生徒会室へ
週明けの月曜日、俺が教室で教科書を机へ入れていると、担任から廊下へ呼ばれた。手には、先週預けた設立申請書がある。
「職員会議で認められた。山府研究部の顧問は、俺が担当することになったよ」
顧問氏名の欄には、担任の名前が記入され、その横に印が押されていた。先週まで残っていた最後の空欄が埋まっている。
「ありがとうございます」
「活動内容について、大きな問題はなかった。個人の生活を記録する以上、本人の同意を得ながら進めることと、集めた資料を丁寧に扱うこと。この二つは忘れないように、という確認はあったよ」
「分かりました」
これまでの聞き取りでも、活動の目的を説明し、本人の了承を得ている。写真を撮る場合にも、その都度確認していた。今後も同じように進めれば、設立準備中の活動を止める必要はないらしい。
「その辺りの細かな決まりは、活動しながら一緒に考えよう。今日の放課後、生徒会室へ提出してくれば、設立申請は完了だ」
担任は書類を上から順番に確認する。
「生徒会で審議されている間も、設立準備は続けて構わない。校内で記録を整理したり、次の活動について話し合ったりしていいそうだ」
「校外での活動もできますか?」
「今までと同じように協力してくれる生徒の了承を得て、今度からは私に参加者と行き先を先に知らせてくれれば大丈夫だよ」
それなら、湯田さんと星君の見学も予定どおり進められる。
「次の活動日は、もう決まっているのか?」
「これから全員の予定を確認します」
「決まったら教えてくれ。俺が同行する必要がある場所なら、早めに予定を空けておきたいからね」
「分かりました」
担任は設立申請書と年間活動計画書を俺へ渡す。ようやく書類が完成した安堵で、その日の授業はあまり集中できなかった。
昼休み、渡部君が弁当を持って向かいの席に腰を下ろす。
「今朝のって、部活の申請?」
「ああ。顧問が決まった」
「先生が引き受けてくれたんだ」
「今日の放課後、生徒会へ出してくる」
「随分早く進んだね」
渡部君は驚きながらも、申請書を見せて欲しいとは言わなかった。
「最初に話してた時は、まだ三人だっただろ?」
「昨日までに五人揃ったからな」
「雪白さんと大竹さんまで入るとは思わなかったよ」
俺も同じだった。
「相田君たちが何をしているのか、少しずつ周りにも伝わってきたんじゃないかな」
「そうだといいけど」
「少なくとも、何をするか分からない集まりではなくなったと思うよ」
渡部君はなぜか嬉しそうにニコニコしながら弁当を食べる。
俺はスマートフォンを出し、紬へメッセージを送った。
『顧問、決まった。先生が引き受けてくれる』
すぐに既読がつく。
『分かった』
少しして、もう一通届いた。
『放課後、そっちに行く』
室井君、雪白さん、大竹さんにも、放課後に集まることを伝える。全員から参加できると返事が来た。申請書を透明なケースへ戻そうとしたところで、大竹さんから新しいメッセージが届く。
『申請書を入れるものは、わたくしが用意いたしますわ』
既にケースへ入っている。そう返そうと思ったが、どうせ放課後には持ってくるだろう。俺は申請書が折れていないことだけを確認し、鞄の奥へしまった。
放課後。
五人は、再び俺の教室へ集まった。紬と室井君が先に来て、雪白さんは自分の席から椅子を運んでくる。最後に現れた大竹さんは、鞄とは別に紺色の書類ケースを抱えていた。
表には、金色の文字で書かれた紙が挟まれている。
『山府研究部設立申請書』
「本当に用意したんだな」
「もちろんですわ」
大竹さんは書類ケースを机へ置く。
「学校へ正式に提出する書類ですもの。相応の扱いが必要でしょう?」
俺は鞄から、透明なケースに入れた申請書を取り出した。
「これでも十分だと思うけど」
「透明なケースでは、中身が見えてしまいますわ」
「見られて困ることは書いてないぞ」
「ですが、提出前の大切な申請書です」
