全校投票
数日後、投票の実施が認められた。
全校生徒へ配る説明文は、用紙一枚に収めなければならない。
俺と紬が最初に書いたのは、山府研究部の活動目的と、設立予定者五人の名前だった。
「六家のことは、どこまで書く?」
俺が尋ねると、雪白さんが即答した。
「隠したら、この投票をする意味がないわ」
「自分の名前も、そのまま書いてくれ」
室井君も言う。
「家名を隠して賛成を得ても意味がない」
顧問は、九人から匿名確認の要約を全校への説明に使う許可を改めて得ていた。大竹さんは、その要約を見る。
「わたくしに都合の悪い御意見も、掲載なさるのですわね」
「全部」
紬が答えた。
「頼まれて嬉しかった人もいた。嫌ではなかった人もいた。断る考えが浮かばなかった人もいた。今回の九人の回答には、報復の具体例は挙がらなかった。それ以上は言わない」
「……分かりましたわ」
大竹さんは背筋を伸ばした。
「都合の悪い御意見も、そのまま掲載して下さいませ」
室井君が、完成しかけた文章へ顔を寄せる。
「反対した者へ危害を加えることはない、と明記するべきではないか」
「書かない方がいい」
「なぜだ」
「普通の部活動は、説明文に『危害を加えません』とは書かない」
「しかし、事実として危害は加えない」
「書いた瞬間、危害を加えそうな部になる」
室井君は文章を見直した。
「言われてみれば、脅迫文に近いな」
「自分で気付いてくれて助かった」
雪白さんは、別の一文へ線を引く。
「『安心して協力できます』も削るべきね」
「安心できるかを決めるのは、私たちではないから?」
紬が尋ねる。
「ええ。『自由な意思を尊重します』も同じ。私たちの気持ちではなく、実際に取る手順だけを書きましょう」
言葉を削るたび、文章から立派な決意が消えていく。
代わりに残ったのは、誰が、何を、どのように行うかという約束だった。
最後に、生徒会の示した質問と、三つの選択肢を書く。
『以上の条件で、山府研究部の設立について、あなたの考えに最も近いものを一つ選んで下さい』『賛成』『反対』『判断できない』
説明文を完成させると、俺は渡部君の机へ持っていった。
渡部君は受け取らず、机に置いたまま読む。
「直した方がいいところはある?」
「僕が直さない方がいい」
「ここまで来て逃げるのか?」
「発案者が説明文まで作ったら、僕の望む結果へ誘導したと思われるかもしれない」
「何もしていないのに、疑われる前提で考えるんだな」
「政治家の家では、何をしたかだけでなく、どう見えるかも考えるからね」
渡部君は、内容への感想も言わなかった。
説明文は生徒会の確認を受け、投票結果だけで設立を決定するものではないことと、設立への賛成に調査への協力義務は伴わないことが、冒頭へ加えられた。
全校無記名投票は、三日後の六月五日金曜日、朝のホームルームで実施されることになった。
投票の告知があった朝。
俺の教室でも、担任から説明文が配られた。
何度も読み直した文章なのに、学校の印が入った同じ用紙を持つと、自分達だけの問題ではなくなったように見える。
教室のあちこちから、紙をめくる音がした。
「相田」
近くの席の男子生徒が、声をかけてくる。
「これ、要するに賛成へ入れてくれってことか?」
「違うよ」
「でも、お前は部を作りたいんだろ?」
「作りたい。でも、投票先を頼むことは禁止されてる」
「じゃあ、何を聞いても答えない?」
「説明文に書いてある事実なら答えられる。どこへ投票して欲しいかは言えない」
男子生徒は、用紙と俺の顔を見比べた。
「反対へ入れたら、後で分かる?」
「名前もクラスも書かない。開票も、全クラスの票を混ぜてから数える」
男子生徒の視線が、雪白さんへ移る。
雪白さんは、それに気付いた。
「私も、誰がどこへ投票したか知ることはできないわ」
「知りたくないの?」
「知る必要がないもの。だから、あなたも自分の投票先を私へ話さないで」
「まだ決めてないけど」
「それなら、金曜日まで考えればいいでしょう」
雪白さんは、説明文を机の中へ入れた。
放課後、設立予定者五人に渡部君、湯田さん、星君も加わって、教室へ集まった。
大竹さんは来るなり、大きく息を吐く。
「投票先を聞かないというのは、思っていた以上に難しいですわ」
「何かあった?」
「友人の一人が、わたくしへ賛成するとおっしゃろうとなさったのです」
隣で紬が頷く。同じ教室で見ていたらしい。
「華恋さんが、途中で止めた」
「御礼を申し上げれば、その方は、わたくしが賛成を望んでいると確信なさいますでしょう?」
「たぶん」
「ですから、『おっしゃらなくて結構ですわ』とお伝えしました」
「相手は?」
「大変驚いていらっしゃいましたわ。わたくしも驚きましたけれど」
室井君も、クラスメイトから「反対しても怒らないのか」と聞かれていた。
「何て答えた?」
