第24話 ボス戦前夜
ダンジョン攻略四日目。
あれから私たちは、いくつもの罠や魔物を突破しながら、着実に最奥へ近づいていた。
「その先、床から槍が出るよ。右の壁に仕掛けがあるから、先に作動させて」
私が指示を飛ばす。リオンが何の疑問もなく右側の壁へ近づき、軽く拳で叩いた。
次の瞬間、ガコン、と嫌な音が響き、私たちの数歩先で、床一面から鋭い槍が一斉に突き上がる。
「うわっ!」
リオンが慌てて飛び退く。その様子に、ガレスが呆れたように肩を竦めた。
「また罠か……」
「だから言ったじゃん」
そう言って胸を張る私に、アシュレイが心底感心したように息を吐く。
「本当に全部知ってるんですね、リゼ」
知ってるというか。元になったゲームを何周したと思っている。
攻略対象全員攻略済み、イベント回収率百パーセント、隠しエンディングまで見た廃人プレイヤーを舐めてもらっては困る。
特にダンジョン後半のトラップ地帯は、セーブ&ロードを繰り返したから嫌でも身体が覚えているのだ。
「リゼすごいな!」
リオンが素直に目を輝かせる。
「まあねー。もっと崇めてくれてもいいよ?」
ゲーム知識だけなら、この世界で私に敵う人間はいない。その全能感が、私の警戒心をじわじわと麻痺させていた。
◇
一本道だった通路が、ゆるやかに開けていく。石造りの壁のあちこちから、紫色の水晶が妖しく光を放つ見覚えのある景色。肌を刺す空気も、一段と冷たくなった気がした。
ゲームの画面越しに何度も見た場所。この長い回廊の先に、ダンジョンのボスである古代魔獣が待つ祭壇がある。
そこを突破すれば、このダンジョン最大の目的地である『空虚の精霊王の封印』だ。
「みんな、ちょっと止まって。この先にヤバイ魔物がいる」
四人の表情が一気に引き締まる。
「強いのか?」
リオンの真面目な問いに、私は重く頷く。
「今までのモンスターとは比べものにならない。万全じゃないと普通に全滅するレベル」
もちろんゲームのデータ上の話だが、現実となったこの世界では何が起こるか分からない。
「だから、今日はここで一晩休もう」
紫水晶の手前にある小さな広場。ここはゲームでもセーブポイント代わりになっていた、安全地帯だ。
「一晩しっかり休んで、体力も魔力も全快にしてから挑む」
最初に頷いたのはガレスだった。
「賛成だ」
「では、ここへ結界を張ります」
ノアが杖を構えようとするのを、私は手で制した。そしてそっと耳打ちした。
「あ、結界はいらないよ。ここはゲームでも敵が出ない場所だから。ノアも今日はゆっくり休みな」
「……リゼがそう言うなら」
ノアは少し迷う素振りを見せたが、これまでの私の完璧なナビゲーションを信頼してか、静かに杖を下ろした。
「よーし、じゃあ今日はゆっくり休もう!」
私が息を吐くと、全員の肩から同時に力が抜けた。数時間張り詰め続けていた極限の緊張が、ようやく解けた瞬間だった。
てきぱきと男子陣が野営の準備を進める中――私は一人、彼らの仕事ぶりを優雅に眺めながら酒を飲んでいた。
「リゼも少しは働いたらどうですか」
アシュレイが呆れたように言う。
「私はほら、精神的支柱だから」
「初めて聞きましたよ、そんな役職」
「それに私、何やらせてもみんなほどうまくできないし?」
「……リゼのやり方でかまいませんから。ほら、コップに水を注ぐくらいはやってください」
おや? 今までのアシュレイなら、私を甘やかすために何もさせないし、私が何かしようものならいちいち手際に小言を言ってきたはずだ。
昨日の件で、ちょっとは変わったってことか。
それに、三人ともあれ以来変な行動は起こしていない。魅了による世界の歪みは、確実に修正されつつある。
「仕方ないなぁ」
水筒を掴み、コップに水を移そうとする。しかし、すでに自分がお酒を飲んでいたせいで手元がおぼつかない。案の定、盛大に床へぶちまけた。
「……やっぱり、リゼは座っていてください。貴重な精神的支柱ですので」
アシュレイの優しい笑顔が、逆に怖かった。
◇
焚き火を囲み、保存食と温かなスープで遅めの夕食を取る。
「ほら、リゼ。スープだ」
ガレスが木椀を差し出してくる。
「ありがと」
受け取ると、今度は保存食の干し肉まで押し付けられた。
「肉も食え」
「えー、固いから嫌。顎が疲れる」
「好き嫌いするな。だからいつまで経っても体力がつかないんだ」
