小さい神社
商店街の終わりが近づくと、観光客の数も少しずつ減っていった。芳賀さんは表通りから離れ、住宅のある方へ向かう細い道へ入った。俺達もあとに続く。
「もう一か所だけ寄ってもいい?」
芳賀さんが道の脇に見える小さな屋根へ目を向ける。
「神社?」
紬が尋ねる。
「うん。すぐそこだから」
芳賀さんは帰り道を一本外れた。古い建物の間を抜ける細い道へ入る。車が通れるほどの幅はなく、石塀と家の裏手に挟まれていた。その先に、小さな鳥居が見えてくる。
鳥居の向こうには短い石畳があり、奥に古い社が建っている。境内は、周囲の住宅二軒分ほどしかなかった。山御杜へ続く大通りの人混みとは違い、観光客の姿もない。
土産物店も、案内板も見当たらなかった。
「ここも山御杜なの?」
紬が鳥居を見上げる。
「山御杜に属する社の一つ。観光案内にはほとんど載ってないけど」
「山御杜の近くじゃないのに?」
「こういう小さな社が、市内にいくつもあるんだよ」
紬が手帳を開く。
「全部、山御杜?」
「全部ではないと思う。でも、ここはそう」
芳賀さんは休日に近所の神社を巡っている。
聞き取りの時に出てきた話だった。
「今日は参拝するのか?」
「今日はしないよ。材料を持ってるし、家にも早く帰らないといけないから」
芳賀さんは抱えている紙包みを見る。
「でも、ここも普段通る場所だから、見せておこうと思って」
いつも寄る場所だからといって、毎回参拝するわけではないらしい。帰り道から少し外れたところにあり、時間がある日や休日に立ち寄る。
それも本人にとっては、普段の過ごし方の一つだった。
「山府には、山御杜だけではないのですね」
大竹さんが境内を眺める。
「華恋さんも知らなかったの?」
紬が尋ねる。
「もちろん、山府に多くの神社があることは存じております!」
「ここは?」
「本日、初めて拝見しましたわ!」
予想どおりの答えだった。
「ですが、知らなかった場所を知ることも、研究の大切な成果です!」
「それは合ってる」
「では、わたくしの無知も研究に貢献したということですわね!」
「そこまでは言ってない」
大竹さんは聞かなかったことにしたらしく、鳥居の前で姿勢を正した。
一礼してから境内へ入ろうとする。
「参拝しないんじゃなかったの?」
「鳥居を前にして、御挨拶もせず通り過ぎるわけにはまいりませんわ!」
「通り過ぎるんじゃなくて、見るだけだけど」
「でしたら、拝見する御挨拶をいたします!」
何の挨拶なのかは分からない。それでも大竹さんが鳥居をくぐる前に頭を下げると、紬もそれに続いた。俺も軽く一礼する。芳賀さんは慣れた様子で最後に鳥居をくぐった。
境内へ入ると、外の道より少しだけ空気が静かに感じられた。住宅に囲まれているため、特別に森が深いわけではない。大きな社殿も、広い参道もない。境内の端には掃除道具がまとめて置かれ、手水鉢には新しい水が張られている。人の姿は少ないが、放置されている場所ではなかった。
「近所の人が管理してるの?」
俺が尋ねる。
「掃除は当番でしてるみたい。うちも町内会で回ってくるって言ってた」
「家も関わってる?」
「掃除だけ。神社のことは詳しく知らないよ」
芳賀さんは、知っている範囲だけを答えた。紬もそれ以上は尋ねず、手帳へ短く書き込む。
俺は鞄に入れたカメラへ手を伸ばしかけ、やめた。神社だから撮れないわけではない。ただ、誰が管理しているのかも、撮影して良い場所なのかも分からない。今日の目的は写真を増やすことではなかった。
「撮らないのですか?」
大竹さんが気付く。
「許可を取ってないから。撮る必要があるなら、管理してる人を調べてから来ればいい」
大竹さんが深く頷く。
「相変わらず、慎重でいらっしゃいますわ!」
「普通だよ。普通を積み重ねることが、研究には大切なんだと思う」
大竹さんは大きく頷き、感心していた。
「研究の心得ですわね!」
俺が返事に迷っていると、鳥居の前にいた芳賀さんが足を止めた。境内には、先客が二人いた。山府義塾高校の制服を着た男女だった。
女子生徒は小さな社の脇に立ち、何かを確認するように石垣を見ている。長い黒髪を後ろで結び、姿勢を崩さず立っていた。その少し後ろでは、体格の大きな男子生徒が薄い帳面を開いている。
