第17話 役に立ちたい王太子③
銀月草。崩れた石の隙間に、青白い光が揺れていた。月明かりを閉じ込めたような淡い輝き。
「よかった……!」
リオンは思わず駆け寄ろうとして、足を止めた。
草の周囲だけ空気が歪んでいる。赤黒い魔力が細い糸のように絡み合い、蜘蛛の巣のような術式を描いていた。
誰が見ても正常ではない。でも、リゼの苦しそうな顔が浮かぶ。
守れなかった。役に立てなかった。そんな後悔から、せめて今回はとリオンに焦りが生じる。
リゼのため。そう思うと、すべてのことがどうでもよくなった。
本能が危険だと警鐘を鳴らしていた。
それなのに、その警鐘は、たった一人の少女を助けたいという感情に、あっさりと塗り潰されていく。
きっと罠だ。死ぬかもしれない。
だから何だ。リゼが助かるなら、自分の命など惜しくない。
その考えを、異常だとすら思えなかった。まるで、それだけが正しい世界の理であるかのように。
リオンは迷わず手を伸ばした。
その瞬間だった。
「何やってるんですか!!」
怒声が遺跡に響いた。細い腕がリオンの右腕を乱暴に掴み、力任せに後ろへ引く。
「うわっ!?」
次の瞬間、さっきまでリオンの指先があった空間を、目に見えない刃が切り裂いた。
石壁が深く抉れ、無数の破片が飛び散る。遅れて爆風が二人を襲った。
「っ……!」
リオンは床へ転がり込み、ようやく何が起きたのか理解する。あと数センチ。あと少し手を伸ばしていたら、自分の腕ごと吹き飛んでいた。
「ノア……?」
振り返ると、白髪の少女が肩で息をしていた。眠りの浅かったノアは、石室を抜け出したリオンに気づき、後を追ってきたらしい。その顔は、見たことがないほど怒っていた。
「死ぬ気ですか!」
「俺はただ……リゼを助けたくて……」
「だから何ですか!」
ノアが一歩踏み込む。その勢いに、リオンは思わず言葉を失った。
「命を粗末にする人は嫌いです」
震える声だった。
「誰かのためなら死んでもいいなんて……そんな投げやりな考え方、認めません」
「でも……」
「でもじゃありません!」
普段は感情をほとんど表に出さないノアが、こんなにも取り乱している。その事実に、リオンは目を見開いた。
「リゼが助かれば、自分は死んでもいいんですか」
「それは……」
ノアの細い手は、まだリオンの腕を掴んだままだった。その手は、小刻みに震えている。
「あなたが死んだら、残された人たちは、この国は、どうなるんですか」
静かな問いだった。けれど、その一言はリオンの胸に深く突き刺さる。
今まで、リゼリアを守ることしか考えていなかった。リゼのためなら命を捨ててもいい。それが当然だと思っていた。
「……すまない」
ようやく絞り出せたのは、その一言だけだった。
ノアは少しだけ表情を緩める。
「謝る相手は私じゃありません」
「……ああ」
「今は戻りましょう。一晩休んでから、皆で回収します」
「わかった」
リオンは素直に頷いた。
◇
翌朝。銀月草は、皆で協力して回収することになった。
最初に、アシュレイが術式を解析する。
「接近した瞬間に空間斬撃が発動するタイプですね。古代王家らしい嫌らしい罠です」
「解除できるか?」
リオンが尋ねる。
「完全解除は難しいですが、発動位置なら読めます」
ガレスはリゼリアの護衛として拠点に残っている。アシュレイが斬撃の通る範囲を示し、ノアがそこを遮るように結界を展開した。そして、リオンが慎重に手を伸ばした。
「今です」
アシュレイの声と同時に、リオンが銀月草を刈り取る。
その瞬間、罠が発動した。透明な刃が削るように音を立てて、結界を抉っていく。ノアが歯を食いしばる。
