第一回校外活動
集合場所へ向かうと、既に案内役の女子生徒が待っていた。先日の聞き取りに参加してくれた一年生、芳賀理恵さんだ。芳賀さんは俺の持っている小さなカメラを見た後、紬の手帳へ視線を移す。
「本当に、いつもの帰り道を歩くだけでいいんですか?」
「ああ。特別な場所へ案内して貰う必要はないよ」
俺はカメラを持ち上げる。
「写真を撮るのは道だけ。顔や家の近くは撮らない。店の中でも、許可がなければ撮影しない」
紬も手帳を開く。
「書かれたくないことは、その都度指摘して貰えれば消します」
慣れていない相手に向ける時の、丁寧な口調だった。
「約束通り、途中で嫌になったらそこで終わりにしていいから」
俺が続けると、芳賀さんは少しだけ肩の力を抜いた。
「分かりました」
「わたくしからも、昨日全て説明しておりますわ!」
大竹さんが胸を張る。
「写真に写してはならない場所、立ち入ってはならない場所、聞いてはならないこと。全て把握しております!」
「聞いてはいけないことまで決めたのか?」
「もちろんですわ。御家族のお仕事に関わる秘密など――」
「うち、そんな秘密ないけど」
「……では、秘密がないことまで把握しております!」
「今、把握したんだろ」
芳賀さんが困ったように笑う。少なくとも、大竹さんのおかげで緊張は薄れたらしい。
「それじゃ、行こうか」
芳賀さんが歩き始め、俺達三人もその後に続いた。
校門を出ると、正面の大通りには三つのバス停が並んでいた。山御杜行き、駅行き、市内の観光地を巡る循環バス。どの停留所にも長い列ができている。
観光客が案内板を囲み、下校する生徒たちがその間を抜けていく。
道路には次々とバスが入ってきた。一台が停まっている間に、その後ろへ別の一台が続く。
乗客を降ろし終えたバスが出発すると、空いた場所へすぐ次の車両が入った。
「ここから乗るんじゃないの?」
俺が尋ねると、芳賀さんは首を横へ振った。
「学校の前は使いません」
「家へ帰るバスは、ここにも来るんだよな?」
「来ます。でも、観光客と駅へ行く人が多いので」
芳賀さんは三つの列を見比べる。
「放課後は、どれに並べばいいのか分からないくらい混むんです」
「確かに、本日は一段と盛況ですわね!」
大竹さんが感心したように頷く。
「いつもこのくらいだよ」
「まあ!」
同じ学校へ通っているはずなのに、初めて知ったような反応だった。
「華恋さんは、普段どうやって帰ってるの?」
紬が尋ねる。
「迎えの車ですわ!」
「だから知らないのか」
「ですが、山府の交通事情には以前から深い関心を持っております!」
「以前から?」
「たった今からですわ!」
関心の歴史は、始まったばかりらしい。
芳賀さんはバス停へ向かわず、大通りに沿って歩いていく。俺達も人の流れを避けながら、そのあとを追った。
学校前には土産物を入れた紙袋を持つ観光客が多い。車道側では、荷物を積んだタクシーが何台も列を作っていた。
「ここら辺はなんで観光客が多いんだ?」
「お城があるからですよ。鳳城。知りませんか?」
「そういえば観光パンフレットで見たような……」
「現存天守を有する国宝」
紬が補足する。現存天守がどういうものか詳しくは知らないが、国宝になるほど凄いものらしい。
少し歩いたところで、芳賀さんは大通りから細い道へ入る。両側に住宅や小さな店が並ぶ道だった。観光客の姿が急に減り、歩いているのは制服姿の生徒や、買い物袋を持った地元の人が中心になる。大通りの音も、建物に遮られて少し遠くなった。
「こっちに来るんだ」
俺が言うと、芳賀さんが振り返る。
「はい。次の通りにもバス停があるので」
「同じバス?」
「途中までは同じ方向です。でも、学校前を通らない路線もあります」
紬が手帳へ書き込む。
「そっちの方が空いてる?」
