六家の正体
その日の放課後。
俺の教室へ、八人が集まった。
俺と紬。
山府研究部の部員である室井君、雪白さん、大竹さん。
見学者の湯田さんと星君。
そして、渡部君。
八人が同じ場所へ揃うのは、これが初めてだった。
机を寄せた中央には、顧問が匿名回答から作った要約が置かれている。回答の原本は顧問が保管し、設立予定者五人と見学者の二人、渡部君には、個人の推測に繋がる表現を除いた回答の写しが共有されていた。
渡部君は全員が席に着いたことを確認した。
「最初に断っておくけど、今から話すのは、本人達へ説明して良い範囲を確認した内容だけだよ」
誰からも異論は出なかった。雪白さんたちが、自分から家柄を語るわけではない。渡部君の説明を聞き、誤りがあればその場で訂正することになっていた。
渡部君が湯田さんと星君を見る。
「まず、湯田家と星家から話そう」
二人は静かに頷いた。
「二つの家について説明する前に、山御杜がどういう神社なのかを知って貰う必要がある」
山御杜。
山府へ来る前から、名前は知っていた。全国から大勢の参拝者が訪れる、日本有数の神社。実際に近くまで行った時も、その規模には驚かされた。
しかし、それでも正確な理解ではなかったらしい。
「山御杜は、日本最大の神社だよ」
日本有数ではない。
日本最大。渡部君は、はっきりそう言った。
「さらに、全国で唯一、『御杜』という特殊な社号を使用している」
「御杜って、山御杜という名前の一部じゃないのか?」
「名前の一部ではあるよ。ただし、御杜は社号を表している。一般的な神社、神宮、大社とも異なる。『御杜』を社号として使用しているのは、全国で山御杜だけだ」
日本で一つしかない社号。山御杜は、単に規模が大きいだけの神社ではなかった。
他のどの神社とも異なる、特別な神社である。
「その山御杜を、異なる役目から支えてきたのが湯田家と星家だ」
渡部君は、まず湯田さんへ視線を向けた。
「湯田家は、『大祝』を継いできた家だ。大祝は、山御杜の祭祀を司る最高責任者」
山御杜で執り行われる祭祀。その中心に立ち、祭祀を受け継いできたのが湯田家だった。
「現在の大祝は、湯田さんの祖母だ。その次を母親が継ぎ、さらにその次を湯田さんが継ぐ」
「候補ではないのか?」
俺が尋ねる。
「違うよ」
渡部君は明確に否定した。
「湯田さんは、既に大祝の後継者として定められている」
俺は湯田さんを見る。
湯田さんは否定も、説明の追加もしなかった。普段と変わらない穏やかな表情で、渡部君の話を聞いている。
これまで俺が見ていたのは、同じ高校に通う穏やかな女子生徒だった。
しかし、山府の人間は、最初からその先にいる未来の大祝まで見ていたのだ。
渡部君は続いて、星君を見る。
「星家は、『神長官』を継いできた家だ。神長官は、山御杜の管理を司る最高責任者」
「祭祀と管理で、役目が分かれているのか」
「ああ。山御杜の祭祀を司るのが大祝。その山御杜を管理するのが神長官だ。どちらが上というのはない」
同じ神社に関わる二つの家。
だが、同じ役目を分け合っているわけではない。それぞれが異なる立場から、山御杜を支えている。
「現在の神長官は、星君の祖父だ。星家も、代々その役目を受け継いできた。星君も将来、その役目を担うために学んでいる」
星君は黙って渡部君の説明を聞いていた。湯田さんと星君が普段から一緒に行動している理由も、単に仲が良いからだけではなかった。
山府義塾の生徒の中に、二人を普通の同級生として見られない者がいる理由が、ようやく分かった。
渡部君は次に室井君を見た。
「室井家については、相田君たちもある程度知っているね」
「天山流を継いでる家だろ」
「ああ。ただ、それだけでは室井家がどのように見られているかまでは分からないと思う」
室井君は否定しなかった。
「室井家は、天山流を生み出した家であると同時に、日本武道の源流だ」
渡部君の言葉に、俺は室井君を見る。
以前、室井君本人から聞いたのは、室井家で天山流を伝えていること。
自分が正統後継者に定められていること。
中学一年の時、U15武道世界大会の主要九種目個人戦全てで優勝したことだった。
しかし、天山流そのものがどのような存在なのかまでは聞いていない。
