第16話 役に立ちたい王太子②
一時間ほど後、遺跡の一角にある小部屋に、驚くほど快適な簡易拠点が完成した。
最初にこの部屋を見つけたのはガレスだった。崩れた通路の奥にある、壁の一部が崩落した小さな石室。天井は低いが、入口が一つしかないため守りやすく、床も比較的平らだった。
ガレスは周囲に罠がないか確認し、崩れた石をどかし、寝床にできそうな場所を整えた。リオンは火を熾した。アシュレイは魔法で水を精製し、持っていた薬草や保存食を整理している。ノアは部屋全体に防御結界を張った。
全員有能だった。……私以外。
「……何これ。異世界ダンジョンって、もっとこう、地べたで震えながら夜を越すものじゃないの?」
私は壁際に敷かれた外套の上で、ぐったりと横になっていた。
右腕には、黒い蔦のような紋様がまだ浮かんでいる。呪いのせいで身体は鉛みたいに重く、息をするだけでも体力を削られている気がした。
「リゼ、水を飲むか?」
リオンが木のコップを差し出してくる。
やたらと真剣な顔だった。たぶん、私の役に立ちたいのだろう。
「ありがとう……」
受け取ろうと手を伸ばした瞬間、メキッ、と嫌な音がした。
「え」
リオンが力を入れすぎたのか、木のコップに亀裂が走った。受け止める間もなく、水が私の服にぶち撒けられる。
「…………冷たい」
「す、すまん!」
「なんでだよ! しかもその壊れ方なんなんだよ!」
叫んだ拍子に頭がズキンと痛む。くそ。呪いのせいでツッコミにも体力を使う。
「すぐ拭く!」
リオンは慌てて布を探そうと立ち上がり、その拍子に積んであった薪を蹴飛ばした。乾いた木片が派手に散らばる。
「邪魔です」
ノアが真顔で言った。
「リゼの体力を削るのをやめてください」
「俺はただ、役に立ちたくて……!」
「邪魔です」
二回目。即答だった。
リオンは目に見えてしょんぼりしていた。さすがに少し可哀想な気もするが、私は現在進行形で水浸しである。同情する余裕はない。
その後も、薬草を煎じようとしては火加減を誤って焦がし、リオンの空回りは続いた。
「リオン。座っていろ」
ガレスが低い声で言った。
「だが」
「座っていろ」
「……はい」
王太子、騎士団長に負ける。ちなみにこの二人、王立学園の生徒会ではガレスが先輩、リオンが後輩だった。そこで色々あったらしく、リオンは今でもガレスに頭が上がらない。
アシュレイは焦げた薬草を静かに処分しながら、綺麗な笑顔を浮かべた。
「リオン様。何かしたい気持ちは分かりますが、今は何もしないことが最大の貢献です」
「アシュレイまで……!」
リオンが本気で傷ついた顔をした。
悪気はない。悪気はないのだ。
ただ、悪気なく被害を増やすタイプなので、今は本当に何もしないでほしい。
◇
ガレスとアシュレイは、周囲の安全確認と銀月草の手がかりを探すために小部屋を出ていった。拠点に残っているのは、私とリオンとノアだけだ。
中央では小さな焚き火が燃えている。炎の明かりが石壁を揺らし、古い魔術文字の影を長く伸ばしていた。
私は即席の寝床に横になったまま、ぼんやりと天井を見上げていた。意識はある。でも、身体は重い。起き上がる気力はない。
焚き火のそばで、リオンが膝を抱えて座っていた。
「ノア。君はちょっと、俺に厳しくないか?」
「リオン様が何かすると仕事が増えるので」
ノアは魔導書を読んだまま、顔も上げずに答える。
「俺だって頑張っているだろ!」
「頑張りと成果は別です」
「ぐっ」
また正論だった。
しばらく、薪の爆ぜる音だけが響いた。やがて、リオンがぽつりと言った。
「……昔からなんだよな」
「何がですか」
「俺は、何をやっても完璧にはなれない」
その声は、いつもの明るさから少しだけ遠かった。私は薄く目を開ける。
リオンは焚き火を見つめていた。炎に照らされた横顔は、いつもの能天気な王子様ではなく、少年みたいに見えた。
「俺は正妃の子だから、王位継承者として周囲に担ぎ上げられている。でも、俺には側室生まれの兄上がいる。国民も貴族も、本当は優秀な兄上が王になるべきだと思っているんだ」