「投票先を自分へ言う必要はない、と答えた」
「怒らないとは言わなかったのか?」
「そう答えれば、相手が反対へ投票する予定だと、自分が決めつけることになる」
「そこまで考えたのか」
「間違っていたか?」
「いや。たぶん正解だ」
室井君は、安心したように頷いた。
湯田さんと星君も、入部する予定なのかと尋ねられていた。
二人は、まだ決めていないという事実だけを答え、投票については何も頼まなかった。
渡部君は発案者でありながら、誰よりも投票から距離を置いていた。質問されても、説明文を読むように伝えるだけで、自分の考えを付け加えない。
「何も言わなさすぎて、逆に怪しくないか?」
俺が尋ねると、渡部君は平然と答えた。
「それなら、何をしても怪しいことになるね」
「実際、そうなってる気がする」
「だから、決めた規則を守るしかないよ」
投票までの三日間、生徒会室の前には無記名の質問箱が置かれた。
反対票が後から調べられないか。
賛成したら調査へ協力しなければならないのか。
六家の生徒が集計へ立ち会うのか。
生徒会は一つずつ回答し、校内へ掲示した。
その中に、別の質問があった。
『山府研究部は、六家の人間が、自分達の家を立派に記録するための部ではないのか』
設立予定者五人のうち三人は六家である。湯田さんと星君も、六家の人間として見学に参加している。
外から見れば、六家が集まるための部に見えても不思議ではない。
生徒会の回答には、現在の設立予定者と、これまで行った活動だけが記された。六家を特別に扱う部ではないが、調査対象から除外する予定もない。
俺達は、自分から言い返すことができなかった。
投票先を頼まないというのは、賛成を口にしないことだけではない。自分達に都合の悪い見方をされた時にも、相手を説得しないことだった。
投票当日の朝。
担任の机の横には、白い投票箱が置かれていた。
ホームルームが始まると、生徒一人につき、投票用紙一枚と無地の封筒一枚が配られる。
用紙にも封筒にも、名前を書く欄はない。
何も書かずに封筒へ入れることも認められていた。
俺は、賛成へ丸を付けた。
部を作りたいのだから、他の選択肢へ入れる理由はない。それでも、丸を付けた瞬間に安心することはできなかった。
俺の一票で決まるものではない。
用紙を封筒へ入れ、教卓の横に置かれた投票箱へ落とした。
乾いた音が返ってきた。
席へ戻る途中、雪白さんとすれ違う。
俺は、雪白さんが持つ封筒を見ないようにした。投票先を聞かないと決めた以上、見ようとすることも同じである。
全員の投票が終わると、担任とクラスの生徒会委員が投入口を封じ、二人で署名した。
投票箱は生徒会委員によって運び出される。
山府研究部の関係者が投票用紙へ触れたのは、自分の一票を投じた時だけだった。
放課後、設立予定者五人と顧問の担任は俺の教室へ集まった。
湯田さん、星君、渡部君も来ている。集計が終わるまで、生徒会室の周辺へ近づかないよう指示されていた。
大竹さんは、席へ着いてから三度、時計を見た。
「まだ一分しか経ってないぞ」
「時計が止まっていないか確認しただけですわ」
「三回も?」
「念入りにです!」
室井君は腕を組んで座っている。普段なら、既に天山流の稽古へ向かう時刻だった。
「待っていて大丈夫なのか?」
「今日だけ、開始を遅らせていただいた」
雪白さんは本を開いている。
俺が見る限り、先程から同じページだった。
「読んでる?」
「読んでいるわ」
「同じページを?」
「重要なところなの」
雪白さんは、顔を上げなかった。
紬は白紙と鉛筆を机へ置いている。
「何を書いてるんだ?」
「まだ何も」
「じゃあ、何で出したんだよ」
「結果が出たら書く」
何を書くかは、結果による。
廊下から足音が聞こえた。
全員が扉を見る。
通り過ぎたのは、別のクラスの生徒だった。
大竹さんが、四度目に時計を見る。
渡部君だけは、普段と変わらない顔をしていた。
「気にならないのか?」
「気になるよ。でも、今から考えても票は増えないからね」
「大竹さんにも言ってくれ」
「聞こえておりますわ!」
やがて、もう一度足音が近づいた。
今度は教室の前で止まる。
生徒会役員が扉を開けた。
「山府研究部の設立予定者五名と、顧問の先生は、生徒会室へ来て下さい」
大竹さんが立ち上がり、椅子が大きな音を立てた。
俺は、紬が閉じたファイルを持つ。中には、結果次第では提出せずに持ち帰る修正版の設立申請書が入っていた。
生徒会室の机には、選択肢ごとに束ねられた投票用紙が並んでいた。
配布数、回収数、白票と無効票の数が読み上げられる。個人を特定できる記述がされた用紙は、一枚もなかった。
「有効票の集計結果を発表します」
俺は三つの束を見る。
外からでは、どれが最も多いのか分からない。
「賛成が、有効票の半数を上回りました」