大竹さんの言っていることは、完全に間違っているわけではない。申請書を保護する役目は果たしているため、紺色のケースへ移すことにした。
大竹さんは中身を確認し、留め具を閉じる。
「これで万全ですわ」
「生徒会室まで運ぶだけだけどな」
「その短い道のりで、何も起こらないとは限りませんもの」
何か起こるような距離ではない。ただ、大竹さんが満足したのなら、それでよかった。
五人で教室を出る。廊下を進み、階段を一階分下りる。申請書は俺が持っている。
途中で大竹さんが何度かケースを見たが、自分に持たせろとは言わなかった。
代表者が提出するものだと理解しているらしい。
生徒会室の前へ着く。
扉の横には、生徒会役員の名簿と、今月の会議予定が掲示されていた。
俺は扉をノックする。
「どうぞ」
中から返事が聞こえた。
「失礼します」
扉を開けると、数人の生徒が机に書類を広げていた。正面の机に座っていた男子生徒が、こちらへ顔を向ける。
「何か御用ですか?」
「新しい部活動の設立申請に来ました」
そう伝えると、男子生徒は手元の書類を置いて立ち上がった。
「申請書を確認します。こちらへどうぞ」
案内された机まで進む。
俺は紺色のケースから設立申請書と年間活動計画書を取り出した。男子生徒は、ケースの表に入っている金文字を一度見た。その視線が、少しだけ大竹さんへ向く。
大竹さんは何も言わず、落ち着いた様子で立っていた。男子生徒は申請書を受け取る。最初に顧問の署名と印を確認し、続いて所属予定者の人数を数えた。
「五人。設立に必要な人数は揃っていますね」
俺達の名前を上から順番に確認する。
最後まで見た後、活動目的へ進んだ。
『歴史資料を作る』という部分で、男子生徒の指が止まる。
「山府研究部という名称ですが、歴史部や地理部とは、どのように活動を分ける予定ですか?」
担任から言われたとおりの質問だった。俺は、二つの部を見学した時に確認した内容を説明する。
「歴史部は、既に残されている文献や史料を使って、過去の時代や出来事を研究しています。地理部は、毎年一つの地域を調査対象に選び、地図や統計、現地調査の結果から、その地域の産業や交通、人口、買い物環境などを分析しています」
男子生徒が活動内容へ目を移す。
「山府研究部も、現地で聞き取りや観察を行うのですよね?」
「はい。ただ、調べる対象と、最終的に作るものが違います」
俺は、活動目的の文章を指した。
「山府研究部が記録するのは、そこで暮らしている一人ひとりの日常です」
「具体的な例を挙げて貰えますか?」
「例えば、バスです」
先日の放課後案内を思い出す。
「地理部なら、路線や運行本数、利用者数、地域ごとの利便性などを調べると思います」
男子生徒は頷き、続きを待つ。
「山府研究部が記録するのは、地元の生徒が観光客の多い路線を避けることや、普段は別の停留所を使っていることです。なぜその行動を選ぶのか、それを本人がどのくらい当たり前のことだと思っているのかも残します」
「そのような個人の経験を、歴史資料として残すのですか?」
「はい。山府研究部は、今の暮らしを記録して、将来、現在の山府を調べる時に使える史料を作ります」
「過去を研究する部と、現在を記録する部という違いですか?」
「そうです」
男子生徒は、俺の説明を用紙へ短く書き留めた。
「分かりました。活動の目的は、他の二つの部と分けられていると思います」
その言葉に少し安心する。少なくとも、既存の部と活動が重なるという理由だけで、申請を受け取って貰えないことはなさそうだ。
男子生徒は、主な活動内容を確認する。
「個人の生活に関わる内容を扱うのですね」
「はい」
「本人の許可を得て活動することと、記録を丁寧に扱うことは、顧問の先生とも確認して下さい」
「分かりました」
それ以上、細かな方法までは尋ねられなかった。ここは申請書を受け付ける場であり、活動内容を最終的に判断する審議ではないらしい。
