第18話 寂しがり屋の騎士団長①
「痛った……たた……あれ?」
深い闇の底で、私は恐る恐る目を開いた。落ちたはずなのに、思ったほど身体は痛くない。
腕や足を動かしてみる。骨は折れていないし、どこかを強く打った様子もなかった。
辺り一面には柔らかな苔が広がり、その上には淡い光を放つ魔法陣がゆっくりと消えかけている。
「ああ……」
おそらく、ノアの防御魔法だろう。落ちる瞬間、とっさに展開してくれたのか。
こんな高さから落ちて無傷なんだから、本当に大したものだ。
「やるじゃん」
私は小さく呟いてから、穴の上を見上げた。
遥か頭上には、小さな丸い光だけが見える。リオンたちが覗き込んでいるのは分かるが、顔までは判別できない。
「うわぁ……」
思ったより深い。ゲームでも落とし穴イベントはあった気がするが、実際に落ちると笑えない。
「これ、自力じゃ絶対帰れないやつじゃん」
壁は滑らかな岩盤で、手を掛けられそうな場所はほとんどない。詰みかもしれない。
そんなことを考えていた、その時だった。
突然、頭上から凄まじい風切り音が響いた。直後、地面が揺れた。
「おい! 無事か!?」
聞き慣れた低い声。そこには、片膝をついたまま着地したガレスの姿があった。
「ガ、ガレス!?」
思わず叫ぶ。
「飛び降りてきたの!?」
何十メートルあったと思ってるんだ。
ガレスは返事をするより早く立ち上がり、真っ直ぐ私の元へ歩いてきた。
「上の三人が帰り道を探している。俺はお前の確保をしにきた」
あんまり答えになっていないような気がするが、ガレスの大きな手が私の肩を掴む。
「怪我は? 痛むところは?」
「ない」
「頭は打ったか」
「多分平気」
矢継ぎ早の確認が終わると、ガレスはようやく小さく息を吐いた。
「……そうか。今回もお前が無事で良かった。お前はいつも運がいい。前に魔物に襲われたときも、正直、間に合わないと思った」
「助けた本人がそれ言う?」
「あの一瞬、奴が足を止めなければ、間に合わなかった」
ガレスは安心したように髪を撫でると、もう一度だけ私の顔を見た。それからようやく背を向ける。
今度は岩壁へ近づいていった。壁へ手を掛け、試しに身体を持ち上げる。数メートル登ったところで、靴が滑り、岩肌を削りながら着地した。
「無理だ」
「判断早っ」
改めて見上げても、ほぼ垂直の岩壁だ。ガレス一人なら勢いで登れる気もしなくはない。でも私を抱えたままでは、さすがに不可能らしい。
「じゃあ詰み?」
「いや」
ガレスは静かに辺りを見回した。
「出口を作る」
「……はい?」
言葉の意味を理解するより早く、ガレスは一歩前へ出た。
腰を落とし、右拳を握る。嫌な予感しかしない。
「ちょ、待っ――」
拳が岩壁へめり込んだ。凄まじい轟音が地下空間に響き渡る。
岩盤へ蜘蛛の巣のような亀裂が走り、細かな石片が雨のように降り注いだ。
「えぇ……」
私は口を開けたまま固まる。ガレスは構わず二撃目を放つ。岩壁が耐えきれず崩れ落ちた。
土煙が晴れていく。その向こうには、薄暗い石造りの通路が続いていた。
「……出口、あったな」
ガレスが当然のように呟く。
「いや、今作ったよね!?」
「結果的には出口だ」
「その理論はおかしい!」
私の抗議など気にも留めず、ガレスは崩れた岩を踏み越えて歩き始めた。
「行くぞ」
「いや、こいつほんと脳筋だな……」
ぶつぶつ文句を言いながら、私は慌ててその背中を追いかけた。
◇
通路の中はひどく静かだった。
崩れた壁の向こうとは思えないほど整った石造りの回廊が、闇の奥へ真っ直ぐ続いている。天井には古びた魔石が埋め込まれているらしく、ぼんやりと青白い光が足元だけを照らしていた。
湿った空気が肌にまとわりつく。遠くで水滴の落ちる音だけが規則正しく響いていた。
