5話
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「聖属性持ち、だと……?」
先頭に立つ髭面の男が、私の掌に灯った光を見て、喉の奥で笑った。
「こいつは驚いた。ガキ一匹の獲物が、二匹に増えやがった」
「兄貴、この女、身なりが良いですぜ。どこぞの落ちぶれ貴族でしょう」
「聖属性持ちの貴族女とくりゃあ、王都の連中が喜んで金貨を積む」
「売る、と言いましたか」
私は男の言葉を遮った。自分でも驚くほど、声が冷えていた。
「人を。この子を、物のように」
「あぁ? だったらどうした」
「どうもしません。ただ——」
背後で、少年が息を詰める気配がした。私は彼を庇うように半歩前へ出る。
「あなた方を、ここから先へ通さない。それだけです」
男たちは顔を見合わせ、次の瞬間、げらげらと笑い出した。
「聞いたか! 通さない、だとよ!」
「威勢のいい嬢ちゃんだ。おい、殺すなよ。傷がつくと値が下がる」
髭面が顎をしゃくると、左右の二人が剣を抜いて散開した。素人の動きではない。人を追い、捕らえ、売ることを生業にしてきた者たちの、慣れた足運びだった。
——怖い。
正直に言えば、膝は震えていた。つい数日前まで扇を持っていた公爵令嬢が、剣を手にした三人の男と向き合っているのだ。震えない方がおかしい。
けれど、あの森で一つだけ学んだことがある。この力は、怯える私ではなく、「守る」と決めた私に応えてくれる。
「——お願い」
小さく呟いて、両手を前へ突き出した。金色の光が広がり、薄い膜となって、私と少年を包み込む。
同時に、右の男が踏み込んできた。
振り下ろされた剣が、光の膜に触れる。
ガンッ、と硬い音がして、刃が弾かれた。男の腕が痺れたように跳ね上がる。
「ぐっ……!? なんだ、この壁は!」
「馬鹿野郎、下がれ! 結界だ、聖女崩れの結界だ!」
髭面が叫んだ。その目から、初めて余裕の色が消える。
「だが所詮は素人の張った結界だ。魔力が尽きりゃあ、そこまでよ。——おい、あれを出せ」
嫌な予感がした。
左の男が、腰の革袋から何かを取り出す。黒い石を嵌め込んだ、鈍色の鎖だった。石は光を吸い込むように、不気味に脈打っている。
「あの鎖……」
背後で、少年が掠れた声を漏らした。
「いやだ……あれをつけられると、力が、出なくなる……」
私は少年の手首に目をやった。赤黒く擦れた痕が、両の手首をぐるりと一周している。
繋がれていたのだ。あの鎖で。
「坊主の言う通りさ」髭面が、愉快そうに口の端を吊り上げた。「こいつは『聖封じの鎖』。聖属性の力を食らう代物よ。——試してみるか、嬢ちゃん」
男が鎖を、鞭のように振るった。
黒い石が、結界に触れる。
その瞬間だった。
「——っ!」
全身から、力が抜けた。掌から光が水のように流れ出して、黒い石に吸い込まれていく。
金色の膜に、蜘蛛の巣のようなひびが走った。
「そんな……」
「効いてるぞ! 押し込め!」
膝が折れかける。昼のあいだ、力の性質を確かめようと使い続けたせいで、私の中に残っているものは、もう多くなかった。そこへ、力そのものを吸い上げる鎖だ。
視界の端が、白く霞んでいく。
——ここまで、なの?
ダイアウルフの牙からは逃れたのに。こんな、金のために人を売る男たちに、また——
「……お姉さん」
小さな手が、私の袖を握った。
「ぼく、いいよ。逃げて。お姉さんだけでも」
振り返ると、少年が、血の気の失せた顔で、必死に笑おうとしていた。
その顔を見た瞬間、胸の奥で、何かがぷつりと切れた。
——冗談じゃない。
一度目は、何も言い返さずに指輪を置いた。二度目は、ただ運命に流されて、力が目覚めただけだった。けれど今度は違う。
今度こそ、自分の意思で、誰かを守ると決めたのだ。
「逃げません」
ひび割れた結界の内側で、私は歯を食いしばった。
「あなたを見捨てて逃げるくらいなら、追放された身で、ここで倒れる方がましです」
光が、もう一度、指先に集まりかける。けれど鎖の黒石が、それを容赦なく食い散らしていく。
髭面が、勝ち誇ったように吠えた。
「終わりだ!」
——その時。
風を切る、鋭い音がした。
「そこまでだ」
低く、よく通る声。同時に、鎖を握っていた男の手首を、一本の短剣が貫いた。
「ぎゃああああっ!」
黒い鎖が、地に落ちる。吸われ続けていた力の流れが途切れ、結界が、辛うじて持ち直した。私は倒れそうになる体を、必死に支える。
木々の間から、一人の男が歩み出てきた。
黒い外套に、肩口で無造作に束ねた灰銀色の髪。歳は二十代半ばだろうか。切れ長の蒼い瞳が、状況を値踏みするように、男たちを順に一瞥する。
腰の長剣は、まだ抜かれていなかった。
「誰だ、てめえは!」
「通りすがりの者だ。この森はレティシア国境守備隊の巡回区域でね。人買いの商売は、我が国では重罪と決まっている」
「守備隊だと……ちっ、構わねえ、やっちまえ!」
髭面と、残る一人が同時に飛びかかった。
——私が瞬きをする間に、すべてが終わっていた。
抜刀の瞬間すら、見えなかった。ただ、銀の閃きが二度走り、二本の剣が宙を舞い、次の瞬間には、男たちが地面に這いつくばっていた。灰銀の髪の男は、髭面の喉元に切っ先を突きつけたまま、退屈そうに息を吐く。
「動くな。動けば、次は首だ」
髭面は、蒼白になって固まった。
森の奥から、揃いの鎧をまとった兵士が数名、駆けつけてくる。灰銀の髪の男は、彼らに顎で合図を送った。
「縛り上げろ。詰所へ連行する。鎖は証拠品だ、素手で触るなよ」
「はっ、隊長!」
手際よく男たちが拘束されていく。それを見届けて、ようやく、私の体から力が抜けた。
「あ……」
崩れ落ちかけた私の腕を、細い手が支えた。少年だった。小さな体で、必死に私を支えようとしている。
「お姉さん、しっかり」
「ありがとう……大丈夫です。少し、力を使いすぎただけで」
「結界を解いていい。もう、必要ない」
すぐ側で、声がした。いつのまにか、灰銀の髪の男が私の前に立っていた。
近くで見ると、その蒼い瞳は、思っていたよりずっと静かだった。冷たいのではない。何かを深く見通すような、澄んだ色をしていた。
「先ほどの結界、見事だった。あの鎖を相手に、あそこまで持ちこたえた者を、俺は初めて見た」
「……いえ。あなたが来てくださらなければ」
「礼は後でいい。まず、そちらの子の傷を診てやってくれ。君にできるのだろう」
私は頷き、結界を解いた。そして、少年の前に膝をつく。
「腕を、見せてもらえますか」
「うん……でも、お姉さんも疲れてるのに」
「これくらいなら、大丈夫」
少年——ルカという名前だと、先ほど聞いた——は、十二歳ほどに見えた。細い左腕には、剣で抉られた深い傷。手当てもされず、血と泥に塗れている。
私は傷口の上に、そっと掌をかざした。
光が、灯る。
弱々しい、蝋燭の火のような光だった。それでも、傷に触れた瞬間、確かに、皮膚が温かく脈打つのがわかった。
その時だった。
——視界が、白く弾けた。
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