勘違いと入部
月曜日の放課後。
最後の授業が終わると、教室の中では一斉に帰り支度が始まった。俺は自分の机に座ったまま、鞄から数枚の紙を取り出した。一枚目は、山府研究部の活動内容を簡単にまとめたもの。二枚目には、参加する上での条件を書いてある。毎日参加する必要はないこと。学校外の予定を優先しても良いこと。調査へ参加できない日でも、話し合った内容は後から共有すること。
土曜日、室井君を勧誘すると決めてから、俺と紬でまとめたものだった。説明だけなら、口頭でもできる。
ただ、室井君に「都合のいい日に参加してくれればいい」とだけ伝えた場合、本人がどの程度を都合のいい日だと判断するのか分からない。
稽古を短く切り上げたり、家の予定を無理に動かしたりする可能性もある。そのため、最初から条件を文字にしておくことにした。机の上で紙を揃えていると、スマートフォンが短く震えた。
紬からだった。
『今、行く』
それだけの連絡である。
室井君には、俺から昨日のうちに連絡していた。月曜日の放課後、紬から相談したいことがある。稽古に遅れない範囲で、前と同じ教室へ来て貰えないか。
室井君からは、十分もたたずに返事が来た。
『承知しました。月曜日の放課後、伺います』
相談の内容を聞き返されることはなかった。少しくらい気にしてもよさそうなものだが、室井君は頼まれた時間と場所だけを確認し、そのまま了承している。
やがて、教室に残っていた生徒も少なくなった。
渡部君も鞄を肩へ掛け、俺の机の前を通る。
「今日は帰らないの?」
「人を待ってる」
「誰を?」
「室井君」
渡部君の足が止まった。
「武尊を?」
「ああ」
「何の話?」
「部活に誘おうと思ってる」
渡部君は、俺の机に置かれた紙を見る。
その後、なぜか少し面白そうな顔をした。
「そうなんだ」
「何だよ」
「いや。上手くいくといいね」
「何か知ってるなら言え」
「何も知らないよ。まだ何も起きてないんだから」
含みのある言い方だった。
俺が詳しく聞く前に、渡部君は片手を上げる。
「それじゃ、僕は帰るよ」
「逃げるのか?」
「今日は本当に用事があるんだ」
渡部君はそのまま教室を出ていった。初めて室井君がここへ来た日も、渡部君は急用を思い出したと言って帰っている。今日は本当に、ということは、あの日は嘘だったのだろうか。
それから間もなく、紬が教室へ入ってきた。右手に小さなノートを持っている。
俺の机まで来ると、向かい側の椅子を引いた。
「武尊君は?」
「まだ来てない」
紬は椅子へ座り、ノートを開く。
昨日決めた説明の順番が、箇条書きで書かれていた。
「ちゃんと最初から説明するんだぞ」
「分かってる」
紬は少し考え、ノートへ視線を戻した。
その直後、教室の入口で足音が止まった。
「失礼します」
室井君だった。
教室の中へ入る前に一礼し、それから俺達のところまで歩いてくる。
今日も制服には乱れがなく、姿勢も真っ直ぐだった。
「お待たせしました」
「いや、時間どおりだよ」
室井君は俺の机に置かれた紙を見る。
「本日は、どのようなご相談でしょうか」
「座ってからでいいよ」
近くの椅子を勧めたが、室井君はすぐには座らなかった。先に紬を見る。紬も室井君を見上げたまま、何も言わない。
「……相田さん?」
「うん」
「ご相談があると伺いました」
「ある」
そこで会話が止まった。
紬は人へ何かを頼む時、必要な言葉を頭の中で整理してから話す。室井君も、相手の話が終わるまで待つ。二人とも、自分から沈黙を埋めるタイプではない。
俺が口を挟もうとしたところで、紬がノートを閉じた。
「武尊君」
「はい」
「これからも、私と一緒にいて欲しい」
室井君の動きが止まった。
俺も止まった。
紬は、まだ説明を続けるつもりらしい。閉じたノートの上へ手を置き、次の言葉を探している。しかし、その言葉が出るより先に、室井君が姿勢を正した。
耳が、わずかに赤くなっている。
「……自分で、よろしいのですか」
「武尊君に頼んでる」
「しかし、自分は、そのようなことに不慣れであり……」
「私たちも、初めてだから」
嘘ではない。
部活動を作るのは、俺達も初めてである。ただし、室井君が話しているのは、おそらく部活動ではない。