男子生徒は、活動日と活動場所へ進む。
「部としては平日の毎日活動し、校外での調査は週に一、二回。それ以外の日は校内で記録を整理するのですね」
「はい。全員が毎日参加する形にはしません。それぞれの予定に合わせて役割を分担します」
「活動場所は、校内と山府市内、必要に応じて市外」
男子生徒は、最後に申請書全体を確認した。
「記入漏れはありません。顧問の署名と、設立に必要な人数も揃っています」
机の引き出しから、小さな印を取り出す。
朱肉へ押しつけ、申請書の右上へ下ろした。
乾いた音がする。
受付欄に、赤い『受付』の文字が残った。
「申請書を受理しました」
男子生徒が言う。
「今後、生徒会で活動内容を審議します。結果は顧問の先生を通して連絡します。それまでは、設立準備中の団体として活動して下さい」
「ありがとうございます」
俺が頭を下げる。
紬、室井君、雪白さんも続いた。大竹さんも丁寧に礼をする。提出した申請書は、そのまま生徒会の手元へ残った。大竹さんが用意した紺色のケースだけが返される。
生徒会室を出ると、大竹さんは空になったケースを見た。
「申請書を置いてきてしまいましたわ」
「提出したんだから当然だろ」
「分かっております。ただ、少し寂しく感じただけです」
設立申請書のために用意したケースである。一度運んだだけで空になれば、そう感じるのかもしれない。
「審議で何か追加の書類が必要になったら、また使えるよ」
俺が言うと、大竹さんは顔を上げた。
「では、大切に保管しておきますわ」
「追加がない方が手続きは順調だけどな」
「その場合は、設立申請を無事に送り届けた記念として保管いたします」
どちらに転んでも、ケースを捨てるつもりはないらしい。
その横で、紬が手帳を開く。
「何を書いてるんだ?」
「設立申請、受理」
紬は短い一行を書き、その下に今日の日付を添えた。
「次は、審議の結果を待つだけか」
「待っている間も、設立準備は続けて良いと言っていたわ。次の放課後案内について決めましょう」
「小夜さんと時彦君は、明日の放課後なら大丈夫」
紬が言う。
既に二人の予定を確認していたらしい。
「案内役の方も、明日で問題ございませんわ」
大竹さんが続ける。
「見学者が二名加わることも、説明しております」
「案内してくれるのは、誰なんだ?」
「杉原真帆さんですわ。漫画研究部に所属している一年生です」
以前、大竹さんが連れてきた九人へ聞き取りをした時にも、短時間ながら話を聞いている。休日や部活動のない放課後には、漫画研究部の友人と駅の近くへ遊びに行くと答えていた生徒だった。
「杉原さんには、何を頼んだんだ?」
「普段、御友人と立ち寄る場所を案内していただけないかとお願いしました」
「杉原さんは、それで引き受けてくれたのか?」
「はい。面白そうですから、と」
案内役の了承も得られている。後は参加する部員を決め、担任へ予定を伝えればいい。
「明日、参加できる人は?」
「私は行く」
紬が答える。
雪白さんも続いた。
「私も予定は空いているわ」
室井君は首を横へ振る。
「明日は稽古がある。申し訳ないが、参加できない」
「わたくしも、以前から決まっていた家の予定がございます」
大竹さんも不参加だった。
「参加する部員は、俺と紬と雪白さんだな」
「見学者が、小夜さんと時彦君」
紬が付け加える。
「杉原さんを含めて、六人ね」
雪白さんが人数を確認した。
俺は手帳を取り出し、担任へ伝える内容を書き留める。
「行き先の詳しい順番は、杉原さんが当日に教えて下さるそうですわ」
「なら、分かっている範囲だけ先に先生へ伝えておくよ」
明日の活動は、設立準備中の二度目の放課後案内になる。今回は、俺達が記録するだけではない。湯田さんと星君が、その活動を見学する。
自分達にとってもそうだが、見学者にも、実りのある活動になればと思った。