「空いてます。来る本数も多いし、だいたい座れます」
学校の正面に停まるバスだけを見ていては、分からない違いがある。観光客は案内図に大きく載っている停留所を使い、駅へ向かう生徒も、乗り換えのしやすい学校前へ集まる。一方で、中心市街地の家へ帰る生徒は、少し歩いて別の路線を選ぶ。
「みんな、行き先で使い分けてるのか」
「そうですね。駅へ行くなら学校の前。家へ帰るなら、こっちを使う人が多いです」
「聞き取りでは、バスで帰るとしか書いてなかった」
紬が言うと、芳賀さんは少し驚いた顔をした。
「そこまで書いた方がよかった?」
「今、分かったから大丈夫」
質問用紙の『バス』という一言だけでは、どの停留所を使うのかも、なぜそこを選ぶのかも分からない。実際に歩いてみて、ようやく普段の帰り道が見えてくる。
俺は住宅の間から大通りが見える場所で、カメラを構えた。画面に入るのは、遠くを走るバスと、手前の細い道だけだ。人の顔や家の表札が写らないことを確認して、シャッターを切る。
芳賀さんが足を止めた。
「今の場所も撮るんですか?」
「学校前の混雑を避けて、この道へ入ることが分かるから」
「普通の道ですよ?」
「普通の道だから必要なんだ」
紬が横から答えると、芳賀さんが首を傾げた。
「そういうもの?」
「普通の道を飛ばすと、登場人物が毎日、観光地だけを通って帰ることになるからな」
「それは、ちょっと変かも」
「うん。変」
紬が真顔で頷く。
母が描こうとしているのは、観光客として訪れる山府ではなく、この街で暮らす登場人物の日常だ。その違いを埋めるには、今歩いているような道の方が役に立つ。
芳賀さんは自分が歩いてきた道をもう一度振り返った。
「本当に、こんなのでいいんだ」
「むしろ、こういうのがいい」
観光案内誌には、観光地への行き方や駅からの移動方法は載っている。だが、地元の高校生が混雑を避けるためにどの道を使うかまでは書かれていない。
住宅の並ぶ道を進むと、小さな停留所が見えてきた。屋根の下に細長いベンチがあり、待っているのは数人だけだった。そのほとんどが、山府義塾高校の制服を着ている。
大竹さんが停留所と学校の方角を交互に見る。
「学校から、思っていたより近いのですね」
「五分くらいだから」
芳賀さんが答える。
「学校前で並んで数本待つより、歩いてこっちに来た方が早いこともあります」
「ですが、皆さんがこちらへ来れば、この停留所も混雑するのではなくて?」
「みんなが同じ方面へ帰るわけじゃないから」
「なるほど。路線ごとに分散しているのですね!」
「別に、みんなで相談して分かれてるわけじゃないよ」
「自然に実現された分散ですのね!」
そりゃあ、みんな同じ方向に行ったら奇妙だ。
紬が停留所の表示を確認する。
「次、三分後。その次は七分後」
時刻表を見ると、夕方は本数が増えるらしく、同じ方面のバスが短い間隔で並んでいる。一本を逃しても長く待つ必要はなく、並んでいる人数を見る限り、次のバスにも全員座れそうだった。
「いつも、この時間?」
「木曜日はそうです。家の手伝いがあるから、寄り道しないで帰ります」
「他の曜日は?」
「友達と商店街へ行くこともあります。今日は途中で少しだけ寄るけど」
紬の鉛筆が止まる。
「寄り道するの?」
「家から頼まれてるものがあるから」
「それも、いつもの帰り道?」
「木曜日は、よく頼まれます」
紬が手帳へ書き足した。ただ家へ帰るのではない。家の仕事を手伝う前に、必要なものを買って帰る。聞き取りで出てきた話が、少しずつ実際の行動になっていく。
やがて、曲がり角の向こうからバスが姿を現した。学校前を通る大型の路線バスより、少し小さい車両だった。停留所にいた生徒たちが立ち上がる。
「来ました」
芳賀さんが定期券を取り出す。バスが停まり、真ん中の扉が開いた。
