渡部弘人
そんなある日の昼休み。
食堂へ向かおうと席を立ったところで、後ろから名前を呼ばれた。
「相田君、今いい?」
振り返ると、立っていたのは、同じクラスの男子生徒だった。整った顔立ちに細いフレームの眼鏡。誰か一人と行動している印象はないが、教室では相手を選ばず話している人。
名前は、渡部弘人。
「渡部君、だよな」
「うん。二週間も同じクラスにいるから、自己紹介はいらないかな」
「話すのは初めてだけどな」
「それについては、少し反省してる」
渡部君は苦笑した。
「正直に言うと、様子を見てたんだ。高校から入ってきた生徒なんて今までいなかったから、どう接すればいいのか分からなくて」
「普通の新入生と変わらないと思うけどな」
「山府の人間は、よそから来た人に慎重なんだよ」
「そんなに警戒しなくても……」
「だから反省してるって」
そう言ってから、渡部君は教室の入口へ目を向けた。
そこには俺を待つ紬が立っている。
「妹さんと昼食?」
「ああ」
「毎日一緒なんだね」
「他に食べる相手がいないからね」
冗談のつもりで答えたが、渡部君はわずかに眉を下げた。どうやら、彼が声をかけてきた理由の一つは、それらしい。
「よかったら、僕も一緒に行っていい?」
「構わないけど」
「ありがとう。それと、もう一つ聞きたいことがあるんだ」
渡部君は俺の机の上にあった、空欄のままの部活動希望調査票を見る。
「相田君たち、まだ部活動を決めてないよね?」
「決めてないというか、決まらないんだ」
俺が答えると、渡部君は意外そうに目を瞬かせた。
「二人とも?」
「ああ。入学してから、いくつか見学して回ってはいるんだけどね」
教室の入口を見る。
待っているだけだった紬は、俺達の話が終わらないと分かったのか、こちらへ歩いてきた。
「紬、同じクラスの渡部弘人君」
俺が紹介すると、紬は渡部君へ小さく頭を下げる。
「相田紬です。よろしくお願いします」
「渡部弘人です。こちらこそ、よろしく」
初対面の相手を前にした紬の声は、普段より少しだけ硬い。渡部君も気付いたのか、それ以上会話を広げようとはせず、俺達と一緒に学食へ向かった。
俺達が学食へ入ると、都合よく席が空くのが見えた。もう食べ終わったのかと見ていると、席を立った生徒が軽く会釈して学食を出ていった。
渡部君はごめんと小さく手をふりながら、あそこに座ろう、と促した。
俺と紬が並んで座り、渡部君が向かいへ腰を下ろす。
「二人は毎日ここで食べてるの?」
「だいたいは」
「教室だと居場所がないから」
紬がトマトグリーンアスパラ(以下略)を食べながら補足する。
周囲にいくつものグループができている中、一人だけ自分の席へ残るのは居心地が悪い。だから昼休みになると、どちらから言い出すでもなく学食へ行くようになった。
渡部君はそれ以上追及せず、購買で買ってきたらしいパンの袋を開けた。
「それで、部活動はどこを見たの?」
「文化部を中心にいくつか。運動部は、見学する前から候補をかなり絞った」
「絞ったというより、全部なくなった」
紬が正確に訂正する。
「二人とも運動は苦手?」
「俺は、人並みより少し下」
「私は、かなり下」
「じゃあ、文化部には、入りたいところはなかったの?」
「活動が悪いわけじゃない。ただ、俺達がやりたいこととは少し違ったんだ」
「なるほど」
渡部君は深く聞き返さなかった。知り合ったばかりの相手との距離を測るのが上手いのだろう。誰とでも話すのに、特定の誰かと一緒にいる印象がない理由が、少し分かった気がする。
「渡部君は、どこの部活なんだ?」
何気なく尋ねると、パンを持つ手が一瞬止まった。
「僕も、まだ決めてない」
「俺達のことを心配してる場合じゃないだろ」
「それはそうなんだけど、僕には少し事情があって」
「事情?」
「大したことじゃないよ。いくつか声はかけて貰ってるから、その中で考えてるところ」
笑顔で答えられたが、それ以上は尋ねない方がよさそうだった。俺達が部活動を決められずにいる理由へ踏み込まなかったのも、自分が詳しく聞かれたくなかったからかもしれない。
やがて予鈴が鳴った。
渡部君は残っていたパンを急いで口へ入れ、袋を畳んで立ち上がる。
「そろそろ戻ろうか」
「そうだな」
教室へ戻る途中、渡部君は俺達に校内のことをいくつか教えてくれた。
購買は朝十時から開店していること。図書室には一般の書店で扱っていない山府の郷土資料が多いこと。中央階段は放課後になると運動部の生徒で混雑するので、西階段を使った方がいいこと――。どれも小さな情報だったが、この学校へ来てから誰かに教えて貰ったものとしては、一番生活に役立ちそうだった。
紬の教室がある廊下へ着くと、渡部君が足を止める。
「それじゃあ、相田さん。また」
「はい。また」
紬は軽く頭を下げ、自分の教室へ戻っていった。
その後ろ姿を見送ってから、渡部君が俺を見る。
「しっかりした妹さんだね」
「そう見えたなら、たぶん猫をかぶってる」
「兄さん」
教室へ入る直前だった紬が振り返る。
聞こえていたらしい。
「悪かった」
「後で覚えてて」
紬はそれだけ言い残し、扉の向こうへ消えた。
渡部君が感心したように頷く。
「仲がいいんだね」
「今のやり取りを見て、そう思うのか?」
「仲が悪かったら、あんな言い方はしないと思うよ」
否定はしなかった。




