家での相談
その日の放課後、俺と紬は寄り道をせずに帰宅した。
玄関で靴を脱ぎながら、紬が俺の鞄を見る。
「昨日の紙」
「覚えてる」
制服から着替えた後、ダイニングテーブルへ書類を広げる。
三つの書類を改めて並べてみると、部活動を一つ作るだけにしては、随分大袈裟に見えた。細かな決まりはいくつも書かれていたが、設立に必要な条件は大きく三つだった。
一、設立時点で、五人以上の部員がいること。
二、一人以上の教員が、顧問を引き受けること。
三、活動目的と年間活動計画を提出し、生徒会の審議を通過すること。
「五人」
紬が最初の条件を指で示す。
「私と兄さんと、あと三人」
人数だけを見れば、途方もない条件ではない。しかし、入学からまともに話すようになった同級生の数を考えると、急に難しく感じられた。
「顧問も必要」
「先生は、活動内容によるって言ってたな」
「二つの部の顧問をしてる」
「なかなか難しそうだな」
紬は無言で次の条件へ指を動かす。
「生徒会の審議」
「何を基準に審議するんだろうな」
申請書には、設立の目的と活動内容を書く欄がある。年間活動計画書は、月ごとに予定を記入する形式になっていた。
「この欄を埋めるだけで疲れる」
紬はもう限界とばかりに、テーブルの上に突っ伏した。
「そういえば、今朝、渡部君に六家のことを聞いた」
紬がテーブルから顔を上げる。
「分かった?」
「少しだけ」
渡部君から聞いた話を、覚えている範囲で説明する。紬は途中で何度か頷き、最後まで黙って聞いていた。
「紬のクラスに、それらしい人はいないのか?」
「分からない」
「周りの人の集まり方か、離れ方が違うらしい」
そう伝えると、紬は少し考え込んだ。
「それなら、いるかもしれない」
紬はテーブルの上の鉛筆を手に取り、指先で転がす。
「周りに人がたくさんいるのに、一人に見える人と、誰も近づかないから、いつも二人でいる人がいる」
「それで分かるのか?」
「分からない。でも、他の人とは違う」
「先生が言ってた、まだ部活動へ入ってない六家の生徒って、その中にいるのかな」
「たぶん」
「その人達を誘えば、人数は集まりそうだけど」
「活動内容もないのに?」
「無理だな」
何をするのか分からない部へ、人数を揃えるためだけに入って欲しいとは頼めない。先に考えるべきなのは、六家より申請書の空白を、何で埋めるかだった。
「母さんに聞いてみるか」
「部活のこと?」
「その前に、時間のことを確認したい」
俺達が部活動へ所属すれば、放課後や休日の予定が変わる。母の仕事を手伝える時間も、今までより少なくなる可能性が高い。
学校の決まりだからと勝手に減らすのではなく、一度話しておくべきだった。
仕事部屋の扉をノックすると、中から母が出てくる。
「二人揃ってどうしたの?」
「話があるんだけど、今いい?」
「締め切りを早める話じゃなければ」
「学校の話」
「じゃあ、聞きます」
母は仕事部屋から離れ、俺達と一緒にダイニングへ移動した。テーブルに広げられた書類を見ると、すぐに目を輝かせる。
「部活動を作るの?」
「まだ決めてない」
「作れるの?」
「条件を満たせば」
「凄いじゃない。何部?」
「だから、それも決まってない」
先にその話をすれば、こうなると思っていた。
俺は書類を母の手から取り戻す。
「山府義塾では、原則として全員が部活動へ入らないといけない。もし新しい部を作らなくても、どこかには所属することになる」
「うん」
「そうなったら、母さんの仕事を手伝える時間が減るかもしれない。それでも大丈夫か確認したかったんだ」
母は姿勢を正し、俺達を見た。
「二人とも、そのことを心配してたの?」
「今の連載、終盤なんでしょう? 終盤だからこそ、作業も多いと思って」
「大丈夫よ」
母は迷わず答えた。
「今の連載が終盤の山場に入ったのは本当。でもその分、編集部に相談してアシスタントを増やしたから。しばらくは二人に手伝って貰わなくても回せる」
