提案
週明け月曜日の放課後。
机の中央には、設立不承認の通知、記録取扱規程、匿名の確認票が並んでいる。
記録取扱規程は完成している。活動前の説明方法も決めた。協力を断っても、不利益を受けないことを明記した。
以前の協力者へ匿名で確認した結果、今回の回答には、六家から実際に報復された具体例がないことも分かった。それでも、六家を恐れている生徒はいる。
本人へ直接尋ねれば、本音を隠すかもしれない。俺や紬が代わりに尋ねても、山府研究部の人間であることは変わらない。
以前協力した九人だけの回答では、学校全体の考えを示すこともできなかった。
大竹さんが言った。
「今回の回答には、実際に報復された方の具体例はないのでしょう? でしたら、そのことを生徒会へ御説明すればよろしいのではありませんか?」
「具体例が出ていないことと、怖くないことは別だと言われるよ」
「では、怖くないと証明するのですか?」
「怖いと思ってる人がいるのは、もう分かってる」
紬が確認票を見る。雪白さんも答えを出せなかった。
少なくとも、九人の回答には、六家が何かしたという具体例はない。しかし、具体例がないから恐怖も存在しないとは言えない。
担任からは、申請を急がず、もう一度方法を考えるように言われている。だが、何を変えれば、生徒が自由な意思を示せるのか分からなかった。
室井君と大竹さんは家の予定があり、先に帰った。雪白さんも迎えの車が到着する時刻になり、教室を出る。
残った俺と紬は、匿名の回答を最初から読み直していた。
紬は九枚の用紙を、書かれている内容ごとに並べ替えていく。
『大竹さんに誘われて嬉しかった』
『嫌ではなかった』
『特に断る理由がなかった』
そして、『断るという考えが最初から浮かばなかった』。
似ているようで、最後の一つだけは意味が違う。
「これ」
紬が、その回答を指した。
「嫌だった、とは書いてない」
「でも、自分で選んだとも言い切れない」
「うん」
九人の回答には、大竹さんを嫌っているという言葉も、断ったことで報復されたという具体例もなかった。
ただ、それは学校にそういう人が一人もいない証明にはならない。九人が知らないだけかもしれないし、知っていても書かなかったのかもしれない。
確かに分かったのは、何もされていないのに、断れないと感じた人がいたことだった。
「九人を百人に増やしても、同じ質問を俺達が続けるだけじゃ駄目だよな」
「人数じゃない」
紬が答える。
「先生が配っても、私たちに見せる回答だった」
確認票の配布と回収は顧問が行った。それでも、何のための確認なのかは全員が知っていただろう。山府研究部に都合の良い答えを求められていると感じた人がいても、俺達には分からない。
回答をどれだけ増やしても、それが本人の自由な意思だったと、俺達が証明することはできなかった。
「なら、確かめ方じゃなくて、頼み方を変えるか」
「どう変えるの?」
「俺達からは、誰にも直接頼まない」
紬が九枚の用紙を見る。
「先生に頼む?」
「ああ。調べたい内容を顧問の先生に伝えて、校内で協力者を募集して貰う。協力したい人だけが、先生に申し出る」
紬は少し考え、頷いた。
「それなら、断らなくていい」
断る自由があると説明するだけでは足りない。
断るという行為そのものを、六家の人間の前からなくす。
紬は、完成したはずの記録取扱規程を開いた。
「ここに追加する?」
「募集方法として、別に項目を作った方がいいと思う」
記録をどう扱うかは決めた。しかし、記録を始める前に、どうやって協力者を募るかまでは決めていなかった。
規程は完成したのではない。
足りないところが、ようやく見つかっただけだった。
「その方法なら、今よりはずっといいだろうね」
声がして、俺と紬は教室の扉を見る。
珍しく放課後まで残っていた渡部君が、鞄を肩に掛けたまま立っていた。
「盗み聞きは有料だぞ」
「相談料と相殺してくれるかな」
渡部君は勝手に近くの椅子を引き、九枚の回答の写しと記録取扱規程を交互に見る。
昨日までのように、六家の外から助言している顔ではなかった。渡部家本家の人間であることを明かした以上、渡部君も、この問題の中にいる。
「顧問を通して募集する。それなら、六家の人間へ直接返事をしなくて済む」
「ああ。ただ、細かい条件は五人で決める」