俺達は芳賀さんのあとに続いて乗り込んだ。車内には空席が残っている。芳賀さんと大竹さんが二人掛けの席へ座り、俺と紬はその後ろへ並ぶ。
「本当に座れましたわ!」
大竹さんが驚いたように車内を見回す。芳賀さんが振り返った。
「そこまで疑われてた?」
「疑ってなどおりませんわ! 実際に確かめられた喜びを表しているだけです!」
「その喜び方だと、完全に疑ってたように聞こえるぞ」
「現地調査とは、案内役を信用するだけでは成立しませんもの!」
「言い直すほど悪くなってる」
芳賀さんが吹き出す。大竹さんとしては、研究部らしいことを言ったつもりなのだろう。
バスがゆっくりと発車する。住宅の並ぶ細い通りを抜け、車窓の向こうへ学校の近くとは違う景色が流れ始めた。
俺は隣に座る紬へ小声で確認する。
「窓の外なら撮っても大丈夫だよな」
紬が前の席へ声をかける。
「写真、撮ってもいいですか?」
芳賀さんが窓の外を確認してから、頷いた。
「この辺なら大丈夫です」
俺はカメラを窓へ向ける。写るのは、道路と、並んだ店の軒先と、その向こうに見える山だった。
四つ目の停留所でバスを降りると、そこは古い商店街の端だった。通りの入口には大きな案内板があり、山府銘菓や伝統工芸品を扱う店が、写真つきで紹介されている。
表通りには菓子店や土産物店が並び、平日の夕方でも観光客の姿が多かった。店先で菓子を試食する人、紙袋をいくつも抱えて歩く人、軒先に並べられた工芸品を携帯電話で撮影する人。学校前ほどではないが、ここも俺達が引っ越してくる前に想像していた山府に近い。
「ここの商店街は歴史的な建物が多いことで有名なんです」
芳賀さんが説明してくれる。本当に観光地のど真ん中に住んでいるんだと実感できた。
「重要伝統的建造物群保存地区だって」
案内板を見ていた紬が、何か呪文を唱えた。俺と大竹さんが揃って呆けていると、芳賀さんが説明してくれる。
「重伝建は、歴史的に価値のある町並みを残すために、国が選定した地域のことをいいます」
「芳賀さん、詳しいね」
俺は思わず感心してしまった。
「自分の住む街なので」
「司さん、どうしましょう。わたくし、何も知りませんわ!」
「まあ大竹さんはそうだろうね……」
「お勉強が必要ですわね!」と勇んでいる大竹さんを尻目に、芳賀さんは表通りを少し進んだところで足を止めた。
「先に、頼まれていた物を受け取ってもいい?」
「もちろん。俺達のことは気にしないで」
俺が答えると、芳賀さんは店と店の間にある細い道へ入っていく。
「こちらですの?」
大竹さんが意外そうに尋ねる。
「うん。すぐそこだから」
二人が並ぶと、人がすれ違うには少し狭い道だった。観光客向けの看板も、店の場所を示す案内もない。その先には、低い建物が何軒か並んでいた。
芳賀さんが入ったのは、小さな材料店だった。看板には店の名前だけが書かれていて、何を扱っているのか、外から見ただけでは分からない。
芳賀さんは引き戸へ手をかける前に、俺達を振り返った。
「ちょっと待ってて。すぐ受け取ってくるから」
「俺達は入らない方がいい?」
「狭いし、うちの仕事に使うものしか置いてないから」
「分かった」
俺達は店の外で待つことにした。芳賀さんが中へ入り、引き戸が閉まる。その直前、棚に積まれた紙や箱が見えたが、それ以上はのぞかなかった。
細い道を一本入っただけで、観光客の声はかなり遠くなっている。聞こえるのは、店の奥から響く話し声と、どこかで荷物を動かす音。表通りと繋がっているのに、使っている人が違う。
「ここも商店街なんだな」
俺が言うと、紬が手帳へ書き込む。
「観光客はいない」
「用事がないと、入ってこない道なんだろうな」
大竹さんが辺りを見回す。
「わたくしも、こちらの道へ入ったのは初めてですわ」
「商店街には来たことあるのか?」
