武尊、相田家訪問
その日の夜。
夕食を終えた頃、室井君から連絡が届いた。
『本日は突然お時間をいただき、ありがとうございました。家に確認したところ、今週土曜日の午後であれば、相田家へ伺うことができます。御都合はいかがでしょうか』
同級生から届いたとは思えない文章だった。
母へ見せると、すぐに返事が返ってくる。
「土曜日なら大丈夫。何時でもいいわよ」
「何時でもいい、が一番困るんじゃないか?」
「じゃあ、二時」
室井君へ、午後二時からではどうかと送る。
すぐに返信が来た。
『午後二時に伺います。当日は、何卒よろしくお願いいたします』
俺はその文章を母と紬へ見せた。
「午前中は稽古があるのかな」
「それも本人に聞けばいいわ」
母は満足そうに頷いた。
土曜日。
約束の午後二時まで、まだ二十分近く残っていた。
玄関の呼び出し音が鳴る。
インターホンの画面には、玄関の前に立つ室井君が映っていた。制服姿で、手には紙袋を持っている。俺が玄関を開けると、室井君は一歩下がり、深く頭を下げた。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「まだ二十分前だぞ」
「約束の時刻を過ぎるわけにはまいりませんので、少し早めに参りました」
「真面目だね」
室井君は制服を着崩すこともなく、第一ボタンまで留めていた。平日に学校で会った時より、さらに姿勢がいい。同級生の家を訪ねてきたというより、何かの公式行事へ出席するように見える。
「とりあえず、入って」
「失礼いたします」
室井君は玄関へ入り、靴を脱いだ。揃え直す必要がないほど、最初から左右が綺麗に並んでいる。
それから、手にしていた紙袋を俺へ差し出した。
「つまらないものですが、皆様でお召し上がり下さい」
「菓子折りまで持ってきたのか?」
「人様の家へ伺う以上、手ぶらというわけにはまいりません」
受け取ってみると、見た目よりも重かった。紙袋の中には、山府市内にある老舗菓子店の箱が入っている。
母へ知らせると、慌てて仕事部屋から出てきた。
「いらっしゃい。今日はありがとう」
「初めまして。室井武尊と申します。本日は、お時間をいただきありがとうございます」
「お願いしたのは私の方だから、そんなにかしこまらなくて大丈夫よ」
母はそう言った後、室井君を見上げた。
「だから大きいって言った」
どこからともなく、紬が現れた。
「本当に大きいわね。あ、立ち話も何だから、こっちへどうぞ」
母に案内され、室井君は居間へ入った。
中央のテーブルには、紬のノートと筆記用具が用意されていた。録音や撮影をする場合に備え、スマートフォンも置かれている。
室井君は勧められた椅子の前に立ったまま、母を見る。
「どこへ座ればよろしいでしょうか」
「どこでもいいわよ」
それが一番困る答えだったらしい。室井君は迷った後、出入口に最も近い椅子を選んだ。
全員が席に着く。俺は室井君の向かい側。母はその隣。紬は室井君の横で、既にノートを開いている。
「先に、これをどうぞ」
母が、自分の漫画の限定レアグッズをテーブルの上に置いた。
「興味あるか分からないけど、高校生ならこれがいいかなって。結構貴重なものらしいわ」
「頂いてよろしいのですか?」
「うん。今日来てくれた記念に」
「それでは、頂戴いたします」
その後、母は皿へ焼き菓子を取り分ける。室井君は自分で持ってきた菓子を勧められても、すぐには手を伸ばさなかった。
「室井君も食べて」
「自分がいただいてもよろしいのでしょうか」
「持ってきた本人だけ食べない方が不自然でしょう?」
「では、いただきます」
ようやく室井君が焼き菓子を一つ取った。食べる前にも、きちんと頭を下げる。
その動作を見ていた紬が、ノートへ何かを書いた。
「もう取材は始まってるの?」
母が尋ねる。
「始まってる」
室井君の手が止まった。
「何か、不適切なことをしましたか?」
「違う。気にしないで」
紬が答える。
「普段どおりにして」
「これが普段どおりです」
「なら大丈夫」
何が大丈夫なのかは分からないが、紬は納得したらしい。
母の聞き取りは、山府そのものではなく、室井君の一日についての質問から始まった。
「朝は、学校へ行くまで何をしているの?」
「起床後、身支度を整え、朝の稽古を行います。その後、朝食を取り、登校します」
「朝も稽古をするの?」
「はい」
「毎日?」
「特別な事情がない限りは」
紬の鉛筆が動く。
母が続けて尋ねる。
「学校へは、一人で行くの?」
「日によります。中学に妹もいるので、家の者に送って貰う場合もありますが、基本的には一人で徒歩通学です」
「通学中に、どこかへ寄ることは?」
「ありません」
「帰りは?」
「寄り道をせず、帰宅します」
「帰ったら、また稽古?」
「はい」
先日、教室で聞いた答えと同じだった。
母は質問の角度を変える。
「昼休みは、誰と過ごしているの?」
室井君は少し考えた。
「同じ教室の者と話をすることもありますが、昼食を済ませた後は、午後の授業の準備をすることが多いです」
「友達と遊びに行ったりは?」
「放課後に、という意味でしょうか」
