第25話 お前、それはダブスタでは?
私の代わりに魔物の攻撃を受けたのは――ノアだった。
小さな身体が勢いよく壁へ叩きつけられる。
「ノア!!」
リオンが叫ぶ。ほとんど反射だった。抜き放たれた長剣が銀色の軌跡を描き、蜘蛛型の魔物を真っ二つに切り裂く。
だが、それで終わりではなかった。天井の闇から、さらに数匹の蜘蛛が這い出してくる。リオンもノアへ駆け寄ろうとしたが、天井から落ちてきた蜘蛛に行く手を塞がれた。
「まだいる!」
ガレスが前へ飛び出した。大剣を振るうたびに硬い外殻が砕け散るが、数に押されて防戦一方だ。
アシュレイも即座に魔法陣を展開する。
「焼き払います!」
青白い魔法陣が幾重にも重なり、轟音と共に業火が吹き荒れた。
蜘蛛たちは悲鳴を上げながら燃え落ちていく。それでも数匹は炎をすり抜け、ガレスへ飛びかかった。
「邪魔だ!」
剣閃が走る。だが、狭い空間で次々と襲い掛かる魔物を捌き続けるのは容易ではない。
ガレスも肩で息をし始めていた。アシュレイも大規模魔法を連発したせいで額に汗が滲んでいる。二人とも、明らかに消耗していた。
その間、私は何もできなかった。ただ、血だまりの中へ倒れたノアの元へ駆け寄ることしかできなかった。
「ノア!」
ノアを抱き起こすと、私の腕までみるみる赤く染まっていく。小さな身体からは、止めどなく血が溢れていた。
「嘘でしょ……」
手が震えて、うまく力が入らない。
「なんで……なんで私なんかを庇うんだよ!」
ノアはゆっくりと瞼を開いた。
「別に……死ぬほどの怪我じゃ……ないです」
「馬鹿言うな!」
思わず怒鳴りつけていた。こんな出血で軽傷なわけがない。ノアは苦しそうに息を吐きながら、小さく笑った。
「痛いのは……慣れてるので……」
その言葉が、胸へ深く突き刺さる。
慣れているわけがない。慣れなければ、生きてこられなかっただけだ。
幼い頃から周囲に虐げられ、本来主人公だったはずの人生を奪われ、誰にも助けられず。そんな過酷な運命を背負わせた元凶は――私だ。
「……それも全部、私のせいだろ」
元はといえば、私の【魅了補正】が世界を歪めたせいで、ノアはこんな過酷な運命を背負わされた。私を恨んでいても、おかしくないのに。
ノアは弱々しく首を横へ振った。
「……違う、んです」
消え入りそうな、途切れ途切れの声。
「リゼの……おかげで……私は……ここに、いるんです……」
「……え?」
意味が分からなかった。
聞き返そうと口を開く。だが、その前にノアの身体から力が抜けた。
「ノア! しっかりして!!」
背後で炎が轟いた。最後の蜘蛛が焼け落ちると同時に、リオンがこちらへ駆け寄ってきた。
「リゼ、どいてくれ!」
誰より青ざめた顔で、震える手をノアの傷口へ伸ばす。
「俺が回復魔法をかける!」
リオンの手のひらから、淡い緑の光が溢れ出し、ノアの傷口を包み込む。しかし傷が深すぎる。
「……くそ」
リオンの額へ汗が浮かぶ。私は思わず尋ねた。
「大丈夫なの?」
「……時間が、かかる」
歯を食いしばったまま答える。
回復魔法は万能ではない。傷が重ければ重いほど、膨大な魔力を消費する。
このパーティの役割分担は、はっきりしている。
ガレスは最強クラスの近接戦闘能力を持つ前衛。
アシュレイは圧倒的火力を誇る後衛魔術師。
ノアは回復・結界・浄化を担う支援役。
そしてリオンだけが、剣も魔法も回復も一通り扱える万能型だった。
しかしリオンの回復魔法はあくまで応急処置のレベル。ノアには到底及ばない。それでも、今この場でノアを救える可能性があるのは、リオンしかいなかった。
「ノアは死なせない」
回復魔法をかけ続けながら、リオンが静かに言った。
「俺が付きっきりで看病する。だから、お前は少し休んでろ」
そう言ったリオンの手が震えていた。
リオンの真剣な横顔は今まで見たことがないほど必死で、私はただ、ノアの無事を祈ることしかできなかった。
◇
その夜。もう誰も酒を飲もうなどとは言わなかった。焚き火の火だけが静かに揺れている。
リオンはずっとノアの隣に座り続けていた。魔力が回復するたび回復魔法を使い、少し休んではまた魔法を使う。延々とその繰り返しだった。
「リオン」
私はたまらなくなって、声を掛けた。
「少し休みなよ。あんたまで倒れる」
「まだだ」
返事は短かった。視線は一度もノアから離れない。
「お前……俺に言ったじゃないか……」
リオンが寝入るノアの手を握り締め、消え入るような声で何かを呟いていた。
◇
翌朝。
「おはようございます」
「…………は?」
聞き慣れた声に顔を上げる。
ノアが何事もなかったように起き上がっていた。あまりにも普通すぎて、一瞬思考が止まる。
「……この、馬鹿!!」
少しの沈黙の後、我に返った私は勢いよく駆け寄り、その頭を軽く叩いた。
「痛いです」
「当たり前だ! お前、自分が死んだら世界滅亡確定なの忘れんな!!」
「忘れてません」
「忘れてるだろ!」
怒鳴り返す私を、ノアは困ったように、けれどどこか嬉しそうに笑って見つめる。
顔色はまだ少し青白い。けれど、あの凄惨な傷口は綺麗に塞がっていた。リオンの懸命な治療のおかげだった。
「……よかった」
それを見てリオンが安堵した顔をする。一睡もしていない彼は、目の下に濃い隈を作り、露骨に疲れ切っていた。
「リオン様、ありがとうございました」
ノアが衣服を整え、淡々とお礼を言う。
相変わらずさっぱりしたノアの態度に、頑張ったリオンがちょっとだけ気の毒に思えてくる。
「リゼ」
周囲の偵察へ出ていたガレスが戻ってきた。その表情はいつになく険しい。
「来た道の方から、あの蜘蛛どもの本隊が近づいている。……数が多い。戻るのは無理だ」
その一言で、その場の空気が一気に張り詰めた。アシュレイが苦々しく息を吐く。
「……昨夜の消耗を考えると、ここで迎え撃つのは悪手ですね」
昨夜の戦闘で彼もガレスも魔力と体力を消耗している。ノアも応急処置は終わったとはいえ万全ではない。ここへ留まり続ける方が危険だった。
残された道は、もう一つしかない。
私はまだ少し足元のふらつくノアの肩を支えながら、広間の先にある、最奥へと続く巨大な石扉を見上げる。
私たちは静かに荷物をまとめる。
『リゼのおかげで、私はここにいるんです』
その言葉だけが胸に刺さったまま――
私たちは、古代魔獣の待つ最奥へと足を踏み入れた。