大竹さんが先に二人へ気付いた。
「小夜さん、時彦さん。ごきげんよう!」
呼びかけられた女子生徒が、ゆっくりと振り返る。
「ごきげんよう、華恋さん」
穏やかな声だった。
女子生徒は大竹さんへ答えた後、その隣にいる紬を見る。
「紬さんも、御一緒でしたか」
「うん。こんにちは」
紬と同じクラスだったらしい。教室で挨拶を交わすことはあっても、こうしてきちんと話すのは初めてだという。
視線が俺へ移る。それに気付いた大竹さんが、すぐに一歩前へ出た。
「こちらは紬さんの双子のお兄さまで、司さんですわ。山府研究部をまとめていらっしゃいますの!」
「相田司です。よろしく」
「湯田小夜と申します。よろしくお願いいたします」
湯田さんが丁寧に頭を下げる。俺も同じように頭を下げた。続いて、後ろにいた男子生徒が帳面を閉じ、こちらへ歩いてくる。近くで見ると、かなり背が高い。
体格もよく、表情も引き締まっている。
「星時彦です」
星君は俺へ頭を下げた後、紬を見る。
「相田さんとは、同じクラスです」
「紬のクラスメイトなんだな。よろしく」
「はい。よろしくお願いします」
声は低いが、言葉遣いは穏やかだった。
外見から想像したような威圧感はない。
「皆さんは、こちらへ参拝にいらしたのですか?」
湯田さんが尋ねる。
「本日は、山府研究部の活動ですわ!」
大竹さんが待っていたように答える。
「山府で暮らす高校生の、普段の帰り道を記録しておりますの。こちらの芳賀さんに案内していただいています!」
大竹さんは案内役の芳賀さんを示した。
湯田さんの視線が、芳賀さんの抱えている平たい紙包みへ移り、続いて手にした総菜店の紙袋を見る。
「そのお買い物も、記録なさるのですか?」
「家の手伝いの日に、いつもしてることだから」
湯田さんが紬を見る。
「特別な場所より、いつもしてることを見たい」
「普段のことを、ですか」
湯田さんは、その言葉を確かめるように繰り返した。
「うん。観光案内には載ってないこと」
湯田さんは芳賀さんの紙包みと、紬の手帳をもう一度見比べる。
「なるほど。山府に住む方の生活を、調べていらっしゃるのですね」
「俺達は引っ越してきたばかりで、山府のことを何も知らないからな」
「司さんと紬さんは、今年から山府へいらしたのでしたね」
「そうですわ! ですから、わたくしたちが山府の素晴らしさをお伝えしております!」
「大竹さんも、さっき初めて知った場所があっただろ」
「共に学んでおりますの!」
大竹さんは言い切った。
湯田さんが口元をわずかに緩める。大竹さんの言葉に慣れているらしい。
星君は俺の持っている鞄を見る。カメラの一部が、鞄の口から見えていた。
「こちらも撮影なさるのですか?」
「いや、撮っていいか分からない場所では、撮らないことにしてる」
「そうですか」
星君は短く答えた。
表情はほとんど変わらない。それでも、わずかに肩の力が抜けたように見えた。星君が気にしていたのは、俺達が神社を勝手に撮影することだったのかもしれない。詳しく尋ねることはしなかった。
代わりに俺は、星君が持っている帳面を見た。湯田さんの手元にも、小さな紙が何枚かある。
「二人も、何か調べてたの?」
星君が湯田さんを見た。湯田さんが小さく頷く。
「少し、確認することがありましたので」
星君が答えるが、それ以上の説明はなかった。俺も、初対面の相手へ詳しい事情まで尋ねるつもりはない。
「そうか」
短く返すと、星君も一度だけ頷いた。大竹さんは何か聞きたそうに二人を見ていたが、口は開かなかった。一応、いろいろ考えてはいるらしい。
境内に、短い沈黙が落ちる。
星君が腕時計を見た。
「小夜。そろそろ戻りませんと、次の予定に遅れます」
「もうそのような時間でしたか」
湯田さんも自分の時計を確認する。
「ここから歩いて十五分ほどかかります」
「そうでしたね」
二人には、この後にも予定があるらしい。
湯田さんは俺達へ向き直った。
「申し訳ありません。私たちは、これで失礼いたします」
「引き止めて悪かった」
「いいえ。お話しできて、うれしく思います」
湯田さんは紬を見る。
「また学校でお会いしましょう」