そう言いながら、ガレスは私の返事も待たず、慣れた手付きで干し肉を小さく裂き始める。
「子供扱いすんな」
「子供みたいなことを言うな」
反論できなかった。結局、小さく千切られた肉を素直にもぐもぐ食べる。
……なんだろう。完全に保護者である。
その様子を見ていたアシュレイが、小さく笑った。
「なんだか私たち、普通の仲間みたいですね」
「今さら?」
私が首を傾げる。
「少し前までは、お互いに牽制し合ってこんな雰囲気ではありませんでしたから」
確かにそうだった。
本来は王立学園で友情を育み、身分を超えた仲間だった三人を、私の【魅了補正】が、私を奪い合うライバルへ変えてしまっていたのだ。
ガレスは敵意むき出しだったし、アシュレイは全員を警戒していた。そしてリオンは馬鹿だった。……まぁそれは今も変わらないか。
気がつけば、当たり前のように一つの火を囲んで食事をしている。
私の理想だった逆ハーレムとは少し形が変わってしまったけれど、この居心地の良さは悪くない。
「ノア、残り少ないけど水飲むか?」
リオンが自分の水筒をノアへ差し出す。ノアは静かに首を振った。
「いえ、私は結構です。皆さんで分けてください。アシュレイ様もお疲れでしょうし、水を作っていただくほどではありませんから」
残りわずかな水を遠慮してか、ノアがやんわりと断った。
……さっき水をぶちまけた私が責められてる気分になるじゃないか。
「水がないなら酒を飲めばいいじゃない」
いたたまれなくなった私は、勢いよく酒瓶を取り出した。
「何を言ってるんですか。明日は強敵と戦うんでしょう?」
アシュレイが即座に突っ込む。
「景気づけに一杯くらい乾杯しようよ! 明日の朝には抜けてるから大丈夫だって!」
ただ人を巻き込んで飲みたいためだけに食い下がる。
「……まぁ、一杯くらいいいだろう。もう休むだけだ」
最初に乗ってきたのは、意外にもガレスだった。
「ガレス!?」
アシュレイが目を丸くする。
「確かにな。明日に向けた団結の意味も込めて」
リオンまで乗っかり、木のコップを掲げる。
「……一杯だけですよ」
アシュレイは観念したようにため息を吐いた。
そうこなくっちゃ。
「よし、ノアもコップ出して!」
嬉々として酒を注ごうとする私に、ノアは困ったように微笑んだ。
「……私は飲めません」
「ノリ悪!」
「まだ十四歳なので」
「え! 十四!?」
思わず立ち上がる私に、全員の視線が集まる。
「若っ! え、嘘でしょ!?」
確かガレスが二十一歳、アシュレイは二十歳、リオンは私と同じ十九歳だったはず。そしてノアだけ十四歳。
ノアだけ圧倒的に若い。確かに見た目は背も低いしガリガリの幼児体型で子供にしか見えないが、中身が落ち着きすぎていて、完全に忘れていた。
前世で言えば中学生だ。そんな子供をこんな危険な場所に連れ回しているのかと思うと、急に申し訳なさが込み上げてくる。
「ノア……これからはもっとお姉ちゃんを頼っていいからね」
「リゼ、あなたより私の方がよっぽど強いんで大丈夫ですよ」
相変わらず生意気である。
リオンがそれを見て笑った。ガレスは優しい目で見守ってくれる。アシュレイは呆れながらも笑っていた。
焚き火の火が穏やかに揺れる。誰もが、ほんの少しだけ気を緩めていた。
だから、誰も気づけなかった。天井の闇に潜んでいた巨大な影に。
――キシャアアアアアアアッ!!
耳をつんざくような奇声が、広間へ響き渡る。
「敵襲――ッ!?」
ガレスの怒号と同時に、天井から巨大な蜘蛛型の魔物が一直線に落下してきた。
(嘘……安全地帯じゃ、なかったの……!?)
全身の血が凍りつく。ゲームではここは絶対に敵が出ない場所だった。だから安全なのだと、勝手に決めつけていた。
もしかしたら原作では描写されていないだけで、ノアが結界を張っていたのかもしれない。
そのノアを止めたのは、私だ。私の知識を、過信して。
しかし、後悔よりも早く、魔物が猛スピードで突進してくる。
狙いは――武器も持たず、座り込んでいる私。
「リゼ!!」
誰かの悲鳴のような叫び。視界を埋め尽くすほど巨大な脚が、私の脳天へ振り下ろされる。
避けられない。死ぬ。そう確信した瞬間。
小さな白い影が、私の視界を遮るように飛び込んできた。
生々しく肉を切り裂く、鈍い音。生温かい液体が、私の頬へ飛び散った。
「…………え」
目の前で、ノアの小さな身体が、鮮血の尾を引いて、激しく壁へと吹き飛んだ。




