第20話 寂しがり屋の騎士団長③
ガレスは微かによろめいた。
毒が回っている。肩から流れ落ちた血が、石畳へぽたり、と落ちた。
「……ガレス?」
返事はない。呼吸だけが少し荒くなっている。しかし私を抱く左腕だけは、一向に緩まなかった。
「おい! ちょっとやばそうじゃん! 降ろせって!」
「……駄目だ」
「まだ言う!? とりあえず一回止まれよ」
ガレスも限界だったらしく、私を降ろしてその場に崩れるように腰を下ろした。私も隣にしゃがみ込む。それでも、ガレスは私の肩を抱いたまま離そうとしなかった。
「お前、状況わかってんの? 毒食らってんだぞ!?」
「問題ない。すぐには死なん。この程度の毒なら、まだ持つ」
「問題あるわ!」
思い切りガレスの胸を叩く。
「さっきから問題ないしか言ってないじゃん!」
ガレスは困ったように笑うだけだった。その笑顔が、逆に腹が立つ。
「約束した」
「は?」
「命に代えても、お前を守ると」
そんな約束したっけ?……なんかそんなこと、言ってた気がする。
でも、知ったことか。勝手に約束されて、勝手に命をかけられて、勝手に死なれても、こちらとしては夢見が悪い。
「そんな約束、私してない! ……と思う!」
ガレスは少しだけ驚いた顔をした。
いや、だってそんな重い約束押し付けられても困るし。とりあえず否定しておこう。
ガレスの顔色はどんどん悪くなっていき、苦しそうに息を吐いている。
私の魅了のせいかもしれないが、勝手に命かけた約束して、本当に遂行しようとしているこの愚直な男に、なんだか腹が立ってきた。
「あとさぁ、この際だから言わせてもらうけど。自己満足な男、私ほんと無理」
「……は?」
今度はガレスが本気で固まった。私はもう止まらなかった。
「あんたが死んだら誰が私を守るの? あんたが私降ろしてさっさと倒した方が安全じゃん。普通に考えて、全滅するじゃん。それなのに自分だけ勝手に死のうとして。結果、私も死ぬじゃん。何それ、意味分かんない」
「…………」
「騎士団長なんでしょ? 合理性どこ置いてきたの? 騎士団長から合理性取ったら何残るの?」
ガレスは何も言わない。毒で具合が悪いのかもしれない。
……いや、それでも返事くらいできるだろう。
「なんで黙るの? 都合が悪くなったら黙るんだ? そうやって何も言わずに、私が諦めるの待ってるんでしょ?」
「違う」
「じゃあ何? なんとか言いなよ。何も言えないってことは、私が正しいから言い返せないってことでしょ?」
とにかく一方的にガレスを責める。
やばい、やっちまった。腹が立つと、どうしても止められない。
前世でもそうだった。元彼と喧嘩になるたび、相手が黙れば黙るほど責め立ててしまう。
こういう言い方をすると、大体男は逃げ腰になると知っているのにどうしてもやってしまう。
でも止められないのだ。私はそういう性質なのだ。
ガレスは返事をしなかった。いや、返せなかった。
その瞳は、もう私を見ていなかった。
「……合理的」
掠れた声が漏れた。
「俺は……」
「……ガレス?」
さすがに不安になって顔を覗き込む。
ガレスは一度、私へ視線を戻した。それから、私の肩を抱く自分の腕へ目を落とす。
何か言いかけて、口を閉じた。私は次の言葉を待った。今度は、急かす気になれなかった。
「……悪かった」
ようやく漏れた声は、どこか肩の力が抜けていた。
「さっきは、少し頭がおかしかったらしい。俺が倒れたら、お前まで危険になる。そんなことも分からなくなっていた。誰よりも合理的であることが俺の責務だというのに」
「少しじゃないけど?」
私は即座にツッコむ。
「完全におかしかった。毒より先に頭治したほうがいいレベル」
ガレスは小さく苦笑した。
「否定できんな」
ガレスは珍しく肩を震わせて笑った。さっきまでの張り詰めた空気が、少しだけ和らぐ。やがて、その笑みも静かに消えた。
「……さっき言っていた、妹の話。聞いてくれるか?」
ガレスはゆっくり目を閉じる。私は黙って頷いた。
「俺の家は貧しかった」
ガレスは静かに語り始めた。
「両親は朝から晩まで働き詰めだった。俺は、人並み外れた身体能力と魔力を見込まれて、異例の若さで騎士団へ入った。少しでも家を楽にしたくて必死だった。家へ帰れない日も珍しくなかった」