「室井家は、江戸時代以前から続く古武術、天山流を軸に他の流派をまとめ、武道という日本独自の修練文化の基礎を築き上げた家だ」
室井君は姿勢を崩さない。
自分の家の説明を聞いているというより、事実に誤りがないかを確認しているようだった。
「武道が世界中に普及した現在、天山流は日本だけでなく、世界中の武道家から特別な存在として見られている。武道に関わる者にとって、その総本山で学ぶことは憧れでもある」
俺の中にあった認識が変わる。室井君は、武道の名家に生まれただけの高校生ではない。世界中の武道家が憧れる、日本武道の発祥となった流派の正統後継者だった。
「武道に関わる家の人間が武尊から頼まれれば、単なる同級生からの頼みとは思えないかもしれない。断ったことで、自分の道場や師へ影響が及ぶと考える人もいる」
「自分は、そのようなことはしない」
室井君が言った。
「分かっているよ」
渡部君はすぐに答えた。
「今話しているのは、武尊が何をするかじゃない。相手が何を想像するかだ」
室井君は口を閉じた。
相手の家が武道に関わっていれば、室井家との関係まで考えずに断ることは難しい。
渡部君の視線が大竹さんへ移る。
「大竹家は、五橋財閥の創業家であり、現在も総帥家にあたる」
大竹さんが五橋財閥の家だということを、俺はここで初めて知った。
五橋の名前なら聞いたことがある。ニュースや新聞だけではない。駅、空港、工場、機械、建設現場。山府へ来る前から、いたるところで五橋の名を目にした覚えがあった。
「五橋財閥は、山府市五橋を創業の地とする世界有数の重工業財閥だ。世界各地に工場を持ち、財界に幅広い関係を持っている」
山府にある名家という範囲ではなかった。
日本の中だけでもない。
世界中で事業を行う巨大な企業群の頂点に、大竹家がいる。
「ただ、大竹さん自身は、五橋財閥の次期総帥候補ではない」
渡部君は、そこを明確にした。
「ただし、大竹家本家の人間であることに変わりはない。家を通せば、国内外の企業の経営者とも直接会える立場にいる」
「どんな会社の社長でも?」
俺が尋ねる。
「相手の予定もあるから、必ず今すぐ会えるという意味ではないよ。ただ、大竹さんが本当に望み、大竹家を通せば、普通なら会う機会を得ることさえ難しい相手とも話ができる」
俺は大竹さんを見る。
九人の友人を連れてきて、三人ずつ三組だから二、三人の範囲だと言い張った人物である。その大竹さんが望めば、世界的な企業の経営者へ直接話を通すことができる。
二つが同じ人物の中で、うまく重ならなかった。
「何ですの?」
視線に気付いた大竹さんが尋ねる。
「いや」
「何かおっしゃりたいことがあるのではなくて?」
「今は渡部君の話を聞こう」
大竹さんは納得していない顔だったが、話を止めはしなかった。
渡部君が続ける。
「確認票には、大竹家に嫌われれば家の仕事へ影響するかもしれないと書かれていた。回答した生徒の家が、実際に五橋財閥と関係しているかは分からない」
確認票は匿名である。俺達には、書いた生徒も、その家族の仕事も分からない。
「それでも、五橋財閥との関係がどこまで伸びているのか、普通の高校生が確かめることは難しい。直接の取引がなくても、親の勤め先、その取引先、さらにその先で繋がっているかもしれないと思う」
大竹さんは、自分の前に置かれた確認票を見る。
「わたくしがお願いしただけで、そこまで考えなければなりませんのね」
「考えなくて済む人もいるよ。でも、考えてしまう人もいる」
渡部君は断定しなかった。だからこそ、大竹さんも否定できなかった。
次は雪白さんだった。
「雪白家は、世界最大のラグジュアリーブランドである『雪白久雅』の創業家であり、現在もオーナー家だ」
雪白久雅。
名前だけなら、俺も知っている。服飾や宝飾品の広告を、ニュースや雑誌で何度か見た覚えがある。しかし、俺が知っているのはブランド名だけだった。
それが雪白さんの家と結びついたことは、一度もない。
「雪白久雅は、世界各地で事業を展開している。それと同時に、雪白家は山府の伝統工芸を全て掌握している」
「全て?」
「ああ」
渡部君が答える。
山府に残る工芸品。その工房、職人、組合、流通、販売。雪白家は、その中の一部に関係しているのではない。山府の伝統工芸全体へ影響を持つ家だった。