「放課後でも、休みの日でも」
「ほとんどありません」
「行きたくないから?」
「そのような誘いを受けた場合は、家の予定を確認してから返答します。ただ、稽古や家の用事と重なることが多いため、お断りすることが多くなります」
「誘われないわけじゃないのね」
室井君はすぐに答えなかった。
「正直に申し上げると、あまり誘われません」
悪いことを聞いたかと思っていると、室井君が補足した。
「興味を持つことはあります」
「どんな場所にいきたい?」
「前回は、同じ教室の者から、新しくできた武道具店へ行こうと誘われました」
「行ったの?」
「家の懇意にしている店があるため、お断りしました」
「残念だった?」
「家で使う道具にはスポンサー指定がありますので」
答えにくいのか、直接の回答は避けたようだ。
母は紬のノートをのぞき込んだ。
「今の、どう書いた?」
「行きたかった可能性がある」
「推測を事実みたいに書かないでね」
紬は一度鉛筆を止め、その横へ小さく疑問符を書き足した。
「武尊君。行きたかった?」
紬が直接尋ねる。
室井君は少し迷ってから、頷いた。
「はい。どのような品が置かれているのか、見てみたいとは思いました」
紬が疑問符を消す。
「学校の部活動には入ってないのよね?」
「はい」
「朝と放課後にしている稽古は、学校とは関係ないの?」
「関係ありません。室井家で行っているのは、天山流の稽古です」
聞き慣れない言葉が出てきた。俺と紬が顔を上げる。母だけは、名前に覚えがあるらしく、眉を寄せた。
「天山流って、武道の?」
「はい」
「山府に本部がある、あの天山流?」
「本部という呼び方が適切かは分かりませんが、総本山に当たる道場は山府にあります」
「室井君の家で伝えてるの?」
「はい。祖父が現家元です」
母が持っていたペンを置いた。
「じゃあ、室井君は家元のお孫さん?」
「はい」
「武道を習っているというより、家のものとして稽古しているのね」
「そのとおりです」
室井君は、家族構成を説明するのと変わらない調子で答えた。自慢している様子も、隠そうとしている様子もない。本人にとっては、朝に稽古をすることと同じくらい、当たり前の事実なのだろう。
「将来は、室井君が家元になるの?」
「現時点では、自分が天山流の正統後継者と定められています」
「正統後継者」
母が、その言葉を繰り返す。俺は学校で聞いた六家の話を思い出した。山府に古くから続き、今もこの土地で重要な役割を持っている六つの家。
室井家が六家の一つとして扱われている理由は、おそらく天山流にある。
「それって、学校のみんなも知ってるのか?」
俺が尋ねると、室井君は頷いた。
「特に隠してはいません」
「だから、室井君が教室に来た時、みんなが見てたんだな」
「それは、自分には分かりません」
本人は周囲の反応を、あまり気にしていないらしい。
母は新しいページを開く。
「武道の大会に出たことはある?」
「あります」
「どのくらいの大会?」
「中学一年の時、U15武道世界大会へ出場しました」
「世界大会⁉」
母の声が少し大きくなる。
「はい」
「何の種目で?」
「主要九種目の個人戦です」
「九種目全てに出たの?」
「はい」
室井君にとっては、先程までの質問と同じように答えられる内容らしい。
「結果は?」
「九種目全ての個人戦で、優勝しました」
部屋が静かになった。
紬の鉛筆だけが、紙の上を走っている。
数秒遅れて、その音も止まった。
「九種目って、なに」
紬が質問する。
「剣道、柔道、弓道、空手道、薙刀道、合気道、拳法道、相撲道、銃剣道です」
室井君はすらすら答える。
「全部?」
母が確認する。
「はい」
「九種目、全部で一位?」
「はい」
「世界大会で?」
「はい」
室井君の答えは変わらない。
母が、俺へ視線を向ける。
「司。知ってた?」
「今、初めて聞いた」
「紬は?」
「知らなかった。弘人君は、六家の一人としか言ってなかった」
俺は、教室から逃げるように出ていった渡部君を思い出す。彼は、室井君が何者なのか知っていたはずである。知っていたからこそ、何も説明せず、俺達だけを残していったのかもしれない。
「室井君」
母が、改めて室井君を見る。
「もしかして、もの凄く強い?」
「強いかどうかは、相対的なものです」
「U15武道世界大会の主要九種目個人戦全てで優勝した人より強い高校生は、そんなにいないと思うけど」
「当時の大会で、その結果だったというだけです。現在も同じ結果になるとは限りません」
否定しているようで、否定になっていない。
紬がノートへ書いた九という数字を丸で囲む。
「普通の高校生を連れてくるつもりだったんだけど」
俺が言うと、紬が首を横へ振った。
「武尊君は高校生」
「普通かどうかの話をしてる」
「普通の範囲を決めてない」
確かに、母は地元の高校生を捕まえてきて欲しいとしか頼んでいない。高校生であり、山府で生まれ育っているという条件は満たしている。
その結果、天山流の正統後継者で、中学一年時にU15武道世界大会の主要九種目個人戦全てで優勝した武道家が連れてこられた。条件の決め方が大まかすぎた。