ガレスの横顔に、深い悔恨の影が落ちる。
「俺には歳の離れた妹がいた。妹は、俺や両親の気を引きたくて、いつも我儘ばかり言っていたよ。あれが欲しい、これがしたい、遊んでほしい、置いていかないで、と」
少しずつ、ガレスの表情が苦く変わっていく。
「当時の俺は、全部ただの我儘だと思ってあしらっていた……でも、違った。妹は、寂しかっただけだった」
ガレスが私を抱く腕に、ぐっと力がこもる。
「ある日、妹は俺を追いかけて家を飛び出した……そして、馬車に轢かれて死んだ。本当にあっけなく、一瞬だった」
「……っ」
いくら無神経な私でも、これには何も言えなかった。
「両親も、その後すぐ流行病で死んだ。一瞬で、家族がいなくなった」
声に感情はない。感情を出し尽くした人間だけが話せるような、乾いた口調だった。
通路に静寂が落ちる。遠くで水滴が落ちる音だけが響いていた。
「……だから俺は、守ることだけを考えて生きてきた。二度と失わないために。誰よりも強くなって、誰よりも先に前へ出て……気づけば騎士団長にまで出世していたよ」
ガレスは自嘲するように笑う。
「だが、気づけば守ること自体が目的になっていた……そして、お前を妹と重ねていたんだろう」
その目が、真っ直ぐ私を見る。
「きっと……寂しいのは俺だったんだ」
少し熱の籠った、優しい視線。いつも冷静なガレスが本心を曝け出してくれたのがわかる。
「え、妹と重ねてたって失礼じゃない? 私は私なんだけど」
私の言葉は予想外だったらしい。ガレスは目を丸くしたあと、
「……そうだな」
今度こそ自然に笑った。
「その通りだ」
その笑顔は、今まで見たどの笑顔よりも穏やかだった。まるで長年背負っていた荷物を、少しだけ下ろせた人のように。
「お前と妹は別の人間だ。それでも、お前は妹と同じくらい大切な存在だ。そこはわかってほしい」
今度は真剣な目で私を見た。なんだこれ? 実質告白か?
まぁ私の元彼たちも、『あいつは妹みたいなもんだから』って言ってた女と百%浮気していたし、男にとっての妹はそういう隠喩なのかもしれない。
きょとんとする私を見て、ガレスが優しく笑う。
「さぁ……行こう。早く合流して解毒してもらわないと本当に死ぬ。リゼ、立てるか」
「え?」
「自分で立て」
私は少し驚きながらも頷いた。
「……うん」
自分の足で立ち上がる。
その時だった。ガレスがふいに足を止め、耳を石壁へ当てる。
「……静かに。壁の向こうから、かすかに声が聞こえる。リオンたちの声だ」
試しに私も耳を当ててみたが、何も聞こえない。どんな耳してるんだ、こいつ。
私はじっと壁を見つめる。
……この状況なら、いけるか?
《対象:アシュレイ・グランディス》
《イベント補正》
《――成功》
成功の文字を見て、少し安堵する。
《イベント補正》は、発動するとすぐに対象とのイベントが必ず起こる。だから、相手が遠く離れていたり、どうやっても接触できない場所にいたりすると使えない。都合のいい偶然は起こせても、相手をどこからでも呼び寄せられるわけではないのだ。
今回は壁一枚向こうにアシュレイがいる。この程度の隔たりなら、どうにかなるらしい。
「うおっ!」
「きゃっ!?」
足元の石畳がぐらりと傾く。私の身体が、システムによる“都合のいい偶然”に引っ張られるように滑った。
「リゼ!」
ガレスが反射的に私を受け止めようと腕を伸ばす。しかし、湿った苔に足を取られた。
二人揃って体勢を崩す。そのまま私の上へガレスが覆いかぶさる形で倒れ込んだ。
次の瞬間、ガラガラと音を立てて、壁が崩れ落ちた。
土煙の向こうには、呆然と立ち尽くすアシュレイと、その後ろにいるリオン、ノアの姿が見える。
アシュレイは目を丸くして私たちを見ている。
成功だ。だってこれは、ガレスではなく“アシュレイの独占欲”を増幅するイベントだからな。
「リゼ!!」
押し倒された私。その上に覆いかぶさるガレス。
「……何をしているんですか?」
アシュレイが静かに笑った。でもその目だけは、まったく笑っていなかった。
彼の背後から、凍てつくような漆黒のオーラが立ち上がるのを、私は確かに見た。