「雪白久雅が世界最大のラグジュアリーブランドになった今も、山府の伝統工芸は雪白家と切り離せない。山府の工房にとって、雪白家との関係は仕事そのものに関わる」
最初の校外活動で案内してくれた芳賀さんは、実家で伝統工芸の仕事をしていた。もし、その家の仕事が雪白家と繋がっているのなら。
雪白さんから頼まれたことを、本人だけの判断で断れるとは限らない。
さらに渡部君は続ける。
「現在の雪白本家は雪白久雅の経営のみを行っているけど、分家には他にも巨大な事業を行っている家がある。その中には、山府の観光事業や観光開発を掌握している家もある」
俺は二回目の校外活動で、再開発について憤っていた杉原さんを思い出した。
日本有数の観光都市である、山府の観光と観光開発を掌握する家。
親戚とはいえ、その雪白家の頂点に位置する雪白本家の人間。
雪白家の山府に対する影響力の大きさに、言葉を失った。
「現在の当主は雪白さんの祖父だ。父親がその次を継ぎ、さらにその後継者として、雪白さんが正式に指名されている」
雪白さんは表情を変えなかった。
「本当なのか?」
俺が尋ねる。
「ええ」
返ってきたのは、それだけだった。自慢する様子も、重荷だと訴える様子もない。雪白さんは、事実を事実として認めただけだった。
山府に甚大な影響を及ぼす雪白家、その本家の当主の後継者に指名されている。
教室で一人、本を読んでいた雪白さんからは想像もできなかった。
渡部君が最後に、自分の前へ置かれた用紙を見る。
「残るのは渡部家だね」
渡部家が六家の一つであることは知っている。山府を地盤としてきた政治家一族であることも、渡部君から聞いた。
「渡部家は、山府を地盤としてきた政治家一族だ。地方議員、国会議員を何代にもわたって出している」
渡部君は淡々と続ける。
「現在の渡部本家からは、現職の内閣総理大臣が出ている」
俺の動きが止まる。
現職総理の名前くらいは、俺でも知っている。
しかし、知っているのは本当に名前だけだった。
どこの出身なのか、どのような家で育ったのか、家族にどのような人物がいるのか。
そこまでは何も知らない。
「今の総理って、山府の人だったのか?」
「そうだよ」
渡部君は、特別なことでもないように答えた。
「その息子は、現在の会津県知事を務めている」
「親子で総理と県知事なのか?」
「そうなるね」
「政治家一族って言葉で済ませていい規模じゃないだろ」
「もっというと、現在の総理大臣の父も、かつて会津県知事を務めた。さらにその父は、内閣総理大臣を務めている」
現職の県知事や総理大臣だけではなかった。
「渡部家の関係は、選挙で選ばれた政治家だけに限らない。何世代にもわたって築かれた関係は、政界だけでなく、官界や財界にも広がっている」
「どこまで広いんだ?」
俺が尋ねる。
「分からない」
渡部君は、あっさり答えた。
「渡部家の人間である僕にも、全てを把握することはできないよ」
その分からなさ自体が、不気味だった。
誰と誰が繋がっているのか。どこまで話が届くのか。外から確かめる方法がない。
「渡部家を、日本のフィクサーに近い一族だと見る人もいる」
一人の政治家が強いのではない。何世代にもわたって積み上げられた関係そのものが、渡部家の力になっている。
そこで、俺は以前の会話を思い出した。
「渡部君」
「何?」
「前に聞いたよな。渡部君は、渡部本家とどういう関係なのかって」
渡部君の表情が止まった。
「親戚だって答えた」
「ああ」
「それだけだって」
「そう答えたね」
渡部君は否定しなかった。
教室にいる他の五人は、誰も驚いていない。室井君も、雪白さんも、大竹さんも、湯田さんも、星君も、渡部君を見ているだけだった。
この場で何も知らないのは、俺と紬だけだった。
「本当は、どういう関係なんだ?」
教室が静かになる。窓の外から、運動部の掛け声が聞こえた。渡部君は一度、五人の顔を見る。それから、俺と紬へ向き直った。
「僕の家は、渡部家の本家なんだ。つまり、現職の総理大臣の家」
言葉の意味が、すぐには頭へ入らなかった。
「総理大臣の家って……」
「現在の内閣総理大臣は、僕の祖父だよ」
