山府義塾
翌朝、教室へ入ると、渡部君は既に自分の席に座っていた。
机の上に開いていた本から顔を上げ、俺に気付く。
「おはよう、相田君」
「おはよう」
鞄を机の脇へ置くと、渡部君は本に栞を挟んだ。
「昨日の呼び出し、何の話だった?」
そういえば、終わったら教えて欲しいと言われていた。
「部活動の話だった。紬と二人で、まだどこにも入ってないから」
「注意された?」
「怒られたわけじゃない。入りたい部がない理由を、順番に聞かれた」
「それだけ?」
「だいたいは」
新しい部活動を作ってはどうかと提案されたことは、まだ話さなかった。俺達自身、作ると決めたわけではない。書類を渡されたことまで話せば、説明することが増える。
渡部君は何かをしばらく考え込んでいたが、顔を上げて小声で話し始めた。
「山府義塾は、部活動に関しては少し厳しいからね」
「少し?」
入学前の説明では、原則として全員が部活動へ所属すると聞かされていた。
しかし実際に入学してみると、原則という言葉から想像していたより、学校側の対応はずっと本気だった。
未所属者を把握するための調査票があり、そのための担当教員までいる。放課後に呼び出され、所属しない理由を確認された上で、最終的には新しい部を作るための書類まで渡された。
少し、で片づけるには念が入りすぎている。
「どうして、あそこまで部活動を重視するんだ?」
「会山戦があるからだと思う」
「かいざんせん?」
「会津の会と、山府の山で、会山戦。姉妹校の会津義塾と行う、学校対抗の行事だよ」
初めて聞く名前だった。
渡部君によれば、会山戦は正式名称を山津義塾合同祭というらしく、体育祭と文化祭、学校対抗の学問試験、部活対抗戦があり、部活対抗戦では、山府義塾と会津義塾にあるほぼ全ての部活動が、それぞれの方法で競い合うらしい。
運動部なら、試合で勝敗を決める。文化部でも、作品の審査や研究発表、演奏、討論といった形で相手校と競う。同じ種類の部活動が両校にない場合も、合同発表の中に審査の場が設けられるという。
「つまり、学校全体でやる対抗戦か」
「そう。最終的には、それぞれのクラスや部の結果を集計して、どちらの学校が勝ち越したかまで出る」
「文化部まで勝敗をつける必要があるのか?」
「それは僕に聞かれても困るな」
渡部君は苦笑した。
「昔から続いている都市同士の代理戦争みたいなものだから、今さら勝ち負けをなくそうと言える人も、あまりいないんだよ」
渡部君いわく、会津と山府はかつて別々の為政者によって支配されていた歴史があるらしく、文化も方言も何もかもが違う。それが一つの県になってしまったものだから、どちらが上か昔から争いが絶えないらしい。会山戦もその一つで、卒業生だけでなく、地域の商店街から激励の品や寄付が届くこともある。
「学校の設立者が両都市の名家ばかりだからね。お互いのプライドが負けを許さないのさ」
したがって、前年より成績が落ちれば、同じ熱量で苦情も届く。大事な会山戦なのに部活動に所属していない生徒がいるとはどういうことだと、うるさいらしい。
「学校としては、今年は力を入れません、とは言えないんだ」
「それで、どの部もあんなに本格的なのか」
入学してから見て回った部活動を思い出す。部活動は、高校生活の余った時間を使う場所だと思っていた。少なくとも山府義塾では、そうではないらしい。
「ところで、なんで正式名称は山津義塾合同祭なのに、通称は会山戦なんだ?」
「どちらが前に来るかで、昔、揉めに揉めたらしい」
「そんな下らないことまで本気で争ってるのか」
教室へ入ってくる生徒が増え始める。何人かが渡部君へ挨拶し、渡部君も一人ずつ名前を呼んで返していた。中学からの内部進学者ばかりの教室で、彼はほとんど全員と話せるらしい。
それでも、特定の誰かと長く話しているところはあまり見ない。誰とでも同じくらい近く、同じくらい遠い。渡部君と話すたび、そんな印象が強くなっていく。
「武道系の部が多いのも、会山戦のためか?」
「そっちは、山府そのものの影響が大きいかな」
渡部君は校庭の向こうに並ぶ道場へ目を向けた。
「山府は、昔から武道が盛んな土地なんだ。今も市内に道場が多く残ってる。だから、武道教育に力を入れているのは山府義塾だけじゃない。市内の高校なら、程度の差はあっても、だいたいどこも同じだよ」
「学校の案内図を見た時、道場だけで建物の半分近くを使っていて驚いた」
「種類も多いからね」
そういえば、部活動見学中に不思議な光景があったのを思い出したので、聞いてみた。
「剣道部が剣道場以外の場所で練習しているのはなんでだ? しかも毎日場所が違う」
渡部君が声を抑えて笑う。
