五里霧中
翌日の放課後も、五人は俺の教室へ集まった。
紬が、新しい用紙の一番上に題名を書く。
山府研究部記録取扱規程。
最初に決めるのは、調査へ協力して貰う前の説明だった。
活動の目的、記録する内容、写真を撮る可能性、完成した資料を誰が読むのか、協力した後でも訂正や削除を求められること、協力を断っても不利益を受けないこと。
俺が必要な項目を書き出し、紬が相手へ説明しやすい文章へ直す。雪白さんは、解釈が分かれそうな表現を見つけては止める。
「『必要に応じて削除する』では駄目ね。誰にとって必要なのかが分からないわ」
「じゃあ、『本人から削除の希望があった場合は応じる』にする」
大竹さんは、完成しかけた説明文を声に出して読む。
「調査への協力は任意であり、お断りになった場合も、学校生活その他において――」
途中で言葉が止まる。
「これは、高校生へ見せる文章ですわよね?」
「そうだけど」
「随分と難しくありませんこと?」
雪白さんが大竹さんを見る。
「珍しく、もっともな指摘ね」
「珍しくは余計ですわ!」
俺は文章を書き直す。
『協力するかどうかは、本人が自由に決められます。断っても、部員との関係や学校生活で不利益を受けることはありません』
大竹さんは新しい文章を読む。
「こちらの方が分かりやすいですわ」
室井君は、その一文を見ている。
「断った者へ不利益を与えないのは、当然のことではないのか」
「当然だと思っていても、相手に伝わっているとは限らない。だから、最初から書いておく」
室井君は納得して頷く。
記録そのものについても規則を決める。
『氏名、住所、家族の勤務先など、個人を特定できる情報は原則として残さない』
『写真を撮る場合は、場所の許可だけでなく、写る本人にも確認する』
『やむを得ず本人への確認が事後になった場合は、確認が取れるまで記録を使用せず、許可が得られなければ削除する』
『部員のカメラや記録手帳へ入った未整理の記録は、活動終了後、未整理のまま速やかに学校指定の保管場所へ移し、個人の機器には残さない』
『完成した記録は、協力者本人にも確認して貰う』
『本人が望まない内容は削除する』
『部外者へ資料を渡す場合には、改めて本人の許可を取る』
『部員だけでは判断できない部分は、顧問へ相談する』
規程は一日では完成しなかった。翌日も、その次の週も、昼休みや放課後の時間を使って文章を直す。
室井君と大竹さんは家の予定があるため、毎日は参加できない。それでも、自分が不在の間に変更された部分を次に来た時に確認する。
雪白さんは、自宅でも規程を読み直し、翌朝になると曖昧な箇所へ付箋を付けて持ってくる。
紬は、以前の記録も新しい規程に合わせて整理し直す。
俺は、調査協力者へ渡す説明用紙と、記録内容を確認して貰うための用紙を作る。
担任にも確認して貰い、何度か修正を重ねた後、記録取扱規程が完成した。
「これなら、最初に問題とされた部分には答えられると思う」
担任は完成した規程を読みながら言う。
「ただ、実際に運用できるかどうかも大切だ。最初から完璧にはできないだろうから、問題が出れば、その都度見直すことも書いておこう」
紬が最後の一項を付け加える。
五人は、修正した申請書と記録取扱規程、顧問がまとめた設立準備中の活動概要を持ち、生徒会と改めて話し合うことにした。
再交渉には、俺と紬と雪白さんが代表して参加した。室井君と大竹さんも同行を希望したが、全員で押しかける必要はないと担任から止められた。
生徒会室では、以前申請を受け付けた役員が待っていた。俺は記録取扱規程を提出し、変更した部分を説明する。生徒会役員は、同意、訂正、削除、資料の保管方法を順番に確認する。
「前回問題となった点については、かなり整理されていると思います」
「では、再申請できますか?」
俺が尋ねる。
役員はすぐに答えず、協力者を集める方法について書かれた部分を見る。
「最初の聞き取りでは、大竹さんが九人の生徒を集めたのですよね」
「はい」
「その九人は、全員が自分の意思で参加したのでしょうか」
「嫌がっている人はいませんでした」
俺は、当日の様子を思い出しながら答える。連れてこられた生徒たちは緊張していたが、途中で帰ろうとした者はいなかった。
大竹さんが普段の会話を始めてからは、休日や家の仕事について自然に話していた。