ニュースや新聞で何度も見聞きした人物が、目の前にいる渡部君と繋がる。
「祖父?」
「ああ。現在の会津県知事は、僕の父だ」
総理大臣の孫。
県知事の息子。
同じ教室で弁当を食べ、室井君の勘違いを笑っていた渡部君が、その二人の直系だった。
「先程話した元県知事は、僕の曽祖父。その父で、内閣総理大臣を務めた人物が僕の高祖父だ」
「親戚っていう距離じゃないだろ」
俺は思わず声が大きくなってしまう。
「親戚であることは間違っていないよ」
「俺が本家との関係を聞いた時、渡部君は分かってて隠したんだろ」
渡部君は笑わなかった。
「ああ」
短い返事だった。
「どうして?」
渡部君はすぐには答えない。今まで誰に対しても崩さなかった穏やかな表情が、完全に消えていた。
「相田君と相田さんが、僕を総理大臣の孫だと知らなかったからだよ」
「それは理由になるのか?」
「僕にとっては、なった」
渡部君は静かに続ける。
「山府で、僕が渡部本家の人間だと知らない人はほとんどいない。学校の生徒も、教師も、最初から知っている」
相田兄妹以外は、みんな知っている。その意味が、ようやく分かった。
誰とでも話す渡部君に、特定の親しい友人がいない。賛成か反対かを求められても、簡単には自分の立場を決めない。
相手が渡部君本人を見ているのか、渡部本家を見ているのか分からないからだ。
「君たちは違った。僕が渡部家の人間だと知った後も、本家の人間だとは知らなかった。だから、総理大臣の孫ではなく、同じクラスの渡部弘人として話してくれた」
「そのままにしておきたかった?」
「ああ」
渡部君は認めた。
「君たちが勘違いしていることにも気付いていた。それでも訂正しなかった。前に尋ねられた時も、親戚とだけ答えて、わざと本家との関係を伏せた」
言い訳はしなかった。
「それは謝る」
すぐに気持ちを整理できるかどうかは分からない。だが、雪白さんたちも自分から家のことを話してはいない。渡部君だけが家柄を黙っていたわけではなかった。
違うのは、直接尋ねられた時にも、意図して答えを避けたことだった。
「どうして今は話したんだ?」
「この問題について、僕だけが自分の立場を隠したまま意見を言うことはできないからだよ」
渡部君が匿名の確認票を見る。
「六家の人間から頼まれれば断れない。それが問題になっているのに、僕だけは六家の外にいるような顔で相談に乗っていた」
「渡部君は部員じゃない」
「部員でなくても、当事者ではある」
渡部君の声に迷いはなかった。
「渡部本家の人間である僕が何かを提案すれば、それも家の意向だと思われるかもしれない。それを恐れて、僕は今まで判断を避けてきた」
中立でいる。誰かへ強く賛成することも、反対することもしない。
渡部君にとって、それは自分と周囲を守る方法だった。
同時に、責任を引き受けずに済む場所でもあった。
「でも、今回はそこへ逃げるべきじゃない」
渡部君は、自分でそう言った。
教室の中央には、六家の六人がいる。山府で生まれ育った者なら、名前を聞くだけで立場を理解する六人。
何も知らなかったのは、俺と紬だけだった。
六つの家は、それぞれ異なる歴史と基盤を持っている。それでも、共通していることが一つあった。
山府で暮らす多くの人間の生活が、どこかで六家と繋がっている。
「僕たちが何かするかどうかじゃないんだ」
渡部君は、匿名の確認票を見る。
「僕たちの後ろにあるものを、相手が考える」
大竹家や五橋財閥と取引があるかもしれない。
雪白家との関係を失えば、直接仕事に影響するかもしれない。
室井家に逆らえば、道場や師へ迷惑がかかるかもしれない。
湯田家や星家との関係を悪くすれば、山御杜に関わるところで問題になるかもしれない。
渡部家なら、どこまで話が届くのかさえ分からない。
「本人が何もしないと言っても、それを信じるだけじゃ足りない」
渡部君が頷く。
「僕たち本人が報復しなくても、周囲が先回りすることがあるからね」
親が子供へ、断らない方がいいと言う。教師が問題を避けようとする。会社や道場が、六家との関係を守ろうとする。
六家が命令する必要はない。六家の意思を確かめる前に、周囲が従う。
少なくとも、それが、今回の匿名回答に現れた恐怖の一つだった。




