第23話 孤高の公爵子息③
その日の野営は、妙に静かだった。
いつもならリオンがくだらない話を始め、ガレスが呆れながら相槌を打ち、私が茶々を入れる。
そんな騒がしい空気は、どこにもない。
焚き火だけが、ぱちぱちと乾いた音を立てていた。
原因は誰の目にも明らかだった。昼間の戦闘――アシュレイが味方である二人を拘束し、連携を崩壊させた一件である。
「リゼ、その肉ですが」
それなのに、当の本人だけは、何事もなかったような顔をしていた。
「少し焦げていますね。こちらと交換しましょう」
私の串肉を自然に取り上げ、自分の焼き加減の良い方を差し出してくる。
「……ありがと」
その様子を見ていたリオンが複雑そうな顔をし、ガレスは無言で肉をかじる。ノアだけが、おろおろと全員の顔を見比べていた。
(空気わっる……!)
アシュレイはそんな空気の悪さに気づかないのか、気づいていないふりをしているのか。その冷静さが逆に怖い。ちょっと狂気すら感じる。
耐えかねた私は、黙って酒瓶の栓を抜いた。ちなみに食事の前にも酒を飲んでいたので、総合的にはすでに結構な量の酒を飲んでいる。
「え、まさかまた飲むんですか?」
アシュレイが眉をひそめる。いや、お前に引かれたくないわ。
「飲む。飲まなきゃやってられん」
私はぐいっと一口あおる。強いアルコールの香りが鼻を抜けた。
「あー、生き返る」
そのままハイペースで酒を胃に流し込む。よし、いい感じにアルコールが回ってきた。
「リゼ、それくらいにしてください。体に良くありません」
止めようとしたアシュレイに舌打ちを返し、そのままさらにぐいと酒を飲み干す。体がカッと熱くなり、視界が心地よく揺れ始めた。
「リゼ……」
「うっせー、黙れ。お前細かいんだよ」
「……は?」
アシュレイの表情が固まる。
胸の奥で何かがぷつりと切れた。私は酒瓶を地面へ置き、アシュレイを真っ直ぐ睨みつける。
「歩き方がどうだとか、飲み過ぎるなとか、いちいちうるさい!」
「私はリゼのためを思って……」
「別に頼んでない。それで言うと、昼間の『一人で守る』とかも一切求めてないから!」
アシュレイはしばらく硬直したあと、すっと席を立った。
「……もう結構です」
しかし、私は最強の酔っ払い。そしてだる絡みのプロである。逃がすかよとアシュレイの腕にしがみつき、全力で絡み酒を続ける。
社交界でもこれで嫌われた実績があるが、全く反省する気はない。
「ふーん、逃げるわけ? 気に食わない。実につまらない。せっかくなんだからさぁ、腹を割って話そうじゃないの!」
「離してください。酒臭い」
アシュレイは私の顔を容赦なく手で押し戻そうとするが、酔っ払いの筋肉を舐めてはいけない。
「いちいち小言を言って、都合が悪くなったら逃げるとか器が小さすぎ! だからお前、友達いないんじゃねぇの!?」
私の暴言に、焚き火の向こうでノア、リオン、ガレスの三人がぎょっとした顔をした。
「はぁ……?」
アシュレイの顔色が変わった。あの怜悧な公爵子息が、初めて感情を剥き出しにして私を睨み返してくる。
「昼間のときもそうですけど、めんどくさいだの友達いないだの……あなた、失礼すぎませんか?」
「本当のことだろうが。じゃあいるのかよ、友達」
「リゼだって友達いないでしょう」
くそ、図星だ。前世でも今世でも遊び相手や取り巻きはいても、腹を割って話せる友達なんて一人もいない。
「私はいいんだよ! ……男にはモテるから!」
苦し紛れにそう吠えると、アシュレイはこれ以上ないほど冷ややかに鼻で笑った。
その小馬鹿にした笑い方が、猛烈に腹が立つ。
「論点を逸らさないでください。モテるかどうかと友人の有無は別問題でしょう。第一、私だって女性には非常に人気があります」
「ぐっ……」
言い返せない。確かにアシュレイはモテる。彼との縁談を望む令嬢は星の数だけいるし、私など足元には及ばない。
でも、腹が立つ。すごーく腹が立つ。
私は酒瓶を掴み直した。
「……やっぱお前めんどくせぇな」
「言い返せなくなったらそればっかりじゃないですか」
その時、焚き火の向こうで、ついにリオンが吹き出した。ガレスも笑いを堪えている。ノアは完全に呆れた視線で私たちを見守っていた。
アシュレイはそんな男どもを鋭く睨みつけた。
「何笑っているんですか! だいたいねぇ! あなたたちがしっかりしていないから、私が注意しなければいけないんじゃないですか! 私が何も言わなければ、このパーティはとっくに崩壊しています!」
急に飛んできた特大の火の粉に、リオンが慌てて手を振る。
「おい、こっちを巻き込むなよ……」