「うん。また明日」
星君も軽く頭を下げる。
「お先に失礼します」
「またな」
二人は並んで鳥居へ向かう。湯田さんが先に一礼し、星君も続く。鳥居を出た後、星君は歩きながら帳面を開いた。湯田さんへ何かを確認し、二人の姿は住宅の間へ消えた。
「お忙しそうですわね」
大竹さんが言う。
「大竹さんも家の予定は多いんじゃないのか?」
「本日は、山府研究部の活動を最優先しております!」
「今日の話じゃなくて」
「もちろん、わたくしにも多くの予定がございます!」
その答えだけは、迷わなかった。
紬は二人が消えた道を見ている。
「小夜さんと時彦君、いつも一緒にいる」
「そうなの?」
「教室でも、移動する時はだいたい二人」
大竹さんも頷く。
「小夜さんと時彦さんは、幼い頃から御一緒に行動することが多いのです」
「今日も二人で何か確認してたみたいだな」
俺は先程星君が閉じた帳面を思い出す。何を調べていたのかは分からない。
二人の姿が住宅の間へ消えてから、芳賀さんが小さく息を吐いた。それまで抱えていた紙包みを、少しだけ持ち直す。
大竹さんが首をかしげた。
「どうかなさいましたの?」
「ちょっと緊張しただけ」
「なぜ緊張なさるんです?」
「だって、湯田さんと星君だよ」
芳賀さんは、当然のことを話すように答えた。
「同じ学校の一年生ではありませんの」
大竹さんは、訳が分からないと言いたそうだ。
「大竹さんも六家だから、そう言えるんだよ」
「家のことと、学校でお話しすることは別でしょう?」
大竹さんにとっては、本当にそれだけのことらしい。芳賀さんは、何か言い返そうとしてやめた。大竹さん本人に六家として見る側の感覚を説明しても、たぶん伝わらないと思ったのだろう。
俺は気になったことを質問した。
「さっきの二人も六家なのか?」
大竹さんが目を瞬かせた。
「ご存じありませんでしたの?」
「俺はさっき、初めて名前を聞いた」
紬が隣から付け加える。
「同じクラスなのは知ってた。話したのは初めて」
俺は紬を見る。
「同じクラスに、まだ二人いたのか」
「華恋さんも同じクラスだから、三人いる」
「紬のクラス、六家が多くないか?」
「私に聞かれても分からない」
当然だった。クラス分けをしたのは紬ではない。俺は大竹さんへ向き直る。
「湯田家と星家は、何をしてる家なんだ?」
「どちらも山御杜に関わるお家ですわ」
大竹さんはすぐに答えた。
山御杜。全国から大勢の参拝客を集める、日本有数の神社である。山府へ引っ越すことが決まってから、何度も写真や映像を見た。市内の観光案内にも必ず載っている。
「山御杜って、あの山御杜?」
「山府に別の山御杜はございませんわ」
「じゃあ、さっきの二人は、あそこに関わる家の人間なのか」
「はい。湯田家と星家では、担っていらっしゃるお役目が異なりますけれど……」
大竹さんは説明を続けようとした。だが、途中で言葉を止める。珍しく口を閉じたまま、視線を上へ向けた。
何かを思い出そうとしているらしい。
「どうした?」
「どこから御説明すべきか、考えておりますの」
「知ってるところからでいいよ」
「それでは、かえって混乱を招く可能性がございますわ」
自覚はあるらしい。
大竹さんはさらに考え込む。
湯田家。
星家。
山御杜。
いくつかの言葉を小声で並べた後、勢いよく顔を上げた。
「正確に説明しろと言われますと、わたくしは自信がございません!」
「そこは胸を張るところじゃない」
「誤ったことをお伝えするより、分からないと認める方が誠実ですわ!」
「それはそうだけど」
言っていることだけなら正しい。
「小夜さんか時彦さんへ、直接お尋ねするのが一番です」
「さっき聞けばよかったな」
「わたくしも、もっと早く気付くべきでしたわ!」
大竹さんは残念そうに、二人が消えた道を見る。
「学校で聞けばいい。同じクラスだし、次に話す機会があれば、本人に聞いてみる」
紬はこちらへ向き直り、淡々と話す。
「家の役目に関わる話なら、華恋さんから曖昧な説明を受けるより、本人の話せる範囲で教えて貰う方がいい」
確かに。それに、詳しく知りたいからといって、初対面で急に尋ねることでもなかった。
芳賀さんが、抱えている紙包みを持ち直す。
