第22話 孤高の公爵子息②
暗闇の中から姿を現したのは、巨大な岩蜥蜴だった。
全長は五メートル近い。全身を覆う灰色の鱗は岩そのもののように硬く、太い尻尾が床を擦るたび、石畳が派手に砕け散っていく。
「ロックリザードか」
ガレスが静かに呟く。
「鱗は硬いが、動きは鈍い。いつも通り連携すれば問題ないな」
リオンが一歩踏み出した、その瞬間だった。
「……いいえ」
遮るように、アシュレイが首を横に振った。
「今回は私が前へ出ます」
「え?」
リオンが目を丸くする。
「珍しいな」
ガレスも少しだけ眉を上げた。
普段のアシュレイなら、真っ先に全員の役割を整理し、最も効率の良い戦術を組む。自分から前衛へ出たがるようなタイプではない。
「後衛の援護はどうする?」
「必要ありません」
アシュレイはひどく静かに答えた。
「私一人で十分ですので」
その言葉に、一瞬だけ空気が凍りつく。
「いや、一人で十分って……でかいよ? めちゃくちゃ強そうだよ!?」
私が思わず口を挟むと、アシュレイは優しく微笑んだ。
「問題ありません。リゼは私の後ろにいてください」
その笑顔はいつも通り穏やかなのに、どこか妙な違和感があった。どこがおかしいのか分からない。けれど、背筋に冷たいものが引っ掛かる。
その時、ロックリザードが鼓膜を裂くような咆哮を上げ、一気に距離を詰めてきた。
「来るぞ!」
ガレスが地を蹴ろうとする。
「……必要ありませんと言ったでしょう」
アシュレイが短く呟いた。次の瞬間、淡い青の魔法陣がガレスの足元へ広がる。
「――拘束」
無数の光の鎖が、ガレスの両足を容赦なく搦め捕った。
「なっ……!?」
ガレスの動きが完全に止まる。リオンも驚愕してアシュレイを振り返った。
「おい! 何をやってる!」
だがアシュレイは、視線すら向けずに前だけを見つめていた。
「リゼの近くへ、行かないでください」
抑揚のない、静かな声だった。けれど、その一言に含まれた異様な拒絶に、私の肌が粟立つ。
「アシュレイ! 解除しろ!」
ガレスが鎖を引き千切ろうと肉体を軋ませる。だが、光の鎖はびくともしない。
「数秒だけです。私一人で終わらせますので」
「馬鹿を言うな! 連携しろ!」
リオンが怒鳴るが、アシュレイはすでに一歩踏み出していた。
ロックリザードが大きく口を開き、巨大な岩塊を吐き出す。
アシュレイが手をかざすと、幾重にも重なった青白い魔法陣がそれを正面から受け止め、空中で粉々に砕き散らした。
そのままアシュレイは足を止めない。流れるような詠唱と共に、激しい数筋の雷が魔物を撃ち抜く。ロックリザードが苦しげに巨体をよじった。
「おお……」
思わず声が漏れる。強い。普段から優秀だとは思っていたけれど、ここまで圧倒的だったなんて。
「アシュレイ、右だ!」
ガレスが叫ぶ。ロックリザードの太い尻尾が、空気を切り裂いてしなる。
だが、アシュレイは警告された方向へ目を向けなかった。こちらを振り返り、私の顔を確かめている。
「リゼ、大丈夫ですか」
「え? あ、うん……」
「離れないでくださいね」
直後、ロックリザードの尾が横薙ぎに迫った。
「危ないっ!!」
リオンが堪らず飛び出そうとする。
その眼前で、尾が青白い障壁に激突した。鈍い轟音にも、アシュレイはこちらを向いたまま眉ひとつ動かさない。
「邪魔をしないでください」
アシュレイが冷ややかに指を鳴らすと、今度はリオンの足元にも光の鎖が爆発的に突き上がった。
「なっ!?」
「私が、リゼを守ります」
リオンもガレスも動けない。ノアも異常な状況についていけず固まっている。完全に、パーティの機能が崩壊していた。
背後で障壁を叩く尾を振り返りもせず、アシュレイはただ私を見つめたまま詠唱を完成させる。
空間を埋め尽くすほど展開された魔法陣から、轟雷が放たれた。それはロックリザードを容赦なく飲み込み、その巨体を木端微塵に吹き飛ばす。
地響きを立てて魔物が崩れ落ち、静寂が訪れる。
アシュレイはゆっくりと手を下ろした。
「終わりました」
いつもの完璧な笑顔だった。
「リゼ、お怪我はありませんか?」
「……いや」
返事に詰まる。怪我はないし、完璧に守られた。でも、これは……。
「アシュレイ」
ガレスが地を這うような低い声で威嚇する。
「拘束を解け」
「おっと、失礼しました」
アシュレイは何でもないことのようにパチンと指を鳴らした。ガシャン、と鎖が光の粒子になって消える。
「いやいやいや!」
私は頭を抱えて叫んだ。
「何やってたの今!?」
「敵を倒しましたが?」
「そこじゃない!」
リオンも信じられないものを見る目でアシュレイを睨む。
「おい、俺まで止める必要があったか!?」
「ありました」
アシュレイは一片の迷いもなく、大真面目に答えた。
「リゼの近くにいるのは、私だけで十分ですから」
空気が凍りついた。
ガレスが侮蔑とも警戒とも取れる視線で眉を寄せ、ノアも珍しく絶句している。
……私は知っている。この光のない目を。この、狂気を孕んだ圧倒的な独占欲を。どこか根本から壊れてしまったような、悍ましい違和感を。
まただ。
リオン。ガレス。そして、今度はアシュレイ――




