入学
山府市は、東北最南端の内陸県、会津県にある観光都市。冬は雪深く、深い山々に囲まれた中心市街地には、巨大な寺社仏閣がそこかしこにあり、歴史的な古い街並みとセットで世界文化遺産に登録されている。市の外れに行くと高原が広がり、スキー場やゴルフ場をはじめとする高級リゾート地となる。
そんな日本有数の観光都市に、俺達の通うことになった学校、山府義塾はあった。
春休み中に引っ越しを終え、急ピッチで入学準備を済ませた俺達双子は、四月第二週の月曜日、揃って真新しい制服に袖を通し、山府義塾の正門をくぐった。
俺の半歩前を歩く紬は、入学案内に挟まれていた校内図を手にしている。春休み中に何度も眺めていたので、もう見る必要はないはずだ。
「カチューシャ、曲がってない?」
「三回目だ」
「兄さんのネクタイの方が曲がってる」
指摘されて確認すると、確かに少しだけ右へ寄っていた。直そうと手をかけるより先に、紬がこちらを向く。慣れた手つきで結び目を中央へ戻すと、何事もなかったように歩き始めた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
正門から校舎までは、桜並木の緩やかな坂道が続いているが、桜はおろか雪が積もっている。
「噂には聞いていたが、ここまで寒いとは」
四月になったというのに昨夜は雪が降っていた。本当にここでやっていけるのか不安になる。
俺達と同じ制服を着た新入生が大勢その坂を上っていた。ただし、その雰囲気は俺達が想像していた入学初日とは少し違う。あちこちから聞こえてくるのは、自己紹介ではなかった。
「久しぶり」
「クラス、同じだといいね」
「またよろしくね」
山府義塾は中高一貫校である。周囲を歩いている新入生の大半は、つい先月まで同じ敷地内の中学校へ通っていた。制服こそ高校のものへ変わっているが、友人関係まで新しくなったわけではないらしい。立ち止まって校内図を確認しているのは、俺達くらいだった。
山府義塾では、高校へ進む際に内部進学者が数人抜けたため、今年初めて、その欠員を補う外部募集が行われた。つまり、この学校にとって俺と紬は、学校の長い歴史の中で初めて外部から高校へ入った二人ということになる。
入学式を終えたあと、俺と紬は別々の教室へ向かった。俺は特進クラス。紬は一般クラスだ。昇降口から途中までは同じ方向だったが、中央階段の前で行き先が分かれる。
「昼休みは学食に行ってみよう。俺が迎えに行くよ」
「大丈夫。一人で行ける」
「迷わない?」
紬が無言で校内図を持ち上げる。ショッピングモールの案内図を集めるのが趣味の人間にする質問ではなかった。
「俺の方が迷ったら、連絡する」
「分かった」
紬は小さくうなずき、人の流れに交じって教室へ向かっていった。何度か後ろを振り返っていたが、そのたびに俺と目が合うと、何もなかったように前を向く。
心配しているのは、お互いさまだった。
俺の教室では、すでにほとんどの生徒が誰かと話していた。座席表を確認して自分の席へ向かう間にも、いくつもの視線がこちらへ集まる。敵意があるわけではない。ただ、見慣れないものを確かめるような目だった。
担任が入ってくると、簡単な説明のあと、俺だけが教壇の前へ呼ばれた。
「今年、初めて高校の外部募集を行ったのは知っていると思うが、相田はその第一号だ。みんな、分からないことがあったら教えてやってくれ」
教室中の視線が、一斉に俺へ向く。もう少し目立たない紹介をしてほしかった。
「相田司です。神奈川県の湘南市から来ました。山府へ来たばかりで、まだ分からないことが多いですが、よろしくお願いします」
無難に挨拶を終えると、教室から拍手が起こった。ホームルームが終わった直後には、近くの生徒が何人か話しかけてきた。