「それでも、いいのなら」
紬が続ける。
室井君は両手を膝の上で握った。先程まで赤かったのは耳だけだったが、今は顔まで少し赤くなっている。
「自分でよろしければ、謹んでお受けいたしま――」
「待て」
俺は反射的に会話を止めた。室井君がこちらを見る。紬も、なぜ止められたのか分からないという顔で俺を見る。
「室井君。今、何を受けた?」
「相田さんからのお申し出を」
「その内容は?」
室井君が黙る。
「まだ聞いてないだろ」
「先程、一緒にいて欲しいと」
「部活動で、という意味だ」
再び、教室が静かになった。室井君が、ゆっくりと紬を見る。紬はそこで、ようやく自分の説明が途中だったことに気付いた。
「山府研究部の部員として」
「……部活動」
「うん」
室井君の顔から赤みが消えない。むしろ、先程よりひどくなっている。
「何の話だと思ったんだ?」
俺が尋ねると、室井君は視線をそらした。
「自分の早合点です。申し訳ありません」
「だから、何と勘違いした?」
「相田殿」
「何だよ」
「それ以上の追及は、ご容赦いただきたい」
答えたくないらしい。
紬が室井君を見る。
「別のことだと思ったの?」
「はい」
「何だと思ったの?」
室井君は答えられなかった。助けを求めるように俺を見る。俺は別に、室井君を助ける義理はない。ただ、このままでは話が進まない。
「紬。先に部活の説明をしよう」
「でも、気になる」
「本人が答えたくないなら、今はいいだろ」
紬はまだ納得していない様子だったが、無理に聞こうとはしなかった。
「分かった」
室井君が小さく息を吐く。
紬は閉じたノートをもう一度開いた。
「最初から説明する」
「お願いします」
室井君も、ようやく勧められた椅子へ座る。ただし、紬とは机を挟んだ斜め向かいだった。真正面へ座ることは避けたらしい。
俺は机の上の紙を室井君の方へ向け、昨日用意した部活動の概要を説明した――。
「つまりまとめると、俺と紬は、山府研究部という部活動を作ろうとしてる」
「山府研究部」
「まだ正式に認められた部ではないけどな。設立には、俺達を含めて五人以上の部員が必要なんだ」
室井君は紙を手に取り、上から順に読む。
「自分に求められているのは、天山流について説明することでしょうか」
「それだけじゃない」
紬が即座に否定する。
「武尊君は、武道の話しかできないわけじゃない」
「しかし、土曜日も、ほとんど天山流と稽古の話をしていました」
「少しだけど、学校の話もした」
「室井君の生活を調査対象にしたいだけなら、部員になって貰う必要はない。必要な時に話を聞けば済む」
「では、なぜ自分を?」
「一緒に調べて欲しいから」
紬が答える。短い言葉だった。
今度は、室井君も早合点しなかった。紬が続きを話すのを待っている。
「武尊君は、分からないことを適当に答えなかった。できないことも、できないって言った」
土曜日、母が技の実演を頼んだ際も、室井君は危険だからと断っている。
頼まれたことを何でも引き受けるわけではない。
「調べたことを記録に残すなら、そういう人がいた方がいい」
室井君は何も言わない。
紬は、今度こそ最後まで説明する。
「だから、山府研究部に入って欲しい」
ようやく、誤解の余地がない勧誘になった。
室井君は手元の紙を机へ置く。
「学校から、六家の者を誘うよう求められたのですか」
予想していなかった質問だった。俺と紬は顔を見合わせる。嘘をつく必要はない。
「先生から、部活動へ所属していない六家の生徒にも声をかけて欲しいとは言われた」
室井君の表情は変わらない。
「では、自分が室井家の者だからでしょうか」
「違う」
紬が、俺より先に否定した。
「室井家のことは、後から知った」
「最初に紬が室井君へ話を聞いたのは、廊下でぶつかったからだしな」
「それは、あまり好ましい出会いではなかったと思います」
「紬が前を見てなかっただけだから、室井君は悪くない」
「兄さん、その話は終わってる」
室井君は申し訳なさそうに黙り込む。話がそれた。俺は机の紙を指でたたく。
