
全方位咆哮――ゲームでも防御なしなら一撃必殺レベルの全体即死攻撃だ。今の満身創痍のメンバーで喰らえば、確実に全滅だ。
「全員、逃げろ!!」
ガレスが叫ぶが、間に合わない。魔獣を中心に、漆黒の衝撃波が全方向へ爆発した。
死を覚悟して目を瞑った、まさにその時。
「――展開」
静かな声が響いた。ノアだった。
私たちの目の前に、幾何学模様の見たこともない巨大な黄金の結界が展開されていた。魔獣の放った攻撃は、その結界に触れた瞬間、あっけなく霧散していく。
私たち全員を消し飛ばすはずだった一撃が、結界をわずかも揺らすことなく消滅した。
「……は?」
私は間抜けな声を出した。唖然とする私たちの前で、ノアは杖を掲げた。
普段聞いたこともない長い詠唱を素早く紡いだ。
空間が歪み、白銀の光が無数の槍となって出現した。次の瞬間、それら全てがボスへ降り注ぐ。
鳴り止まぬ轟音。遺跡そのものが崩れそうな勢いだった。
そして、光が消えた時。あとに残ったのは、焦げた地面と、静寂だった。
しばらく私たちは呆気に取られ、何も言葉を発することができなかった。
しかし我に返った私は思わず叫んだ。
「ノア!!」
全員の視線が集まる。
「お前めっちゃ強いじゃん!!」
「……」
私は純粋に感動していた。すげぇ。めっちゃ強い。何あれかっけぇ。
だが、ガレスとアシュレイの反応は違った。ガレスが大剣を構えたまま、鋭い眼光でノアを睨みつける。アシュレイもまた、警戒の色を浮かべていた。
ガレスとアシュレイが警戒するのも無理はない。
一国の騎士団長と天才魔道士ですら防げない攻撃を、ノアは涼しい顔で消し飛ばしたのだ。あんな力があるなら、なぜ今まで使わなかったのか。ガレスが吹き飛ばされても、リオンが膝をついても。二人が警戒しているのは、強さだけではないのだろう。
リオンだけは、ただただ不安そうにノアを見つめていた。
「……別に、隠していたわけではありません」
ノアは皆の視線を浴びながら、ふいと目を逸らして、いつもの淡々とした口調で言った。
「追い詰められたので、たまたま覚醒しただけです。……それより、早く封印を解きましょう。これ以上ここにいるのは時間の無駄です」
嘘くせぇ。あからさまに誤魔化してる。だけど、今この場で、これ以上追及する時間もない。
私たちは釈然としない気持ちのまま、魔獣が守っていた最奥の祭壇へと向かった。
そこには、禍々しい鎖で幾重にも縛られた、精霊王の『封印の棺』がある。鎖の中心には王家の紋章が刻まれた石と魔法陣が浮かんでいた。
「これを解除すればいいのね」
鎖に刻まれた術式が、一つずつ白く発光していく。
アシュレイとノアが魔法陣に魔力を注ぎ込み、リオンが王家の剣で封印の要石を叩き割る。鎖がガラガラと崩れ落ち、棺の蓋がゆっくりと開いた。
いよいよ、ラスボスである空虚の精霊王との対峙。私は身構えた。
「……あれ?」
棺の中には、何もなかった。
禍々しい瘴気も、強大な精霊の気配も、何も無い。ただの、古びた空っぽの石の箱だった。
ゲームならここで空虚の精霊王が現れるはずだったのに。
「どういうことだ……? 封印が、破られていたのか?」
リオンが周囲を警戒する。だが、周囲に誰かが侵入した形跡はない。
「うん。驚くのも無理はないよね」
聞き慣れた声が響く。振り返るとそこには若草色の髪をした精霊王が立っていた。
「フェリクス!」
封印を解いたことで、精霊を拒む結界も消えたのだろう。いつの間にか追いついてきていた。
フェリクスは封印の跡を見て笑う。
「うん。ここには何もないよ」
フェリクスは空っぽの棺を覗き込み、優しく笑った。そして、まるで当たり前のことを告げるように言う。
「だって空虚の精霊王は、とっくに死んじゃったから」
「…………え?」
その言葉に、私たちは全員凍りついた。