「剣道部にも種類があるからね。選りすぐりの選手を集めた選抜剣道部が剣道場を使って、それ以外は他の場所を転々としながら練習している」
「凄いえこひいきだな」
「一応、年に何回かはメンバー入れ替え戦があるみたいだけどね」
「なるほど。それで実力を示せば昇格できると」
山府で生まれ育った人間にとっては、道場がいくつも並んでいる光景も、武道を嗜むのも、特別なものではないのだろう。
俺達が山府へ来てから戸惑ったものの中には、地元の人間が戸惑う理由すら理解できないものが、まだいくつもありそうだった。
そこで、昨日から気になっていた言葉を思い出す。
「もう一つ、渡部君に聞きたいことがある」
「何?」
「六家って、何なんだ?」
教室の音が消え、渡部君の表情が、ほんのわずかに止まった。教室全体が驚いたというより、質問の意図を測っているように見えた。
「昨日の面談で聞いたの?」
「ああ。先生は、山府へ来たばかりなら知らなくても仕方がないと言ってた。詳しく知りたければ、同級生に聞けとも」
「それで、僕に聞いたんだ」
「話しやすい同級生が、他にいないからな」
「それを正直に言われると、少し責任を感じるね」
渡部君は困ったように笑った後、机の上で指を組んだ。
「六家というのは、簡単に言えば、山府で古くから続いている由緒ある六つの家のことだよ」
「どのくらい古いの?」
「それを説明し始めると、山府の歴史の話になる。少なくとも、今の山府市ができるより、ずっと前からある」
答えになっているようで、具体的な年代は分からない。ただ、学校の教師まで言葉を選ぶ理由は、単に金持ちの家が六つあるという話ではなさそうだった。
「六つの家は、それぞれ違う形で、山府の産業や暮らしに関わってきた。昔は重要だった、というだけじゃない。形を変えながら、今も山府に欠かせない役割を持っている。今の山府で、六家とまったく関わらずに暮らしている家の方が少ない」
「だから同じ生徒でも特別扱いされてるのか?」
「本人達は、特別扱いして欲しいとは思ってないかもしれないけどね」
渡部君の言い方には、少しだけ含みがあった。
「でも、周りが意識する。家同士の関係だけじゃなくて、仕事で関わっている人も多いし、親や祖父母の代から世話になっている人もいる。尊敬している人もいれば、逆らわない方がいいと思っている人もいる」
「先生は、山府の人は六家を意識しすぎると言っていた」
「間違ってはないよ」
その時、近くの席で鞄を開いていた男子生徒が、こちらを見た。俺と目が合うと、すぐに視線を手元へ戻す。六家の話題が気になるのか、その後もチラチラ横目でこちらを見ていた。
「六家の人間は、この学校に何人くらいいるんだ?」
「六人かな。六家それぞれの本家の子が、六人ともいるよ。しかも全員同じ一年生」
「名字を聞けば分かるのか?」
「それだけでは難しいかな」
渡部君は首を横へ振る。
「どの家も、長く続く間にいくつもの分家へ分かれている。本家と分家が同じ名字を名乗っていることが多いから、名字だけで本家の人間かどうかを判断することはできないよ」
廊下で一斉に振り返る五、六人の渡部さんを思い出した。
「じゃあ、学校の生徒はどうやって見分けてるんだ?」
「見分けてるというより、昔から知ってるんだ。本人と同じ小学校だった人もいるし、家族から聞いている人もいる。山府で育てば、誰がどの家の人間なのか、わざわざ調べなくても耳に入るから」
「俺と紬だけが知らない?」
「おそらく」
渡部君は否定しなかった。
「秘密にされているわけじゃないから教えても問題はないんだろうけど、僕がここで六つの家名と本人の名前を並べるのも、少し違う気がする」
「どうして?」
「名前は個人情報だ。相田君だって、知らない人に勝手に紹介されたくないだろ」
「なるほど一理ある。まあ名前を聞いたところでどの道、俺には分からないと思うけど」
「周りを見れば、たぶん分かるよ」
渡部君はそう言って、教室の中へ視線を向けた。
「人の集まり方か、離れ方が、他の生徒とは違うから」
始業前の教室には、いくつもの会話の輪ができている。見慣れてきた光景だった。その中に、渡部君の言う違いがあるのかもしれない。しかし俺には、まだ見分けることができなかった。
「もし六家の人と話すことになったら、何か気をつけた方がいいことはある?」
「普通に話せばいいと思うよ」
「それを学校中ができてないんじゃないのか?」
「だからこそ、普通でいいんだ」
渡部君は笑った。
そこで、担任が教室へ入ってきた。散らばっていた生徒たちが自分の席へ戻り、渡部君も体を前へ向ける。
結局、分かったのは概略だけで、肝心の家名も、それに当てはまる同級生の名前も、分からないままだった。