大竹さんの顔が明るくなる。
「では――」
「最後まで聞きなさい」
雪白さんが止めた。
賛成票は半数を少し上回っていた。反対票は三割を超え、残る一割あまりが「判断できない」だった。
賛成が最も多い。
だが、圧倒的な差ではない。
「反対の方も、これほどいらしたのですね」
大竹さんは、結果の用紙を見つめた。
「賛成だけを見てはいけないわ」
雪白さんが言う。
「反対も受け入れると決めて、投票を求めたのだから」
室井君は、反対票の数を見る。
「誰が反対したのかは、本当に分からないのですね」
「学年別、クラス別の集計もしていません。どの教室から何票出たのかも記録していません」
生徒会役員が答える。
室井君は頷いた。
「それなら大丈夫です」
紬は、三割を超えた反対票から目を離さない。
「反対って書けた人が、これだけいた」
「喜ぶことではないでしょう?」
大竹さんが尋ねる。
「設立を認めたくない人がいるのは、嬉しくない」
紬は答えた。
「でも、六家に知られずに、反対って書けた」
九人への確認では、六家の頼みを断るという考えが浮かばなかった者がいた。
今回は、六家の三人が加わる部活動に対して、相当数の生徒が実際に反対を示した。その票は、誰の名前とも結びついていない。
「投票を行った意味はあったと思います」
担任が言った。
「賛成が多かったからだけではありません。反対する生徒が、反対を示せる方法も機能しました」
俺はファイルから、修正版の設立申請書を取り出した。
賛成が反対を上回らなければ、持ち帰るつもりだった書類である。
「投票結果だけで、設立を承認することはできません」
生徒会役員が、先に確認した。
「分かっています」
俺は申請書を机へ置く。
「その結果を審議資料の一つとして、改めて申請します」
紬も、改訂した記録取扱規程を重ねた。
「個別の協力は、原則として顧問を通して募集します。賛成票を投じても、協力する義務はありません」
役員は、申請書、規程、集計結果の順に確認する。
「再申請を受理します。新しい資料に基づいて、改めて設立審議を行います」
まだ、設立を認められたわけではない。
それでも、持ち帰ったままだった修正版の申請書が、ようやく俺の手を離れた。
俺達五人は、集計結果の写しを受け取る。
最後に、大竹さんが生徒会全員へ向かって、声を張り上げた。
「全校投票という御面倒をおかけして、申し訳ありませんでした。御尽力下さったことに対し、山府研究部の代表として、御礼を申し上げます」
いつの間にか大竹さんが代表になっているが、生徒会役員は誰も突っ込まず、これまで対応してくれた男子生徒が前へ出た。
「生徒会は、生徒のためにある組織です。面倒なことでも、なんでも相談して下さい」
生徒会、かっこいいと思った。
教室へ戻ると、湯田さん、星君、渡部君が一斉にこちらを見た。
「どうだった?」
渡部君が尋ねる。
俺は、集計結果の写しを机の上へ置く。
「賛成が一番多かった」
大竹さんが続ける。
「ですが、『反対』と『判断できない』という御回答も、数多くございましたわ」
湯田さんは、結果の用紙を見る。
「この反対票が、どなたのものかは分からないのですね」
「分からない」
紬が答える。
「賛成も分からない」
「そうですか」
湯田さんは静かに頷いた。
星君も、三つの結果を順番に確認する。
「誰の家とも、誰の名前とも結び付かない票なのですね」
「それを確かめるための投票だったからな」
俺が答える。
渡部君は、結果を見ても喜ばなかった。
「生徒会は?」
「設立審議を再開する。まだ承認はされてない」
「それで十分だよ」
「提案した本人にしては、随分あっさりしてるな」
「全校投票で設立を決めることが目的ではなかったからね」
渡部君は、反対票の数を指した。
「この数字だけで、全校生徒が六家をどう考えているかまでは分からない」
「提案した本人が、それを言うのか?」
「聞いたのは、六家への好き嫌いではなく、この条件で山府研究部の設立を認めて良いか、だからね」
紬は、待っている間に何も書けなかった白紙を取り出す。
一番上へ、今日の日付を書き、その下に全校無記名投票が行われたことを記す。
賛成が最も多かった。反対も、判断できないという回答もあった。投票用紙には、誰の名前も書かれていなかった。
紬は、そこで一度鉛筆を止めた。
「何て書く?」
俺が尋ねる。
「まだ、設立は認められてない」
「そうだな」
「でも、反対した人も、反対できた」
紬は、その言葉を記録へ加える。
山府研究部は、まだ正式な部活動ではなかった。
湯田さんと星君は見学者のまま。
渡部君も部員ではない。
設立審議が再開されても、次の結果がどうなるかは分からない。それでも、山府義塾で初めて、山府研究部の設立への賛成も反対も、誰の名前にも結び付かない一票として数えられた。




