第19話 寂しがり屋の騎士団長②
「ガレス?」
私が問い返すが、ガレスはすぐには答えなかった。ただ前だけを見つめたまま、一定の歩幅で歩き続ける。
しばらくして、小さく口を開いた。
「……お前の親は、どんな人だった」
「親?」
唐突な質問だった。
「今の親は普通だよ」
実際、侯爵家の両親は、今世ではそれなりに私を可愛がってくれている。だけど、私の魂の根底にあるのは前世の記憶だ。
「でも前世はな……親なんていないようなもんだった」
そこから淡々と話した。
前世の親は、絵に描いたような毒親だった。遊んでばかりで、私のことなんて視界に入れてくれなかった。
家にいても一人だったこと、褒められた記憶がないこと、愛されている実感がなかったこと。
変な空気にならないように、妙に軽い口調で話した。ガレスは黙ってそれを聞いていた。全部話し終わった後、言った。
「そうか。寂しかったんだな」
短い返事なのに、不思議と全てを理解してくれたように感じた。
その一言だけで、胸の奥が少しだけ痛くなる。
「……そんな大した話じゃないけどね」
笑って誤魔化した。ガレスは黙っていたが、少しだけ私を抱く腕に力が入る。
「さっき言った似たようなやつ……それは俺の妹だ」
その声だけが、どこか懐かしそうだった。
「へぇ、妹いるんだ」
「お前に少し似てる」
「美少女?」
ガレスは優しく笑って否定も肯定もしなかった。ただ、その横顔だけが少し寂しそうに見えた。
私は続きを聞こうと口を開きかけた。
その瞬間だった。ガレスの表情が変わる。獣のように鋭い眼差し。
「……来る」
「え?」
空気が震えた。
カサカサと乾いた音が通路の奥から響いてくる。次第にその音は大きくなり、壁や天井まで震え始めた。
「な、何?」
闇の中から現れたのは、馬ほどもある巨大な蠍だった。
黒い外殻に、岩を砕くほど巨大な鋏。そして何より、その背後で不気味に揺れる尾。先端の毒針は紫黒く光り、床へ一滴落ちた毒液だけで石がじゅっと音を立てて溶けた。
「毒蠍か」
ガレスが静かに呟く。
「離れるな」
「いや離れるも何も」
私はまだ抱きかかえられたままだ。逃げようにも逃げられない。
毒蠍は甲高い咆哮を上げると、一気に距離を詰めてきた。巨大な鋏が振り下ろされる。
ガレスは右手だけで大剣を振り抜いた。金属同士が激突し、火花が散る。
鋏を真正面から弾き返し、その勢いのまま蠍を数歩押し返した。
人一人抱えたまま戦っているとは思えない。
「すごっ……!」
だが、ガレスは追撃しなかった。弾かれた鋏の向こうで、もう片方の鋏が開いている。ガレスが踏み込もうとすると、その切っ先が私の足元へ向いた。
すぐに身体を引き、私を胸元へ抱え直す。その間に、毒蠍は体勢を立て直していた。
大剣を振る力はある。なのに、攻め込めない。
私の身体が蠍へ近づくたび、ガレスは踏み込みをやめてしまう。左腕で私を抱えたまま、右手の剣で鋏を弾き、距離を取る。その繰り返しだった。
「ガレス! 私を降ろしなよ!」
私は思わず叫ぶ。
「駄目だ。お前を守りきれない」
「抱えたままじゃまともに戦えないじゃん!」
「構わん」
その答えには一切の迷いがなかった。
毒蠍が、再び鋏を振り下ろした。ガレスは大剣で受け止める。刃と外殻が軋み、足元の石畳が砕けた。
その頭上で、尾がしなる。黒紫色の毒針が狙っていたのは、ガレスの腕の中にいる私だった。
「ガレス、降ろし――」
言い終わる前に、左腕が私を強く引き寄せた。視界がガレスの胸で塞がれる。私を背後へ隠すように、彼が身体をひねった。
鈍い音がした。
「……っ」
顔を上げると、ガレスの左肩を、毒針が深く貫いていた。
「ガレス!!」
引き抜かれた針の先から、血が滴る。傷口には紫色の液が滲み、周囲の皮膚がじわじわと赤黒く変わっていった。
ガレスは剣で鋏を押し返し、ようやく蠍から距離を取った。それでも、私を抱く腕は緩まない。
「なんで降ろさないの!? 私を後ろに降ろせば、避けられたでしょ!」
「その間に、お前が狙われるかもしれない」
「だからって、刺されてどうすんの!」
「お前には当たらなかった」
ガレスは私の顔を確かめた。それで十分だと言うように、わずかに表情を緩める。
「それでいい」
迷いのない声だった。まるで、それ以外の選択肢など最初から存在しないかのように。
ぞっとして、私は息を呑む。
こいつ、リオンとどこか似ている。私を守ることしか見えていない。自分が傷つくことなんて、本気でどうでもいいと思っている目だった。
合理的に考えれば、私を降ろして瞬殺するのが正解だ。でも、私に一%でも危険が及ぶなら、ガレスはその選択肢を取らない。優秀な騎士団長とは思えない。明らかに異常な判断だった。
「……また来るぞ!」
再び襲いくる毒蠍。毒を喰らってもガレスは素早く身を翻した。片手とは思えない重い一撃が、毒蠍の鋏を弾き返す。
だが、そのたびにガレスの腕がわずかに震えた。私はすぐ気づいた。もう限界に近い。
「ガレス!」
必死に叫ぶ。
「降ろせって! さっさと瞬殺したほうが早い!!」
「……駄目だ。お前が危ない」
「お前、今ちょっと普通じゃないって! まじで!!」
思わず腕の中でもがくが、私が暴れるとガレスはさらに抱き寄せる。
「さっきは抱えろと言ったり、降ろせと言ったり、我儘なやつだ」
ガレスは困ったように笑った。
「笑ってる場合じゃないだろ!」
毒蠍が、両の鋏を大きく開いた。逃げ場を塞ぐように左右へ広げ、尾を高く振り上げる。その瞬間、鋏の陰に隠れていた胴が、無防備にさらされた。
ガレスは深く息を吸う。右手一本で大剣を握り直した。私を胸へ抱き込み、右手の大剣を低く引く。
「終わりだ」
毒針が振り下ろされる。今度は、退かなかった。ガレスは斜め前へ踏み込み、迫る尾の下をくぐった。背後で毒針が石床を砕く。その音に重なって、大剣が下から跳ね上がった。
刃が、鋏の付け根から胴へ食い込む。
一瞬、硬い外殻に阻まれて止まった。ガレスの喉から低い声が漏れる。踏み込んだ足が石畳を削り、そのまま右腕が剣を振り抜いた。
外殻が砕ける轟音が、通路を震わせた。黒い体液が舞う。毒蠍の巨体が傾き、斜めに断たれた胴が、重い音を立てて崩れ落ちた。
「……やっぱ規格外に強いな」
思わず呟く。
片手で。しかも人一人抱えたまま。高ランクの魔物を、一撃だった。
「……ガレス?」
返事がない。恐る恐る顔を覗き込む。
ガレスの顔色は青白くなっていた。毒は、確実に全身へ回り始めていた。