「室井君が六家だと知ったのは、室井君がここへ来てからだ。その前から、紬は話を聞く相手として連れてきてる。土曜日に家へ来て貰って、話を聞いた。その上で、俺達が一緒に活動できそうだと思ったから誘ってる。室井家の名前が必要なわけじゃない」
室井君は、しばらく俺を見ていた。
次に紬を見る。
「参加できる日が限られますが」
「大丈夫。天山流の稽古を休んで欲しいとは思ってない」
「家の行事がある日も?」
「そっちを優先していい」
「活動へほとんど参加できない時期があっても?」
「最初から分かっていれば大丈夫。毎回、全員が集まる部にはしないつもりだから」
室井君は紙に書かれた条件を、もう一度最初から確認した。一行ずつ読む。読み飛ばしている様子はない。
「大会へ出場する必要はありますか」
「山府を調べる部だから、大会には出ない」
「会山戦では、どのような形で競うのでしょうか」
「まだ分からない。そもそも設立できるかも決まってないからな」
「そうでした」
室井君は真剣に頷く。
正式な部でもないのに、既に学校対抗戦の心配をしていたらしい。
「活動中に、技を実演する必要はありますか」
「必要ない」
「天山流の内部に関わることは、家の許可なく話せません」
「話せる範囲だけでいい」
「調査のため、山府市外へ出ることはありますか」
「必要ならあるかもしれないけど、今のところ考えてない」
「休日の活動は?」
「必要ならやるけど、毎週ではない」
質問は続いた。
活動する場所。帰宅時刻。家族へ予定を伝える時期。写真を撮る場合の扱い。集めた記録を誰が読むのか。俺達は、既に決めていることには答え、決まっていないことには決まっていないと伝えた。
室井君は曖昧な返事を嫌がったが、分からないことをごまかすよりは納得できるらしい。全ての質問が終わると、室井君は二枚の紙を重ね、机の上へ綺麗に戻した。
「説明は、以上でしょうか」
「今決まってるのは、ここまで」
「承知しました」
「すぐに返事をしなくてもいいぞ。家の許可も必要だろ。今日は書類を持ち帰って、よく考えてから――」
「入部します」
室井君は迷わず答えた。
「だから、すぐに決めなくていいって」
「既にお受けすると申し上げました」
「それは勘違いして、だろ」
室井君の表情が固まる。
紬が首を傾げる。
「そういえば、何を勘違いしたの?」
「……自分の早合点です」
「それだけでは分からない」
「紬。その話へ戻るな」
「兄さんが言ったから」
それは、そのとおりだった。室井君は少しの間、返答に困っていた。
やがて、姿勢を正して俺達を見る。
「先程の返事に、誤解が含まれていたことは認めます」
「認めるんだ」
「しかし、活動内容を伺った上でも、自分の返事は変わりません」
声は、いつもの落ち着いたものへ戻っている。
「山府での暮らしについて、自分が話したことを、相田さん方は真剣に聞いて下さいました」
室井君は、紬のノートを見る。
「自分にとっては、取り立てて話すほどでもない日常です。それを必要だと言われたのは、初めてです」
天山流の正統後継者。U15武道世界大会、主要九種目個人戦全てで優勝。
室井君について語られる時、周囲が最初に見るのは、その二つなのだろう。俺達も土曜日に、その経歴を知って驚いた。
しかし、山府研究部で知りたいのは、そこではない。室井君本人が普段、特別だと思っていない部分にも、俺達の知らない山府がある。
「自分にできることがあるのなら、参加したいと思います」
室井君は俺を見る。
「無論、家の許可は得ます。稽古や行事との調整についても確認します」
「許可が下りなかった場合は?」
「その際は、改めてご報告します」
返事は相変わらず硬い。
それでも、頼まれたから従うだけでなく、室井君自身が考えた上で答えているように見えた。
紬が小さく頷く。
「待ってる」
その言葉に、室井君の肩がわずかに動いた。
「明日までに、家へ確認します」
室井君は立ち上がり、俺達へ頭を下げた。
「本日は、お声がけいただき、ありがとうございました」
「礼を言うのはこっちだよ」
室井君は二枚の紙を鞄へしまい、稽古へ向かうため教室を出ていった。足音が廊下の向こうへ遠ざかる。
完全に聞こえなくなってから、紬が俺を見る。