「もちろんです。御挨拶や催事の折に、何度も参りました!」
大竹さんが知っている商店街は、観光客から見える部分だけらしい。俺達と大きく変わらない。
「山府にこのようなお店があるとは存じませんでしたわ」
「看板に材料店とは書いてないからな」
「地元の方だけが知る、秘密のお店ですのね!」
「秘密じゃないよ」
背後で引き戸が開き、大竹さんが肩を跳ねさせる。
「お聞きになっていましたの?」
「店の中、静かだから」
声を抑えた意味はなかったらしい。芳賀さんが、平たい紙包みを両手で抱えて出てきた。大きさは画用紙より少し小さい。厚みはそれほどないが、折れないように板で挟まれているらしい。
「お待たせ」
「それ、家の仕事で使うもの?」
紬が紙包みを見る。
「うん。お父さんに、帰りに受け取ってきてって頼まれたの」
「中身を聞いてもいい?」
芳賀さんは少し考えた。
「材料。詳しく説明すると長くなるけど」
「だったら、材料だけでいい」
紬が手帳へ記録する。必要以上に詳しく聞くことはない。
「毎週、受け取りに来るの?」
「いつもじゃないよ。必要なものがある時だけ」
芳賀さんは紙包みを鞄へ入れようとしたが、入らなかった。仕方なく、片腕で抱え直す。
「わたくしがお持ちしましょうか?」
大竹さんが手を差し出す。
「板で挟んであるから、一人で持った方が楽。ありがとう」
「そうですの。では、落としそうになった場合は、いつでもお申し付け下さいませ!」
「落としそうになってからでは遅いだろ」
「落とす前に察知いたしますわ!」
その能力があるなら、他のいろいろなことも察知して欲しい。
「木曜日は私も作業を手伝うから、ついでに頼まれることが多いの」
「学校の帰りに寄れる場所にあるから?」
「それもあるし、お店の人が私の顔を知ってるから」
「名前を言わなくても、何を受け取るか分かる?」
「今日は分かってた。お父さんから連絡してあるから」
紬の鉛筆が止まらない。質問用紙では『木曜日は家の仕事を手伝う』とあり、聞き取りでも、途中で親に頼まれた物を買うことがあると聞いていた。しかし、材料を受け取る時間までが家の手伝いに含まれるとは考えていなかった。家へ着いてから始まると思っていた手伝いは、もう始まっていた。
「何時まで手伝うの?」
「忙しさによるかな。夕飯の前に終わる日もあるし、遅いと九時くらいまで」
「九時?」
「ずっと作業してるわけじゃないよ。途中で御飯も食べるし」
「宿題は?」
「その後」
思わず芳賀さんを見る。
「大変だな」
「慣れてるから。小さい頃からやってるし」
芳賀さんは、特別な苦労を話しているつもりはないらしい。紙包みを抱えたまま、いつもの調子で歩き始める。
「毎週九時までではないのでしょう?」
大竹さんが尋ねる。
「うん。忙しい時だけ」
「でしたら、本日は早く終わるとよろしいですわね」
「今日はたぶん長いと思う」
「どうして分かりますの?」
「これを頼まれたから」
芳賀さんが抱えている紙包みを少し持ち上げる。作業の内容を詳しく知らなくても、必要になる材料で、その日の忙しさは分かるらしい。
「なるほど。御家族からの御依頼そのものが、その日の仕事量を知らせる合図になっているのですね!」
「まあ、だいたいは」
「紬さん、今の説明は重要ですわ!」
「もう書いた」
「どのように?」
紬が手帳を読み上げる。
「この材料の日は、長い」
「わたくしの説明が、随分縮みましたわね……」
「意味は同じだろ」
「情緒が失われております!」
調査の記録に、そこまでの情緒は必要ない。
芳賀さんは来た道を戻り、再び表通りへ出る。今度は観光客の間を抜け、総菜店の前で足を止めた。揚げ物の匂いが、通りまで流れている。
表の売り場には観光客が並んでいた。串に刺した揚げ物や、持ち帰り用の詰め合わせが、写真つきの札と一緒に並べられている。