ノアが、そこで初めて本から顔を上げた。
「……あなた、十分優秀だと思いますけど」
「え?」
「攻撃魔法、防御魔法、回復魔法。全部使える。剣を持たせれば接近戦もできる。そんな人、めったにいません」
リオンは驚いたように瞬きをした。それから、困ったように笑う。
「でも、魔法はアシュレイの方が遥かに緻密で威力も高い。接近戦だって、ガレスには絶対に勝てない」
「でも、アシュレイ様は接近戦がからきし駄目ですし、ガレス様は最低限の魔法しか使えませんよね」
「兄上なら、そのすべてを一人で完璧にこなせると思う」
「特殊な天才と比較されても困ります」
ノアは淡々と言った。
「要するに、あなた、器用貧乏なんですよ」
「器用貧乏?」
「何でも人並み以上にできるけど、何か一つだけ突出しているわけではない人です。それに加えて、変なプライドと、焦りからくるドジと、最後にバカが乗っかって、必要以上に自分のことを無能だと思い込んでいます」
「お前……結構辛辣だな」
「事実です」
けれど、不思議とリオンの肩から余計な力が抜けた。
傷ついた顔ではなかった。むしろ、初めて正面からそう言われて、少しだけ救われたような顔だった。
「いいじゃないですか。不器用な器用貧乏」
ノアは小さく息を吐く。
「何でもできるってことは、誰の穴埋めだってできるってことです」
そして、ほんの少しだけ笑った。
柔らかい笑みだった。普段の無表情や冷たい目つきとは違う、年相応の少女みたいな顔。
リオンはそれを見て、一瞬言葉を失った。
……いや。
待て。ふざけんな。
私が寝込んでいる横で、何をいい感じの空気にしているんだ。変なフラグを立てるな。私の目の前で乙女ゲームを始めるな。
すぐにでも起き上がって、二人の間に物理的に割り込みたい。しかし身体はまったく動かない。
回復したら絶対にこのフラグをバッキバキに折ってやる。
そう固く決意したところで、私は意識を手放した。
◇◇◇
夜。リオンは眠れなかった。
焚き火は小さくなり、石室の中は薄暗い。探索を終えて戻ったガレスは、壁際で剣を抱えたまま眠っている。アシュレイも、その向かいで浅い眠りについていた。ノアは魔導書を抱えたまま、リゼリアの寝床のそばでうとうとしている。
結局、ガレスとアシュレイの探索でも、銀月草は見つからなかった。
リゼリアは苦しそうに眠っていた。
普段なら憎まれ口のひとつでも叩く彼女が、今は顔色を悪くして、浅い呼吸を繰り返している。右腕の黒い紋様は、まだ消えていない。
その姿を見た瞬間、リオンの胸が強く痛んだ。
助けたい。役に立ちたい。その思いが、胸の奥からせり上がってくる。
――あなた、十分優秀だと思いますけど。
昼間のノアの声が、不意に蘇った。あれだけ容赦なく自分を邪魔者扱いした彼女が、当たり前のことのように言った。その言葉が、まだ胸に残っていた。
リオンは自分の手に目を落とした。剣も握れる。魔法も使える。なら、薬草を探すくらい、自分にだってできるはずだ。
銀月草を見つければ、リゼの症状を抑えられる。アシュレイがそう言っていた。
戻ってきたとき、リゼはどんな顔をするだろう。ノアも、今度は邪魔だとは言わないかもしれない。
リオンは音を立てないように立ち上がった。剣を手に取り、眠る仲間たちを振り返る。誰かを起こせば、また止められる。それは分かっていた。
今度こそ、役に立つ。リオンは一人、暗い通路へ足を踏み出した。
古代遺跡の夜は、不気味なほど静かだった。外の風も、虫の声もない。ただ、どこか遠くで石が軋むような音だけが、時折低く響いている。
壁に手を添えながら、慎重に足を進める。崩れた石片を避け、ひび割れた床を踏みしめ、奥へ奥へと進んでいく。
どれくらい歩いただろうか。ふと、崩れた石の隙間に、かすかな青白い光が見えた。
リオンは息を呑む。月光を閉じ込めたような、淡く澄んだ光。
古い遺跡の闇の中で、それだけが静かに揺れていた。
「――あった」




