8話
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「一つ、聞きたい。君は、どこまで、自分のことを知っている?」
ルシアンの問いに、私はすぐには答えられなかった。
知っているのは、あまりにも、わずかなことだけだ。ヴェルモンド家に稀に生まれるという、表には出せない力。母の警告。そして——たった今、目の前に転がった死体が言い残した、「三人目」という言葉。
それでも、いつまでも黙っているわけにはいかない。この人は、私とルカの命を、二度も救ってくれた。
「……お話しします。ただし、ここだけの話に」
「約束しよう。俺の口から漏れることはない」
私は、小さく息を吸った。
「私は、アルセリア王国、ヴェルモンド公爵家の長女です。三日前まで、王太子ユリウス殿下の婚約者でした」
ルシアンの眉が、わずかに動いた。それだけだった。驚愕も、軽蔑も、同情も見せない。ただ、静かに続きを促す目をしている。
「聖女と呼ばれる娘への嫌がらせを理由に、婚約を破棄され、家からも追放されました。証拠は、何一つありません。噂と、都合のいい筋書きだけで」
「よくある話だ、と言いたいところだが」
ルシアンは、腕を組んだ。
「聖属性持ちの子供を組織的に集めている教会と、その婚約破棄の時期が重なっているとなると、ただの色恋沙汰では片付けられんな」
「私も、そう思います」
母の言葉、力の目覚め、聖女セシル、そして子供たちの誘拐。すべてが、一本の糸で繋がっているような、そんな予感が拭えなかった。
「隊長は……その、『聖女の血』というものについて、何かご存知なのですか。ただの守備隊長にしては、随分と詳しいように思えます」
私が尋ねると、ルシアンは、ほんの一瞬、口をつぐんだ。
「レティシアにも、古い言い伝えがある。曰く、聖属性の力は一つの国に留まるものではなく、血を通じて、国境を越えて流れる、と。うちの祖母が、そういう話を好んでする人でな。子供の頃、寝物語代わりに聞かされたものだ」
「では、レティシアにも……」
「さあな。少なくとも、俺は持っていない。ただの、剣しか能のない男だ」
そう言って、ルシアンは、卓の上の黒い鎖に、もう一度目をやった。
「一つ、はっきりしていることがある。この鎖を作れるのは、余程の技術と、余程の量の『聖具素材』を持つ組織だけだ。個人の盗賊風情に、用意できる代物じゃない。——アルセリア王国教会は、随分と、危険な橋を渡っているようだな」
「もし本当に、教会が組織的に子供たちを集めているのだとしたら……その目的は、何なのでしょう」
「わからん。だが、良い目的であるはずがない。まっとうな理由があるなら、鎖で縛って、輸送する必要などないからな」
その通りだった。守るためではなく、逃がさないための鎖。
ルシアンは、懐から、小さな銀色の笛を取り出した。
「これを持っていてくれ。国境守備隊に支給されている、緊急信号用の呼び笛だ。吹けば、詰所まで音が届く仕掛けになっている。何かあれば、迷わず使え」
「……よろしいのですか。私は、まだ、あなたにとって、何者でもない、行きずりの人間ですのに」
「行きずりの人間が、初対面の子供のために、命を張って結界を張るか?」
ルシアンは、そう言って、ふっと目元を緩めた。今夜、初めて見せる、柔らかな表情だった。
「それに、正直に言えば——君のことを、もう少し、知りたいと思っている。守備隊長としての義務、というだけでは片付かない興味だ」
思いがけない言葉に、私は、一瞬、返す言葉を失った。
「……お心遣い、感謝します」
笛を、そっと胸元に仕舞う。それだけのことなのに、なぜか、心強かった。
「今夜のところは、ここまでにしよう」
ルシアンは、卓の上の黒い鎖に、布を被せた。
「君もルカも、疲れている。詳しい話は、頭が回るときにすればいい。——町の宿は?」
「一室、借りています」
「なら、そこにルカも泊めてやってくれ。見張りをつけるが、目立たせるつもりはない。教会の残党が、まだこの町に潜んでいる可能性もある」
その言葉に、ルカが、びくりと肩を震わせた。私は、少年の手を、そっと握った。
「大丈夫。もう、一人にはしません」
*
宿へ戻ると、女将は、私の格好とルカの泥だらけの姿を見て、一瞬眉を寄せたが、追加の宿代を渡すと、すぐに何も聞かずに部屋を用意してくれた。
小さなベッドが一つきりの部屋だったので、ルカに寝台を譲り、私は壁際の椅子に体を預けた。窓の外では、ルシアンの部下だという若い兵士が一人、さりげなく通りに立っているのが見える。
「お姉さん」
寝台に横になったルカが、こちらを見ていた。
「ぼくのせいで、お姉さんまで、危ない目に」
「あなたのせいでは、ありません」
私は、少年の額にかかった髪を、そっと払った。
「あの男たちが悪いのです。それに——正直に言えば、あなたを見た時、他人事だとは思えませんでした」
「どうして?」
「私も、理不尽に切り捨てられたばかりだったから。逃げ場のない者を、見過ごすことが、できなかっただけです」
ルカは、しばらく私の顔を見つめていたあと、ぽつりと言った。
「お姉さんは、貴族なんでしょう。ぼくの村にも、時々、代官様が来てたけど……お姉さんみたいな人、見たことなかった」
「そうですか」
「ぼくの村の人たち、どうなったかな。教会の人たち、また来るかな」
少年の声が、また、震え始める。私は、その手を、両手で包み込んだ。
「今は、それを考えなくても大丈夫。あなたは今、守られています。私も、ルシアン様も、あなたを、簡単には渡しません」
「……うん」
「村には、ご家族が?」
「お父さんと、お母さんと……あと、妹が一人。まだ、五つ」
ルカは、天井を見つめながら、ぽつぽつと語った。
「教会の人が来た日、お父さんが、すごく怒ってたんだ。『うちの子は差し出さない』って。でも、村長さんが、『逆らったら村ごと罰せられる』って言って……結局、ぼくは、連れて行かれた」
「妹さんは、光る力を?」
「ううん。妹は、何もない、普通の子。だから、選ばれたのは、ぼくだけ」
小さな拳が、布団を握りしめていた。
「約束します。あなたの村のことも、いずれ、必ず調べます。だから、今夜は、ゆっくり眠ってください」
ルカは、しばらく私の顔を見つめていたが、やがて、安心したように目を閉じた。ほどなくして、規則正しい寝息が聞こえてくる。
私は、椅子に深く座り直し、目を閉じた。
——今日一日で、あまりにも多くのことが起きすぎた。
体は鉛のように重い。それでも、頭の芯だけが、妙に冴えている。あの、白い天井。あの、鳴り続ける機械音。あの、泣いていた誰かの声。
考えまいとしても、瞼の裏に、その光景がちらつく。
いつのまにか、私は、眠りに落ちていた。
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