「本当に?」
「本当。今まで助けて貰ったことには感謝してるけど、二人の高校生活を削る前提で仕事の予定を組んでいるわけじゃないから」
母の表情から、気休めを言っているのではないと分かった。
「部活をするなら、ちゃんとやってきて。高校生にしかできないこともあるでしょう?」
母は設立要綱を持ち上げ、空欄の申請書へ目を移した。
「それで、何をする部にするの?」
「それを考えてるところ」
「どうせなら、創作とは違うものがいい」
紬が言う。
母は腕を組み、しばらく考えていたが、やがて小さく息を吐いた。
「悩んでるといえば、私が相談に乗って貰いたいくらいね」
「何か困ってるの?」
「次の作品」
母は仕事部屋へ戻り、一冊のノートと、何枚かの印刷物を持ってきた。ノートには、人物の名前らしい単語や、思いついた場面の断片が書かれている。
しかし、どのページも途中で線が途切れていた。
「舞台を山府にすることだけは決めてるの。でも、肝心の話が全然まとまらないのよ」
「そのために引っ越したんじゃなかった?」
「そうなの。住めば何か思いつくと思ってたの」
母は堂々と言った。
「思いつかなかったの?」
「今のところ、驚くほど」
威張ることではない。
印刷物の方には、山府の神社や古い町並み、高原のリゾート地についての記事が並んでいた。どれも引っ越す前から知っている情報だった。
「取材で集めたものも、観光客向けの話ばかりなのよ。大きな神社があります。古い町並みがあります。冬は雪が多くて、高原にはスキー場があります」
「間違ってはいない」
「でも、それだけなら旅行雑誌で足りるでしょう?」
母はノートの白いページを開く。
「私が知りたいのは、山府で暮らす人が、この土地をどう見ているのか。神社や古い建物が身近にある生活が、どんなものなのか。雪が降れば、学校や買い物や仕事はどう変わるのか。観光客が帰った後、街がどんな顔をしているのか」
引っ越し前に聞いた言葉と、ほとんど同じだった。山府へ引っ越してきて、既に何週間か暮らしている。それでも俺達は、学校と家を往復するだけで、この街についてほとんど何も知らない。
紬が、母のノートから申請書へ視線を移す。
「じゃあ、部活動で調べればいい」
「私の次回作を?」
「山府を」
紬は申請書を自分の前へ引き寄せた。
「観光地として紹介されている山府じゃなくて、ここで暮らす人から見た山府を調べる。実際に歩いて、話を聞いて、記録する」
「記録したものを、母さんの資料にも使うのか?」
「使えるものがあれば」
紬の中では、既に活動の形ができ始めているらしい。
「毎回、調べるものを決める。場所でも、人でも、学校の習慣でもいい。兄さんが写真を撮って、私が話と情報をまとめる」
「それなら、漫画や小説を作る部とは違うな」
俺達が普段している作業とは種類が違うし、母の資料だけでなく、自分達がこの街で暮らすのにも役立つ。何より、知らない土地について調べるだけなら、俺達にもできそうだった。
「紬は、それならやりたい?」
「部活に入らないといけないなら」
さっきまで、部活動の話をするたびに面倒そうな顔をしていた紬が、自分から活動の方法を考えている。それだけでも、方向はほとんど決まっていた。
「作ってみるか」
俺が言うと、紬は小さく頷いた。
母が申請書をのぞき込む。
「部の名前は?」
「まだ決めてない」
「山府を研究するんでしょう?」
「そうだけど」
「じゃあ、山府研究部」
あまりにも、そのままだった。
「もう少し考えない?」
「分かりやすくていいと思う」
紬は母の案を否定しなかった。
申請書の余白へ、鉛筆で文字を書く。
『山府研究部』
その下へ、紬がもう一行を書き加える。
『山府で暮らす人から見た、山府を調べる』
新しい部活動が、ほんの少しだけ形になった。