「大竹さんから頼まれた時、断ることもできたのでしょうか」
「本人達に、聞いてみないと分かりません」
紬が答える。
役員は、雪白さんへ視線を移す。
「今回提出された規程と活動概要を確認する中で、もう一つ、問題があるのではないかという意見が出ました」
「どの部分でしょうか」
「記録した後の扱いだけでなく、協力を頼む前の段階で、本人が本当に自由な意思を示せるのかという問題です。山府研究部には、現在、六家の生徒が三人いますね」
「ええ」
「六家の生徒から協力を頼まれた一般の生徒が、本当に自由な意思で断れるのか、ということです」
雪白さんの目がわずかに細くなる。
「私たちが、断った生徒へ報復すると考えているの?」
「実際になさると言っているわけではありません」
役員は慎重に答える。
「問題は、相手が何かされるかもしれないと考えている場合です」
記録取扱規程に、断っても不利益を受けないと書いてある。
本人が同意書へ署名する。
それでも、六家を恐れている生徒が、拒否できないまま署名する可能性は残る。
「本人が署名しても、それが自由な意思によるものか分からないということですか?」
「そうです。一般の部員から頼まれた場合と、六家の生徒から頼まれた場合が、生徒にとって本当に同じなのか。その点を、生徒会として無視することはできません」
生徒会は、記録取扱規程の内容そのものは評価する。しかし、協力者が六家の影響を受けずに意思を示せる方法がなければ、再申請を承認することは難しいと告げる。
最初の問題を解決したことで、別の問題が表へ出た。
三人は、修正した申請書を提出せずに生徒会室を出た。
教室へ戻ると、室井君と大竹さんが待っていた。俺が、生徒会で新たに指摘された内容を説明する。
大竹さんは、すぐには納得しない。
「わたくしは、皆さまを無理に連れてきたわけではございません」
「ああ。それは俺も分かってる」
「皆さまは、わたくしの友人ですわ」
紬が尋ねる。
「華恋さんの頼みを断った人はいる?」
大竹さんの答えが止まる。
「今まで一度も、という意味?」
紬が頷く。
大竹さんは考える。
行き先を決めた時。一緒に帰ろうと誘った時。学校行事の手伝いを頼んだ時。大竹さんが声をかければ、周囲の生徒たちはいつも明るく応じていた。
その様子を見る限り、大竹さんは、自分の提案を喜んで貰えていると信じていたらしい。
「……皆さま、いつも快く引き受けて下さいますわ」
「本当に嫌じゃなかったか、華恋さんが直接聞いても同じことになる」
紬は言葉を選びながら慎重に指摘する。
「華恋本人から尋ねられたら、嫌だったとしても、違うとは言いにくいでしょうね」
雪白さんはストレートに指摘した。
「では、どうすれば本当のお気持ちが分かりますの?」
大竹さんが泣きそうになりながら質問する。しかし、誰も答えられない。
室井君が腕を組む。
「自分は、誰かへ部の協力を頼んだことはない」
「頼んだことがなくても、同じ問題は残るわ」
雪白さんが答える。
「室井君から頼まれた時点で、断れないと思う人がいるかもしれない」
室井君は、自分の体格や家の名前を理由に、周囲から距離を取られてきた。自分から強制した覚えはない。それでも、相手が勝手に恐れることまでは止められない。
「雪白さんは、前からこうなると分かってた?」
俺が尋ねる。
「似たようなことは何度もあったわ」
雪白さんは淡々と答える。
「私が何か言う前に、周囲が勝手に賛成する。嫌なら断ればいいと言っても、誰も断らない。だから、最初から人へ頼まないようにしていた」
雪白さんが一人でいることが多いのは、本人の性格だけが理由ではなかった。
大竹さんは、九人の顔を一人ずつ思い返すように、しばらく黙り込んだ。九人が大竹さんを嫌っていたとは思えない。
だが、大竹さんへ向けられた笑顔の全てが、本当に遠慮のないものだったと証明することもできなかった。
翌日、顧問の担任は生徒会と相談し、以前聞き取りへ参加した九人に匿名の確認票を配ることを提案してきた。
配布と回収、原本の保管は顧問が行い、俺達には誰がどの回答を書いたのか分からないようにする。設立予定者五人と、相談に加わっている見学者二人、渡部君へ共有するのは、回答者が共有を認めた内容から個人の特定に繋がる表現を除いた写しだけにする。六家の三人は、確認票の文面作成や配布、回収には関わらず、質問は顧問と生徒会が必要なものだけに絞る。