「うちも、山御杜の祭礼が近くなると仕事が増えるよ」
俺は芳賀さんを見る。
「神社から仕事を頼まれるの?」
「直接頼まれることもあるけど、それだけじゃないよ」
芳賀さんは商店街のある方角へ目を向ける。
「祭礼に合わせて、お店が飾りを変えたり、旅館や飲食店が準備を始めたりするから。町全体の注文が増えるの」
「神社と直接関係のない店からも?」
「うん。飾りを新しくしたり、包むものを変えたり。お土産を増やす店もあるし」
「それで、家の仕事も忙しくなるんだ」
「そういう時期はね」
芳賀さんの話を聞いて、俺は前に渡部君から聞いた言葉を思い出した。
六家とまったく関わらずに暮らしている家の方が少ない。
言われた時は随分大袈裟な言い方だと思っていた。
六家の誰かと知り合いになる。家同士で仕事をする。そういう直接的な関係を想像していたからだ。
だが、芳賀さんの家が湯田家や星家から仕事を頼まれなくても、山御杜で大きな祭礼が行われれば、町の店が動く。
旅館が準備を始め、飲食店が必要なものを増やす。商店街の飾りが変わり、その店と取引している家の仕事も増える。
六家の誰かと顔を合わせなくても、六家が担うものは、山府で暮らす人達の生活に繋がっている。
先程まで抽象的だった渡部君の説明が、初めて実際の暮らしと結びついた。
「お店が忙しくなるのは、祭礼の日だけ?」
紬が尋ねる。
「もっと前から。準備があるから」
「どのくらい前?」
「大きな祭礼なら、一か月以上前から注文が増えることもあるって」
紬が手帳へ書き込む。
「終わった後は?」
「片づけや、次の注文もあるから、すぐ元には戻らないよ」
「長い」
「うん。でも、毎年のことだから」
紬の鉛筆がまた動く。
「今の話も使えそう」
紬の言葉を聞き、芳賀さんが少し驚いた顔をする。
「帰り道の案内だったのに?」
「帰り道だから出た話」
「そうなの?」
「教室で聞いても、話さなかったと思う」
芳賀さんは自分が抱えている紙包みを見る。
今日新しく分かったことは、どれも教室での聞き取りでは出てこなかったかもしれない。
実際に帰り道を歩き、紙包みを受け取り、店の人と話したからこそ続いた話だった。
「なるほど。やはり、わたくしが案内役をお願いした判断は正しかったのですね!」
「お願いしたのは大竹さんだけど、案内してくれたのは芳賀さんだからな」
「もちろん、御協力下さったことにも深く感謝しております!」
大竹さんは芳賀さんへ向き直り、丁寧に頭を下げた。
「本日は、貴重な日常を御案内いただき、ありがとうございました!」
「どういたしまして」
芳賀さんは、大竹さんから真っ直ぐお礼を言われて嬉しそうにしていた。
四人は小さな社を出る。
鳥居の前で一礼し、来た道を戻った。住宅地をしばらく歩くと、小さなバス停が見えてくる。学校の近くで使った停留所と同じように、待っている人は少ない。
芳賀さんが時刻表を確認する。
「ここまでで大丈夫?」
「ああ。この先は家に近いんだよな」
「うん。割とすぐそこ」
俺達は、それ以上先へは進まない。
「今日はありがとう」
「こんな帰り道で、本当によかった?」
芳賀さんは最後まで気にしているようだった。
「よかった。学校で話を聞いただけじゃ分からないことが多かったから」
「私も、たくさん書けた」
紬が手帳を見せる。
何ページも使った記録を見て、芳賀さんが目を見開いた。
「そんなに?」
「使えないところは、後で省く」
「全部使われる方が困るよ」
「家の場所や、仕事の詳しいことは書かないから」
「それならいいけど」
芳賀さんの表情が少し緩む。
「それじゃ、また明日」
「ああ。また学校で」
「記録をまとめたら、確認して貰う」
紬が言う。
「分かった。変なことが書いてあったら直すね」
「うん」
芳賀さんは材料の紙包みを抱え直して歩いて行った。
最初の校外活動が終わった。手元に残ったのは、紬が何ページも書いた記録と、俺が撮った数枚の写真。どれも俺達が知っていた山府とは違う。だが、今日案内してくれた芳賀さんにとっては、どれも普段どおりの帰り道だった。
今日は、地理部で説明していたフィールドワークの重要性を実感した一日だった。