「いーえ、無関係ではありません。ここ数日、あなたたちに振り回されて私がどれだけ大変だったことか。私と戦闘で連携したければ、まずはそのアホな行動をやめてください」
「俺たちはそんなに信用ないか?」
ガレスが少し呆れたように言う。
「信用じゃありません。失敗する可能性を考えれば、私が一人でやるのが最善です」
「いや、お前、私の近くにいるのは自分だけでいいとか言ってたじゃん。急に頭よさそうな理由つけんなよ」
私は酒瓶を抱えたまま口を挟む。
「……私なら、確実に守れます」
「だからって、他のやつが助けるのまで邪魔する必要ある?」
アシュレイが口を開きかけた。
だが、言葉は出てこなかった。眉間に皺を寄せ、何かを堪えるように唇を引き結ぶ。
「……自分の目が届くところにいてほしいんです」
先ほどまでとは違う、低い声だった。
「私の手で守っていれば、何が起きても自分で対処できる。ですが、他人に任せたら……」
そこで言葉を切り、焚き火へ視線を落とした。
「……誰かを信用して失敗するくらいなら、自分で全部やった方がいい」
焚き火がぱちりと音を立てた。誰も、すぐには何も言えなかった。
「……ほら」
私は酒瓶をゆらゆらと揺らしながら、にやにやと笑う。
「だから友達いねぇんだよ」
「まだ言いますか!」
アシュレイがここまで大声を出し、感情を露わにする姿など、全員初めて見たのだろう。
またしてもリオンが肩を震わせ、アシュレイがそれを本気で睨みつける。
「笑うなリオン!」
アシュレイはまだ何か言い返している。リオンも負けじと反論する。ガレスまで呆れたように口を挟む。ノアは困りながら止めに入っている。
さっきまで重苦しかった空間が、いつの間にか騒がしくなっていた。
(……なんだ。ちゃんと本音あるじゃん)
私はそれを見届けると、満足して酒瓶を抱え込んだ。
「……眠」
そのまま後ろへ倒れ込む。
「あっ、リゼ!?」
ノアの声が遠くなる。もう限界だった。眠い。
◇
翌朝。昨夜の口論が嘘のように、私たちはダンジョンを進んでいた。
リオンはいつも通り先頭を歩き、ガレスは周囲を警戒する。ノアは地図を片手に静かについてきていた。
……私はいつも通り二日酔いだ。
アシュレイだけが、妙に口数が少なかった。
「来ます」
ノアの声と同時だった。岩陰から無数の羽虫のような魔物が飛び出してくる。
「任せろ!」
リオンが飛び出し、ガレスも剣を抜いた。
魔物は数は多いが個々は弱そうだ。物理打撃よりも、広範囲魔法で一網打尽にするのが最も効率が良い。
それを察してか、アシュレイが素早く前に出て魔法陣を展開した。
「大丈夫です。すべて消し去ります」
アシュレイの鋭い詠唱と共に、魔物たちは一瞬で激しい業火に包まれ、燃え尽きた。
魔物の気配が消え、安心したように魔法を解除した、その時だった。
「アシュレイ、後ろだ!!」
リオンの鋭い声が響く。アシュレイが振り返ったときには、炎を逃れた生き残りの一匹が、すでにその鼻先まで迫っていた。
完全に反応が遅れたアシュレイが、目を丸くする。
しかし、横から割り込んだガレスの剣が、魔物を一刀両断にした。
「よし、今度こそ全滅だな」
ガレスが剣を鞘に収める。アシュレイは自分の失態にショックを受けたのか、呆然と立ち尽くしていた。
「……すみませんでした」
アシュレイの口から、ぽつりと掠れた声が漏れた。
「昨日のことも含めて……私は……」
プライドの高いエリート公爵子息が、あんなに弱気な顔をするなんて珍しい。
だが、リオンは不思議そうに首を傾げた。
「昨日? 何かあったか?」
「さあな」
ガレスまで平然と言い放つ。アシュレイは目を瞬かせた。
「私は昨日、あなたたちを魔法で拘束して、勝手な真似を……」
「あー、あれか!」
リオンは軽い調子で笑った。
「そんなこともあったな」
ガレスも短く笑って、アシュレイの肩を軽く叩いた。
「誰だって失敗はする。次からまた、いつも通り連携すればいい」
それだけだった。
二人とも、アシュレイを責める言葉も、説教も、謝罪を求める視線すら向けない。ただ、当たり前のように隣へ戻ってくる。
返す言葉が見つからないのか、アシュレイはただ二人を見つめていた。
――誰かを信用して失敗するくらいなら、自分で全部やった方がいい。
昨夜、彼が吐き捨てたあの頑なな言葉。
だけど、目の前の男たちは、アシュレイが失敗しても当然のように手を差し伸べた。
仲間を信頼してもいいんだと気づき、アシュレイの表情が少しずつ柔らかくなっていくのが分かった。
二人を見るあの冷たかった瞳に、人間らしい温かさが灯っている。
酒飲んで説教した甲斐くらいはあったな。二日酔いの頭を冷ましながら、私は心の中で小さく笑った。