聞き取りへ参加した理由、参加を断ろうと思ったことがあるか、大竹さんから頼まれたことで断りにくいと感じたか、断った場合に自分や家族へ何か起きると思ったか。
大竹さんには辛い質問だが、本音を確認できるかもしれないという大竹さんの希望で、このまま配布することにした。
数日後、無記名の回答が集まる。
『面白そうだったから参加した』
『大竹さんに誘われて嬉しかった』
『嫌ではなかった』
『特に断る理由がなかった』
そうした回答がある一方で、別の意見もあった。
『大竹さんに頼まれたら、断るという考えが最初から浮かばなかった』
『大竹さん本人が何かするとは思わないが、大竹家へ失礼になる気がした』
『大竹家に嫌われたら、家の仕事へ影響があるかもしれないと思った』
しかし、「実際に六家の頼みを断って報復された人を知っていますか」という質問には、具体的な事例が一つも書かれていなかった。
『先輩から聞いた』
『家族から、六家には逆らわない方がいいと言われた』
『昔から、そういうものだと思っていた』
回答にあるのは、出所の分からない噂ばかりだった。
「今回の回答には、何かされたという具体例はない」
紬が回答を見ながら言う。
「でも、何かされると思ってる人はいる」
俺にも、その違いがようやく分かる。六家が実際に報復した証拠はない。だからといって、生徒たちの恐怖が存在しないことにはならない。
大竹さんは、自分へ向けられた回答を黙って読んでいる。
「皆さまが、わたくしを嫌っていたわけではないのですね」
「そう書いてる人はいない」
紬が答える。
「でも、断れると思ってなかった人はいる」
大竹さんは、いつものようにすぐ言葉を返さなかった。
俺も、机に置かれた回答へ目を落とす。
『大竹家に嫌われたら、家の仕事へ影響があるかもしれないと思った』
何度読んでも、その一文が重かった。大竹さんが六家の一人であることは知っている。雪白さんや室井君も同じだ。湯田さんと星君も六家の人間であり、山御杜に関わる家だと聞いている。
しかし、それぞれの家がどれほど大きく、山府で暮らす人々からどのように見られているのかまでは分かっていなかった。
俺が知っているのは、渡部君が教えてくれたことや、本人達と話す中で偶然知ったことだけだ。その程度の知識しかない。六家を知らないまま、六家を恐れる必要はないと言っても説得力がない。
翌日の昼休み、俺は渡部君へ相談した。
「六家がどれくらい大きな家なのか、俺にも分かるように説明してくれないか」
渡部君は弁当へ伸ばしていた箸を止めた。
「僕の家についてなら、僕の判断で話せる。でも、他の家について勝手に説明することはできないよ」
「それは前にも聞いた」
雪白さんの家について知りたいなら、本人へ尋ねるべきだ。答えるかどうかを決めるのも雪白さんである。渡部君は以前、そう言って他家の説明を断っている。
「だから、本人達へ許可を取って欲しい」
「僕が?」
「ああ。渡部君なら、前に六家の室井君や雪白さんと普通に話していただろ。俺が聞いて回ると、部活のために家の事情を言えと強制することになる。それに、何を聞けばいいのかも分からない」
渡部君はすぐには答えなかった。
「説明が必要な理由は?」
「六家を怖がってる生徒がいる」
俺は生徒会からの確認事項や、匿名の確認票について話した。
渡部君は、最後まで口を挟まなかった。
「その恐怖がどこから来るのか、俺と紬には分からない。分からないまま規程を作り直しても、また別の問題が出ると思う」
「なるほど」
渡部君は箸を置いた。
「説明を聞いた後、相田君たちが彼らを見る目も変わるかもしれないよ」
「それでも、知らないまま決めるよりは良い」
渡部君はしばらく俺を見た。
やがて、静かに頷く。
「分かった。僕から確認するよ」
「話してくれるのか?」
「本人達が了承した範囲ならね」
渡部君はそこで一度、言葉を切った。
「ただし、家の内部事情まで説明するつもりはない。今回の問題を考えるために必要なことだけだよ」
「それでいい。ありがとう」
俺達が知りたいのは、各家の秘密ではない。なぜ同じ高校一年生から頼まれただけで、家族や仕事への影響まで恐れるのか、その理由だった。