私は自然とガレスとの距離を詰める。
「ガレス、暗くて怖いなぁ」
できる限り可愛らしい声を作って言ってみる。こんな状況なんだから、距離を縮めさせてもらおうじゃないか。
ガレスは足を止め、小さく振り返った。鋭い目が私を見る。ほんの一瞬だけ沈黙が流れた。
「……離れるな」
ガレスは私の手首を取り、自分の腕へそっと乗せた。
「俺の腕を掴んでいろ」
よし、悪くない。かなり悪くない。
このまま好感度を稼いでやろうじゃないか。
◇
それから数分。私はすっかり猫を被るのをやめていた。
「ガレス、疲れた」
ガレスがぴたりと足を止め、振り返った。私は背筋を伸ばす気にもなれず、だらだらと足を引きずっていた。
「歩け。少しでも早くみんなと合流しないと危険だ」
「知るか。私が疲れたと言っている」
だって歩くだけなんだもん。しかもこっちはさっきまで呪いで寝込んでたんだぞ。恋愛イベントとか以前に、普通に疲れた。
「おんぶ」
「却下だ」
「じゃあ抱っこ」
ガレスは黙る。
「歩きたくない。足だるい」
「リゼ。少しは遠慮というものを覚えろ」
「私、好きな人には甘えるタイプなの」
言ってから、しまったと思う。ちょっと攻めすぎたかもしれない。
ガレスのような堅物にはあんまり挑発的な攻め方はダメだと乙女ゲームで習ったというのに。
ガレスは一瞬だけ目を丸くした。だが、すぐ困ったように息を吐き、私の足元へ視線を落とす。
崩れた石畳。湿った苔。ところどころ崩落しかけた床。この先も歩きやすい道ではないことは、一目で分かった。
「……足場が悪い。転ばれたら面倒だ」
次の瞬間、身体がふわりと浮いた。
「わっ」
ガレスは何も言わない。
ただ私が落ちないよう、腕の位置だけを静かに直した。
(キタアアアアアア!!)
私は心の中だけで盛大にガッツポーズを決めた。
魅了補正万歳!! 最強騎士団長の溺愛イベント、最高かよ!
しかし、少しだけ違和感があった。
以前魔物から助けられた時。あるいは王城で抱き締められた時。
あの時のガレスは、もっと力強かった。腕の筋肉が緊張していて、まるで絶対に離さないとでも言うような抱き方だった。
でも今は違う。腕に余計な力が入っていない。壊れ物を扱うように、驚くほど丁寧だった。
私の身体が揺れないよう、歩幅まで細かく調整している。
胸へ耳が当たる。規則正しい鼓動だけが静かに響いていた。
見上げると、ガレスと目が合った。
その眼差しに、私はまた違和感を覚えた。今まで向けられてきた熱っぽい視線とは違う。
もっと穏やかで、もっと優しくて、壊れやすい物を慈しむような目だった。
(……今日のガレス、なんか変だぞ)
その優しさに、なぜだか胸がざわつく。
しばらく沈黙が続いた。私を抱えたまま、ガレスは一定の歩幅で歩き続ける。やがて、小さく口を開いた。
「リゼ」
「ん?」
「お前は……いつも、そうやって誰かの気を引こうとするんだな」
「……え?」
予想外の言葉だった。私は思わず目を瞬かせる。
「我儘を言ったり。わざと困らせたり」
ガレスの声は静かだった。
「……妙に色仕掛けのような真似をしてみたり」
バレていたのか。脳筋だと思って舐めてた。
「まるで」
そこで少しだけ目を細めた。
「もっと自分を見てくれと泣いている、小さな子どものようだ」
何も言い返せない。いつもなら、子ども扱いすんなとでも返すところなのに。
「……似たような奴を知っている」
ぽつり、とガレスが呟く。
その声音だけが、今までと違っていた。どこか遠くを見つめるような、懐かしさと、寂しさが入り混じった声。
「誰?」
私が問い返しても、ガレスはすぐには答えなかった。ただ前だけを見つめたまま、静かに歩き続ける。
その横顔は、今まで見たどの表情よりも、少しだけ寂しそうだった。




