2話
17時、19時、21時の1日3話投稿です。ぜひ見てください
地面に叩きつけられる衝撃。息が詰まる。それでも、痛みを感じている暇はなかった。
顔を上げると、ダイアウルフが一頭、また一頭と、茂みから姿を現していた。群れだ。三頭、いや四頭。
衛兵たちは馬を制御することもできず、御者台から転がり落ちていた。一人が足を挫いたのか、地面に蹲ったまま動けずにいる。
「く……っ」
私は立ち上がろうとした。だが、ドレスの裾が木の根に絡まり、思うように動けない。
一頭のダイアウルフが、こちらに狙いを定めた。低く唸り、地を蹴る。
——ああ、ここで終わるのか。
不思議なほど冷静に、そう思った。婚約を破棄され、家を追われ、最後は森の中で魔物に食い殺される。なんとも皮肉な結末だ。
けれど。
胸の奥底で、あの「何か」が、はっきりと脈打った。
夜会の時とは比べ物にならないほど、強く。まるで、私自身の意思など無関係に、その「力」が「今だ」と叫んでいるかのように。
ダイアウルフが、宙を跳んだ。
牙が、私の喉元めがけて迫る。
その瞬間——
視界が、金色に染まった。
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自分でも何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
気づけば、私の両手のひらから、まばゆい光が放たれていた。金色の光は瞬く間に広がり、まるで薄い膜のように私を包み込む。ダイアウルフの牙は、その光の膜に阻まれ、届くことなく弾き返された。
「がぅ……!?」
獣が、怯えたように後ずさる。
私はゆっくりと立ち上がった。全身に、これまで感じたことのない力が満ちていくのがわかる。指先から溢れる光は、次第に形を成し、まるで意思を持つように、私の周囲を漂い始めた。
「これが……」
声が震えた。恐怖からではない。
これが、母の言っていた「もう一つの血」。これが——聖女の力。
残る三頭のダイアウルフが、警戒するように距離を取る。獣の本能は、目の前の存在がもはや無力な獲物ではないことを、瞬時に理解したのだろう。
私は右手を、静かに前に掲げた。
何をすればいいのか、誰にも教わっていない。それでも、体が、力そのものが、正しい形を知っているかのように動いた。掌の中心に光が凝縮していき、小さな輝く球となる。
「下がりなさい」
自分でも驚くほど、凛とした声が出た。
光の球が弾け、辺り一帯に金色の波紋が広がる。それに触れたダイアウルフたちは、まるで見えない壁に押し返されたかのように吹き飛び、悲鳴のような遠吠えを残して森の奥へと逃げ去っていった。
静寂が戻る。
聞こえるのは、自分の荒い呼吸と、心臓が早鐘を打つ音だけだった。
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「アリシア様……今のは……」
腰を抜かしたまま座り込んでいた若い衛兵が、呆然とした様子でこちらを見上げていた。年嵩の衛兵も、足を挫いたまま、信じられないものを見るような目を私に向けている。
私は自分の掌を、もう一度見つめた。光はすでに収まっていたが、確かな熱の余韻が、まだそこに残っている。
——本物だ。
これは幻でも、気のせいでもない。
私の中に、確かに「聖女の力」が眠っていた。婚約者として、公爵令嬢として、二十年近くこの国の「型」に押し込められていた間、この力はずっと、私の内側で息を潜めていたのだ。
あるいは——皮肉にも、婚約という枷が外れたことで、初めて目を覚ましたのかもしれない。
「……立てますか」
私は挫いた足を抱える衛兵の側にしゃがみ込み、そっと手を伸ばした。再び、掌に淡い光が灯る。今度は攻撃のためではない。傷を癒す、優しい光だった。
「な……」
衛兵の足に光が触れると、腫れがみるみるうちに引いていく。彼は目を見開いたまま、言葉を失っていた。
私は静かに微笑んだ。
「大丈夫。動けるはずです」
自分の声が、これまでとは違う響きを持っていることに、私自身が一番驚いていた。憐れまれる令嬢でも、糾弾される悪役でもない。今この瞬間、私はようやく、自分自身の足で立っている。
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森の向こうから、朝日が差し込み始めていた。木々の隙間を縫うように伸びる光の筋が、私の周りにまだ微かに残る金色の粒子と重なって、幻想的な輝きを作り出す。
「行きましょう。関所まで、あと半日なのでしょう?」
私は立ち上がり、乱れたドレスの裾を払った。二人の衛兵は、まだ状況を飲み込めていない様子で顔を見合わせていたが、やがて年嵩の方が、深々と頭を下げた。
「……アリシア様。命を、お救いいただき……」
「礼はいりません。あなた方は、私を国境まで送る任務を果たしただけのこと」
そう言いながらも、内心では、まったく別のことを考えていた。
この力を、このまま隠し続けるべきか。それとも――。
王太子ユリウスも、聖女セシルも、そして私を切り捨てた父も。彼らは今頃、私が惨めに国外を彷徨っているとでも思っているのだろう。
けれど、違う。
婚約破棄されたことで、私はようやく、自分本来の力に――そして、自分自身の人生に、目覚めたのだ。
「さあ、参りましょう」
私は先頭に立って歩き出した。行く先に何が待っているのかはわからない。けれど、もう恐れることは何もない。
森を抜けた先に広がる空は、抜けるように青かった。
――第一話・了――