湘南の海は家から見えたのか。神奈川でも富士山は見えるのか。どうして引っ越してきたのか。雪は見たことがあるのか――。
質問には一通り答えた。
話しかけてきた生徒たちも、感じの悪い人間ではなかった。俺が教科書を受け取る場所を尋ねれば丁寧に教えてくれたし、なんなら付いてくればいいと声をかけてくれた。
ただ、会話はそれ以上続かなかった。休み時間になると、彼らは昔からの友人のところへ戻っていく。中学時代の教師や行事、共通の知人の話が始まれば、俺に入れる余地はない。
昼休みには、合図でもあったかのように机がいくつもの島へ組み替えられた。その動きに迷いがない。誰がどこへ座るのか、初めから決まっていたのだろう。
俺は机を動かす必要がなかった。
紬へメッセージを送る。
『そっちはどう?』
少しして、短い返事が届いた。
『生きてる』
『友達は?』
今度はなかなか返ってこなかった。
やがて、教室の扉が開き、紬本人が顔を出した。
「兄さん、迎えに来るって言ってたのに」
「俺が迷うかもしれないから」
二人で学食へ移動し、空いていた席に腰を下ろす。ネットの情報によると、ここの学食はトマトグリーンアスパラガスカレーが名物らしい。呪文のような名前のカレーを注文し、紬にクラスの様子を尋ねた。
「クラスはどう?」
「すごく熱心に話しかけてくれる人がいた」
「もう?」
「大竹華恋さんって人」
「どんな人?」
紬はスプーンを持ったまま、しばらく考える。
「声が大きい」
「ほかには?」
「髪がきれい」
「うん」
「距離が近い」
最後の一つだけ感想の種類が違った。
「何を話したんだ?」
「『あなた、高校からいらした相田さんですわね?』って」
紬が、声だけ少し高くして再現する。
「それから、湘南のことをいろいろ聞かれた」
「普通の会話じゃないか」
「途中で人が増えた」
「大竹さんの友達?」
「分からない。みんな、後ろに並んでた」
話を聞く限り、友達というより取り巻きに近い気がする。
「それで、どうした?」
「次の教室へ行った」
「次もホームルームだろ」
「遠回りして戻った」
どうやら逃げたらしい。
それでも、初日から話しかけてくれた人がいたのなら、俺より順調なのかもしれない。
しかし、次の日になっても、その次の日になっても、俺達の状況はあまり変わらなかった。
露骨に無視されるわけではない。話しかければ答えてくれるし、困っていれば助けてくれる。しかし、向こうから俺達を既存の輪へ入れようとはしなかった。
紬に関しては、相変わらず大竹さんから逃げ回っているらしい。
こちらも、何年もかけて作られた関係の中へ、強引に割り込めるほど社交的ではない。結果として、昼休みは双子で過ごし、放課後は二人で部活動を見学してから帰宅する生活が続いた。
その間に、山府義塾が少し変わった学校であることも分かってきた。まず、武道系の部活動がやたらと多い。
剣道部、柔道部、弓道部、空手道部。そこまでは分かる。しかし、その他の○○道部を数えると、全部で十八種類もあった。しかもそれが男女で別れていて、さらに「選抜」がつく場合もある。中には聞いたことのない競技まであった。
次に、同じ名字の生徒が多い。廊下で誰かが「渡部」と呼べば、その場所にいる五、六人ほどの生徒が一斉に振り返る。掲示物に並ぶ名字にも、見覚えのあるものが何度も出てきた。
さらに、校内ではときどき「六家」という言葉を耳にした。
「あの方は六家だから」
「六家の人に頼むわけには」
そんな会話が、毎日当たり前に交わされている。誰のことを指しているのかも、なぜ特別扱いされているのかも分からない。
分かるのは、その言葉が出た途端、周囲の声が少しだけ小さくなることだけだった。入学から二週間が過ぎても、俺達は山府にも、山府義塾にもなじめないままだった。




