申請書を書く
机の中央に置かれた設立申請書。用紙には、団体名、代表者、活動目的、主な活動内容、活動日、活動場所、所属予定者、顧問氏名などの欄が並んでいた。
そのうち、団体名だけは既に記入されている。
『山府研究部』
問題は、その下に並ぶ空欄だった。
「これ、全部決めるのか」
俺が申請書を持ち上げる。
「設立を申請する以上、必要でしょうね」
雪白さんが答えた。
「目的と内容が曖昧なままでは、学校も判断できないわ」
「まずは上から順番に決めればいい」
室井君が申請書を指す。
最初に団体名があり、その次に代表者の欄があった。
「代表者って、部長だよな」
「そうだと思う」
紬が答える。
俺は机を囲む四人を見回した。
「誰かやりたい人いる?」
誰も手を挙げなかった。
紬は申請書を見たまま動かない。室井君も腕を組んだまま黙っている。雪白さんは、最初から立候補するつもりがないらしい。大竹さんだけが姿勢を正したので、手を挙げるのかと思った。しかし、その手は膝の上に置かれたままだった。
「華恋さんはやらないの?」
紬が尋ねる。
「わたくしには、人をまとめる役目は向いていません。それに、設立初日に代表の座を奪うような振る舞いは、美しくございませんもの」
「誰から奪うんだ」
大竹さんは俺を見る。
他の三人も、同じようにこちらを見ていた。
「え、どうして俺を見るんだ?」
「今まで、兄さんが主体的に話をまとめてたから」
紬は、当然でしょと言わんばかりに話す。
「担任と相談していたのも相田殿だ」
室井君も、紬を援護する。
「活動を始めた経緯を最もよく把握している。代表者として問題はないと思う」
雪白さんも反対しなかった。
最後に大竹さんが片手を上げる。
「では、採決を行いますわ! 司さんを部長に推薦する方は、挙手をお願いいたします!」
「今から採決するのか?」
俺の言葉を無視して、四人の手が上がった。
大竹さんが満足そうに人数を数える。
「賛成四名。満場一致ですわ!」
「俺はまだ賛成してないけど」
「司さん以外の全員が賛成しておりますもの」
「五人中四人だろ」
「御本人が御本人へ投票なさるのは、公平ではございませんわ」
公平って、何だろう……
俺は申請書へ目を落とした。部長になりたいわけではない。ただ、この活動を始めたのは紛れもなく俺だった。なら、最後まで責任を持とう。
「……分かった。俺がやる」
「これで本当の満場一致ですわね!」
大竹さんが明るく宣言する。
「さっきの満場一致は何だったんだ」
「暫定的な満場一致ですわ!」
満場一致にも種類があるらしい。
紬はそのやり取りを気にせず、代表者の欄へ俺の名前を書き込んだ。
『相田司』
自分の名前が申請書へ記されると、急に責任だけが形になったように見える。
「副部長は決めなくていいのか?」
室井君が尋ねる。
申請書を確認するが、それらしい欄はない。
「設立申請には必要ないみたいだな。必要になったら、正式に部として認められてから決めよう」
「承知した」
室井君はそれ以上こだわらなかった。
大竹さんが申請書をのぞき込む。
「わたくしは当面、無役ということでしょうか」
「全員そうだよ」
「設立部員という、名誉ある立場はございますわね!」
「それは役職じゃない」
「ですが、後世に残りますでしょう?」
話が大きくなり始めたところで、雪白さんが申請書の次の欄を指した。
「代表者は決まったわ。次へ進めましょう」
そこには、『活動目的』と書かれている。
「山府で暮らす人の日常を調べる、じゃ駄目なのか?」
俺が言うと、雪白さんは首を横へ振った。
「それは活動内容でしょう。何のために調べるのかが抜けているわ」
「何のために調べるのか、か」
俺は、机に並べた写真へ目を向けた。山府で暮らす人の日常を知りたいと思った理由は、はっきりしている。母の次回作に必要な資料を集めるためだ。
そのまま書けば、話は早い。
「相田カノン先生の次回作へ、資料を提供するためではいけませんの?」
大竹さんも同じことを考えたらしい。
「学校の部活動を、母さん専用の資料収集班にはできないだろ」
「専用でなければよろしいのですか?」
「他の漫画家にも提供するって意味じゃないからな」
「そうなのですか」
大竹さんは少し残念そうだった。何を期待していたのだろう。
昨日の放課後案内で集めた記録には、漫画の資料として使えそうなものがいくつもあった。
どれも本人達にとっては、わざわざ説明するほどのことではない、普段から繰り返している、ごく普通の生活だった。だからこそ、観光案内には載らない。自治体の統計にも表れない。
「誰も書かなかったら、残らない」
紬が写真を見ながら言う。
その言葉で、歴史部を見学した時のことを思い出した。歴史部は、昔の文書や地図、写真、新聞記事などを調べていた。どの史料も、当時の誰かが残したものだ。
記録した本人にとっては、後世へ伝えるほど重要なものではなかったかもしれない。それでも残っていたからこそ、今の俺達が過去の山府を知る手がかりになっている。
「歴史部は、残された記録から昔の山府を調べてた」
紬は、一つ一つ言葉を並べていく。
「だったら、私たちは今の山府を記録する。何十年か後に、今の暮らしを調べられるように」
俺はすぐには答えず、机に並ぶ写真を順番に見た。
「過去を調べるのではなく、今を記録するということか」
「うん。地理部や歴史部と扱うものが重なることはあっても、目的は分けられると思う」
地理部は、山府全体の概要を調査している。歴史部は、残された史料から過去を調べる。俺達が記録するのは、今ここで暮らしている人達の日常だ。
観光客には見えにくく、暮らしている本人も残そうとは考えないようなもの。それを継続して集めれば、その時代の山府でどのような生活が営まれていたのかを、後から辿れる資料になる。
「部活動の目的としては、成立すると思うわ」
雪白さんが言った。
「では、活動目的には何と書きますの?」
大竹さんが申請書を見る。
「今の話を、そのまま全部書くには欄が狭いですわ」
紬は申請書を自分の前へ引き寄せた。しばらく空欄を見つめてから、文章を書き始める。
『統計や観光資料には残りにくい、現在の山府で暮らす人々の日常や土地に対する感覚を継続的に記録し、後からその時代の山府の暮らしをたどることのできる歴史資料を作る』
書き終えると、紬は申請書を机の中央へ戻した。
大竹さんは、『歴史資料』という言葉を見つめている。
「わたくしたちの活動が、いずれ歴史になるのですわね」
「残した記録が、だろ」
「同じことではございませんの?」
「華恋さんが言うと、私たちが歴史を動かすみたいに聞こえる」
紬が淡々と指摘する。
大竹さんは少し考え、声を抑えて言い直した。
「では、静かに歴史を残しますわ」
意味不明だがとりあえず、山府研究部が何のために活動するのか、ようやく言葉になった。
その後、これまでの活動実績を基に、『主な活動内容』『活動日』『活動場所』『所属予定者』を決めていく。
「個人の生活を扱う以上、本人の同意を得ることと、残したくない情報は記録しないことも明記した方がいいわ」
雪白さんのもっともな指摘を、紬が活動内容の欄へ書き加えた。
「そういえば、年間活動計画書っていうのもなかったっけ」
嫌なことを思い出し、紬へ確認する。
「ある。それも作成する」
「まじか……」
書類との格闘は、夕暮れ時になっても終わらなかった。