「っ……!」
「あと少し!」
リオンは最後の一本を掴み、そのまま飛び退いた。それと同時に、結界が砕け散る。だが、その頃には全員が術式の外へ退避していた。
「成功ですね」
アシュレイが静かに微笑んだ。
リオンは銀月草を見つめる。一人では絶対に無理だった。だが、仲間と力を合わせれば、自分にも担える役目があった。
◇◇◇
私が寝ている間に銀月草を取りに行ったリオンたちは、しばらくして無事に戻ってきた。
アシュレイは手際よく薬を調合する。私は石鍋から立ち上る匂いだけで顔をしかめた。
「……嫌な予感しかしない」
「効き目は保証しますよ」
「味は?」
「保証できません」
アシュレイの笑顔は晴れ晴れとしていたが、なんとも嫌な笑顔だった。覚悟を決めて一気に飲む。
「まずっ!!」
泥水を何十年も熟成させたような味だ。
「うえぇ……」
涙目になりながら蹲る。
しかし効果は本物だった。しばらくすると、全身にまとわりついていた重さが少しずつ消えていった。
右腕の黒い紋様は残ったままだが、身体は普通に動くようになった。
「助かったぁ……死ぬかと思った」
「根本的な解呪ではありません。症状を抑えているだけです」
アシュレイが釘を刺す。
「でも歩けるなら十分!」
私は勢いよく立ち上がる。ただ普通に動けるということが、こんなに幸せなことなんて知らなかった。苦しかった反動か、無駄に気力が湧き上がってくる。
「よし! 探索再開!」
「元気ですね」
「元気じゃなきゃやってられん!」
私は意気揚々と部屋を飛び出した。さっさとこんなダンジョンから、居心地の良い王城に帰りたいしな。
そもそも、昨日呪いを受けたのだって、少し油断しただけだ。
ゲーム知識がある私に怖いものなんて――
……いや。
ダンジョン序盤って、正直あんまり覚えてないんだよな。呪いの症状も落ち着いたし、しばらくは安全地帯……だった気がする。
そんなことを思いながら、私は一行の先頭へ出た。
――カチッ
「ん?」
足元から、小さな音がした。
「リゼ」
ガレスの低い声が響く。
「動くな」
「え?」
言われるまま足元を見る。石床が、ほんの僅かに沈んでいた。
「あ」
嫌な予感しかしない。
「ちょ、これってまさか――」
言い終わるより早く、床が大きな音を立てて左右へ開いた。
「ええええええええ!?」
身体が宙に浮く。そのまま真っ暗な穴へ吸い込まれていく。
「きゃああああああああ!!」
◇◇◇
絶叫が遺跡中へ響き渡った。
ガレスが駆け寄り、アシュレイが咄嗟に拘束魔法を放つ。だが、どちらも間に合わない。
「リゼ!」
リオンが反射的に飛び出す。考えるより先に身体が動いていた。
助けなきゃ。守らなきゃ。
リゼのためなら、たとえ死んでも――
穴へ飛び込もうとした、その瞬間。視界の端で、ノアと目が合った。
真っ直ぐな瞳。昨夜、自分の腕を掴んで震えていた小さな手。
――誰かのためなら死んでもいいなんて……そんな投げやりな考え方、認めません。
「あ……」
踏み出しかけた足が、ためらった。
これまでの自分なら、何も考えず穴へ飛び込んでいた。それが“愛”だと疑いもしなかった。
リゼを助けたい。その気持ちは変わらない。
だが、今ここで飛び込んで、本当に助けられるのか。自分まで一緒に落ちるだけではないのか。
リオンは歯を食いしばり、穴の縁で踏みとどまった。
ほんの一瞬だけ。リオンは初めて、【魅了補正】に抗った。
「リゼーーーーー!!」
リオンの叫びだけが、暗く深い穴の底へ虚しく響く。
リゼリアの姿は、すでに闇の中へと消えていた。