「途中で協力をやめたい場合や、記録を消して欲しい場合も、顧問を通せるようにした方がいいね」
紬が手帳へ書き留める。
「私たちに、直接言わなくていい」
「そういうことだね」
渡部君は規程を閉じた。
「そこまで決めれば、生徒会から求められた条件には答えられると思う」
「なら、規程を直して申請を出し直せるな」
「制度上はね」
煮え切らない言い方だった。
「まだ何かあるのか?」
「六家の人間が規程を作って、自分達で『これなら安心だ』と判断する。それだけで、今回の問題に向き合ったことになると思う?」
俺は答えられなかった。
「規程の内容を審査するのは生徒会だ。それで設立を認められれば、手続き上は何も問題がない。ただ、断れないと感じていた生徒が、新しい規程を見てどう思うのかは分からないか」
「だったら、その人達にも見て貰えばいい」
渡部君は少しだけ楽しそうに言った。
「修正した規程を示した上で、この仕組みなら山府研究部を設立しても良いと思えるか、聞いてみる」
「九人に、もう一度?」
「九人だけに聞けば、九人の考えは分かる。でも、山府研究部が設立されたら、協力を求められる可能性があるのは九人だけじゃない」
渡部君は、机の上に並んだ回答を指で揃えた。
「聞くなら、山府義塾高等学校の全生徒だと思う」
「全員に、規程を読んで貰うのか?」
「要点をまとめたものを見せる。そして、山府研究部の設立に賛成か、反対か、まだ判断できないかを答えて貰う」
渡部君はいつになく真剣な顔だった。
「誰が聞くんだ?」
「生徒会に頼む。氏名も学年もクラスも書かない。用紙を作るのも、配るのも、回収して数えるのも生徒会。設立予定者は関わらない」
紬が手帳へ書く。
『全校生徒』
『匿名』
『賛成、反対、判断できない』
三つ目まで書いたところで、紬の手が止まった。
「これ、投票」
俺も同じことを考えていた。
学校の全生徒が、山府研究部を設立して良いか、無記名で意思を示す。
言葉を並べれば、それは全校投票だった。
「再申請をするのに、ここまで大袈裟になるとは……」
「まあ再申請の手続きとしては、必要ないよ」
「必要ない?」
「ああ。修正した規程を生徒会が認めれば、申請は出し直せると思う」
渡部君は九枚の回答の写しへ目を落とした。
「でも、それでは、六家の人間へ反対と言えない生徒の考えは、最後まで表に出ない。自由な意思を尊重するために規程を直すなら、部の設立についても、誰にも知られずに意思を示せる場所を用意した方がいい」
全校投票は、生徒会から求められた手続きではない。
六家の三人を含む俺達が作った規程を、俺達だけで正しいと決めないための確認だった。
「九人への質問とは違う」
紬が言った。
「違うよ」
渡部君は素直に認めた。
「九人に聞いたのは、これまでの頼まれ方で断れたかどうか。全校生徒に聞くのは、問題を直した山府研究部なら、設立して良いと思えるかどうかだ」
「全員が賛成しても、目の前で頼まれた一人が断れる証明にはならないぞ」
「ならない。だから、先に規程を直す。個別の協力については、断らなくても済む仕組みで守る。その規程を含めた部を受け入れられるかを、全校生徒へ聞く」
紬が、自分の手帳を指でなぞる。
「先に規程。後で投票」
「ああ」
今度は、俺にも順番が分かった。
「投票で、部を作るか決めるのか?」
「いや、最終的に審査するのは生徒会だよ。投票結果は、五人が申請を出し直すか、生徒会が再審査するかを判断するための資料にする」
「反対が多かったら?」
「結果をどう扱うかは、投票の前に五人で決めておく必要がある」
「結果を見てから決めたら駄目なのか?」
「それだと都合のいい結果だけ尊重することになりかねないからね」
渡部君の声は穏やかだった。
「本音を聞きたいと言っておいて、反対が多ければ無視することもできる状態。それでは、最初から聞く意味がない」
「なるほど。それなら少なくとも、反対が賛成を上回った場合、俺達は申請を出さないくらいの覚悟がいるのか」
「覚悟というか、申請しない方がいい」
紬は宣言した。
「その条件を五人が受け入れるかは、明日話した方がいいね」
全校投票を行い、賛成が反対を上回らなければ部の設立申請は行わない。六家の影響を排除するには、そこまでする必要があった。




