↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/41

山府って

 昼食を済ませた後、俺は隣の席にいる渡部君へ声をかけた。

 渡部君は弁当箱を片づけ、午後の授業で使う教科書を机の中から出しているところだった。

「渡部君、少しいいか?」

「いいよ。どうしたの?」

「山府について聞きたい」

 渡部君の手が止まる。

「この前の六家の話?」

「それとは別だ」

 俺は、質問の理由から説明することにした。

「俺の母親、漫画を描いてるんだ」

「そうなんだ」

 渡部君は驚いた様子を見せたが、誰なのかまでは尋ねなかった。

「次に描く作品の舞台を山府にするつもりらしい。それで、この街のことを知るために引っ越してきた」

「相田君たちが、急に山府へ来た理由はそれ?」

「だいたいは。母さんは、住んでみれば何か思いつくと思っていたらしい」

「思いついたの?」

「驚くほど何も」

 渡部君が口元を緩める。

 母が聞けば反論するかもしれないが、本人が言っていたことなので間違いではない。

「昨日、地理部から山府についての報告書を借りた」

 俺は机の中から分厚い冊子を見せる。

「この分厚さなら、かなり詳しく書いてあると思うよ」

「詳しすぎて、漫画の資料には向かなかった」

「そうなの?」

「母さんが知りたいのは、山府の人口や産業じゃなくて、ここで暮らしている人が、この街をどう見ているかなんだ」

 渡部君はすぐには答えず、机の上で両手を組んだ。

「それで、僕に?」

「渡部君は山府で生まれ育ったんだろ?」

「そうだよ」

「だったら聞きたい。山府って、どんなところ?」

 質問を口にしてから、随分広すぎる聞き方だったと気付く。湘南はどんな場所かと尋ねられても、俺だって一言では答えられない。

 渡部君も困ると思った。しかし、彼は笑わなかった。窓の外へ目を向けしばらく考えている。

 校庭の向こうには、校舎と同じ敷地にあるとは思えないほど大きな道場が並んでいる。そのさらに奥には、山府の市街地を囲む山々が見えた。

 渡部君は視線を戻す。

「一言で言うなら、魔境かな」

「魔境?」

 その瞬間、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。教室の中にいた生徒たちが、一斉に自分の席へ戻り始める。渡部君も椅子を前へ向け、机の上に教科書とノートを並べた。

「待ってくれ。それはどういう意味だ?」

「もう授業が始まるよ」

「一言で済ませていい答えじゃないだろ」

「それは僕もそう思う」

 教員が教室へ入ってくる。これ以上話を続けることはできなかった。

 日本有数の観光都市。世界文化遺産に登録された歴史ある寺社仏閣と、古い街並み。高原地域には、高級リゾート地が広がっている。それが俺の知っている山府だった。

 少なくとも、旅行雑誌にも地理部の報告書にも、この街が魔境だとは書かれていなかった。


 放課後になっても、紬から連絡はなかった。生徒たちが、それぞれの部活動へ向かうため教室を出ていく。俺は鞄を机の上へ置いたまま、スマートフォンを確認した。

 朝に送った連絡には既読が付いている。

『母さんに頼まれた件、無理に誰かを連れてくる必要はないからな』

 返事はなかった。

 昼休みにも放課後にも、新しい連絡は届いていない。何も起きていないのなら、それでいい。ただ、紬の場合、何かを始める前には相談するのに、始めた後は結果が出るまで連絡をしないことがある。既に誰かへ声をかけている可能性もあった。

 俺も待っているだけではなく、話を聞ける相手を探した方がいい。教室を見回すと、渡部君はまだ席にいた。昼休みの続きを聞くことも考えたが、その前に別の用件を思い出した。

 先日から、いろいろな人から説明を濁されている六家のことだ。担任は、まだ部活動へ所属していない六家の生徒がいると言っていた。新しい部を作るなら、受け入れることも考えて欲しいとも頼まれている。

 山府に古くから続く家の人間なら、一般的な高校生とは違っても、この土地について詳しい可能性は高い。とにかく一度、会ってみようと思った。

 俺は渡部君の机へ向かった。

「渡部君」

「今度は何さ?」

「この前話してた六家に会いたいんだけど、その六家の同級生って、誰か紹介してくれないか?」

 近くにいた生徒の動きが止まった。鞄へ教科書を入れていた生徒。数人で部活動の話をしていた生徒。教室を出ようとしていた生徒まで、一度こちらを見る。

 すぐに視線は外されたが、それまでと比べて、教室内の話し声が明らかに小さくなった。

 俺は何かを間違えたらしい。

「六家の人に、何か用事があるの?」

 渡部君は平然と尋ねる。

「昼休みに話してた、山府について話を聞きたい。古くからこの街にいる家なら、何か知ってるかと思って」

「なるほど」

 渡部君は手で口元を隠した。

 その目が、わずかに笑っていた。

「何かおかしいか?」

「いや。相田君らしい頼み方だと思っただけ」

「どのあたりが?」

「そのうち分かるよ」

 また、すぐには説明しない答えだった。

「分かった、ちょうど今日は暇だから、一人連れてこられると思う」

「助かる」

「僕も、ぜひ紹介したいと思っていたところなんだ」

 渡部君は鞄を閉じた。

 昼休みの魔境という言葉も含めて、何かを面白がっているように見える。その時、教室の入口に近い場所から、再びざわめきが広がった。

 先程よりも大きい。

 俺が振り返ると、開いた扉の外に紬が立っていた。その隣に、一人の男子生徒がいる。

 最初に目へ入ったのは、その身長だった。教室の扉が低く見えるほど背が高い。短く整えられた髪と、凛々しい顔。制服の上からでも、肩や腕が鍛えられていることが分かる。ただ体が大きいだけではない。背筋が真っ直ぐ伸び、両足へ均等に体重を乗せて立っている。

 周囲にいる生徒が道を空けていることもあり、教室へ入ってきただけで、そこにいる全員の視線を集めていた。

 紬は、そんな男子生徒を連れたまま俺の机へ来た。

「兄さん」

「どうした?」

 紬が隣の男子生徒を見る。

「捕まえてきた」

 また教室が静かになった。

 俺は、紬と男子生徒を交互に見る。

 どう見ても、紬が捕まえられる側だった。

「紬、まさかだけど、無理やり連れてきたわけじゃないよな?」

「違う」

 そこで、隣に立っていた男子生徒が一歩前へ出た。

「自分の意思で参りました。無理に連れてこられたわけではありません」

 低く、よく通る声だった。

 俺に向かって深く頭を下げる。

「室井武尊《むろいたける》と申します。本日は、相田さんからお話を伺い、参上しました」

 同じ一年生のはずだが、同級生へ挨拶する言葉には聞こえない。

「俺は相田司。紬の双子の兄です」

「承知しております」

 名乗る前から知られていた。紬が話したのだろう。

 そのやり取りを聞いていた渡部君が、俺の隣から顔を出す。

「あ、ちょうどいいや」

「何が?」

「彼が六家の一人だよ」

 俺は室井君を見る。

 室井君は渡部君の言葉を否定しなかった。

「室井君が?」

「ああ。僕が紹介する手間も省けたね」

 渡部君は鞄を肩へ掛ける。

「それじゃ、僕は急用を思い出したから行くよ」

「今、思い出したのか?」

「本当に急ぐ用事は、急に思い出すものだよ」

 俺達が返事をする前に、渡部君は教室を出ていった。

 足取りが妙に速い。

 室井君は去っていく渡部君の背中を見ていたが、呼び止めることはしなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。