芳賀さんはその列には加わらず、店の横へ回った。そこには小さな窓口があり、学校帰りの生徒が二人だけ待っている。表の売り場よりも品数は少なく、値段だけを書いた札が壁に貼られていた。
「こちらでも買えますの?」
大竹さんが窓口をのぞく。
「買えるよ」
「表と売ってるものが違うのか?」
「同じ。でも、こっちは持ち帰りだけ」
芳賀さんは紙包みを抱えたまま、空いている手で財布を取り出す。
「制服で来ると、少し安くしてくれるの」
紬が窓口の札を見る。観光客向けの売り場にはなかった、小さな学割の表示がある。
「学生用?」
「学校帰りに食べる人が多いから」
「表へ並ばなくていいんだな」
「観光客の人が多い日は、こっちの方が早いよ」
商店街も、表通りだけを歩けば観光地に見える。だが、その横には地元の生徒が使う窓口がある。同じ店でも、利用する人によって入口が違っていた。
芳賀さんの順番が来る。窓口の中にいた店の人は、彼女の顔を見るなり声をかけた。
「今日は手伝いの日か」
「はい。たぶん遅くなります」
「そうか。じゃあ、もう一つ持っていきな」
芳賀さんが注文した揚げ物を紙袋へ入れた後、店の人は同じものをもう一つ追加した。
「え、いいんですか?」
「忙しくなるんだろ。途中で腹が減るぞ」
「ありがとうございます」
芳賀さんは頭を下げて代金を渡し、俺達のところへ戻ってくる。
紬が紙袋を見る。
「二つになった」
「そこまで書かなくていいから」
芳賀さんがすぐに止める。
「でも、毎週くれるなら日常」
紬は真剣だった。
「毎週じゃないよ。忙しそうな顔をしてる日だけ」
「顔を見て分かる?」
「小さい頃から来てるから。家のことも知ってるし」
紬は少し考えてから、手帳へ書き込む。横から見ると、『店の人が家の仕事を知っている』とだけあった。揚げ物が一つ増えたことは、記録しないらしい。
「それ、今食べるの?」
「一つは今。もう一つは作業の途中で食べる」
「冷める」
「冷めてもおいしいから」
芳賀さんは紙包みを抱え直し、紙袋から揚げ物を一つ取り出した。俺達にも勧めようとしたが、大竹さんが先に首を横へ振る。
「御家族のお仕事に備えるための、大切な食事ですもの。わたくしたちがいただくわけにはまいりません!」
「最初から一人分しかないよ」
「そうでしたの?」
「見れば分かるだろ」
大竹さんは揚げ物の大きさを確認する。
芳賀さんは笑いながら、揚げ物を一口食べる。先程までより歩く速さが少しゆっくりになった。
表通りの端を進みながら、芳賀さんは店の並びを指す。
「あそこの文房具店も、学校で使うものをよく買います」
「学校の近くじゃなくて、ここで?」
「家から近いし、必要なものを言えばすぐ出してくれるから」
「観光客も入るのか?」
「入るけど、奥に普通の文房具があるよ。表に出てるのは山府のお土産ばかりだけど」
店先には、山御杜を描いた絵はがきや、山府の名所を印刷した便箋、伝統工芸の筆などが並んでいる。外から見れば土産物店にしか見えないが、店の奥では地元の生徒がノートや替え芯を買うらしい。
「表向きは観光客のための土産物店。その奥には、地元の暮らしを支えるもう一つの顔が隠されているのですね!」
大竹さんが目を輝かせる。
「普通のノートが置いてあるだけだよ」
芳賀さんの一言で、隠された顔が急に地味になった。
「同じ店の中に、観光客向けと地元向けがあるんだな」
「わたくしの言ったことと同じですわ!」
「でもそういう店、多いですよ」
芳賀さんにとっては当たり前のことだった。
芳賀さんは揚げ物を食べ終え、空いた紙袋を小さく畳む。手元に残ったのは、材料の入った平たい紙包みと、後で食べる分の紙袋。
その二つを抱えて歩く姿は、観光案内誌に載る山府とは結びつかない。だが、本人にとっては、これが木曜日の帰り道だった。