「結局、何と勘違いしたの?」
「本人が言いたくないなら、いいだろ」
「兄さんは分かったの?」
「だいたいは」
「教えて」
「嫌だ」
「どうして?」
「兄として教えたくないから」
紬はしばらく俺を見た後、諦めたようにノートを開いた。新しいページの一番上へ、日付を書く。その下へ、『室井武尊君 加入予定』と記した。
「まだ予定だよ」
「うん」
紬は、その横へ小さく括弧を付け加える。
『家の許可待ち』
さすがに、最初の返事が勘違いだったことまでは書かなかった。
翌朝。
教室へ入ろうとすると、扉の脇に室井君が立っていた。登校してきた生徒たちが、少し遠回りをして教室へ入っている。
長身の室井君が姿勢を正して立っているだけで、入口が使えなくなっているように見えた。
「室井君。いつからいたんだ?」
「十分ほど前です」
「中で待てばよかったのに」
「他クラスの教室へ、許可なく入ることは控えました」
昨日は普通に入ってきたはずだが、その時は呼ばれていたから問題ないらしい。室井君は鞄から透明な書類入れを取り出した。
中には、折り目のない用紙が入っている。
「家の許可を得ました」
「もう?」
「帰宅後、すぐに確認しました」
昨日渡した説明の紙も一緒に入っていた。余白には、活動日程の連絡方法や、天山流に関する情報の扱いについて、細かな注意が書き加えられている。
「家からの条件は三点です」
室井君が順番に説明する。
天山流の稽古と家の行事を優先すること。流派内部の情報を、許可なく公開しないこと。校外で活動する場合は、事前に行き先と帰宅予定時刻を伝えること。
どれも、俺達が考えていた条件と大きくは違わなかった。
「それでよければ、入部を認めるとのことです」
「分かった。俺達も問題ない」
「紬にも見せておくよ」
室井君は頷く。その後、書類入れからもう一枚の用紙を取り出した。入部届だった。
「それは、どこで貰ったんだ?」
「昨日あの後、職員室で事情を説明し、受け取りました」
行動が早い。既に本人の記入欄は全て埋められ、保護者欄にも署名がある。所属部の欄には、丁寧な文字で『山府研究部』と書かれていた。
「先生は何か言ってた?」
「相田殿が活動条件を確認した上で、もう一度持ってくるようにと」
「じゃあ、今から行くか」
「お願いします」
俺は鞄を机へ置き、室井君と一緒に職員室へ向かった。担任は自分の机で、朝の連絡事項を確認していた。
俺達が並んで立つと、驚いたように顔を上げた。
「本当に連れてきたのか」
「先生が、六家の人にも声をかけてみろと言ったんでしょう」
「言ったが、最初が室井とは思わなかった」
担任は室井君から入部届を受け取る。記入内容と保護者の署名を確認し、活動条件が書かれた紙にも目を通した。
「室井。活動内容は理解しているんだな?」
「はい。山府で暮らす者の日常を調べ、記録する部活動であると伺いました」
「天山流の稽古との両立は?」
「稽古と家の行事を優先する条件で、許可を得ています」
「相田たちも、それで構わないのか?」
「最初から、その条件で誘っています」
担任はもう一度、三枚の紙を確認した。やがて入部届を机の上へ置き、受領欄へ日付を書き込む。
「正式な設立が認められるまでは、設立予定者として扱う。部が設立できなかった場合、この入部届も無効になる。それでいいな?」
「承知しました」
室井君が答える。
担任は入部届を、設立関係の書類を入れている封筒へしまった。
「これで三人だな」
設立に必要な五人まで、あと二人だ。
「残る六家にも声をかけるのか?」
担任が尋ねる。
「まだ決めてません。人数を揃えるためだけに誘うつもりはないので」
「それがいい。活動内容を理解した上で、本人が希望することが前提だ」
その言葉を聞きながら、俺は室井君を見る。室井君は、いつもと変わらない真面目な顔で立っている。
職員室を出ると、室井君が俺へ向き直った。
「相田殿、今回はお誘いいただき、ありがとうございます。誠心誠意、部活動に取り組むことを誓います」
選手宣誓のようなことを言われてしまった。
俺の返事を確認すると、室井君は頭を下げ、自分の教室へ戻るため廊下を歩き始めた。




