回想
翌日の昼休み。
弁当を準備しながら、昨夜のことを思い出していた。母は昨夜、報告書を閉じた後に、自分の求める情報を説明していた。
「資料が悪いわけじゃないのよ」
母は、分厚い報告書の表紙を手のひらで軽くたたく。
「これを作った子たちは、もの凄く真面目に調べたんだと思う。山府に何人住んでいて、どんな産業があって、人や物がどう動いているのか。街の全体像を知るには、凄く役に立つ」
「でも、漫画の資料には使えない?」
俺が尋ねると、母は難しい顔で頷いた。
「正確に言えば、これだけでは使えない、かな」
紬は母の前から報告書を引き寄せ、先程母が閉じたページを開いた。
地区ごとの人口を比較した表が載っている。
「何が足りないの?」
「人」
「聞き取りも載ってる」
紬が巻末に近いページを示す。買い物や通勤について、市民へ聞き取りを行った結果が短くまとめられていた。
「そういう意味の人じゃないのよ」
母は椅子の背もたれへ体を預け、天井を見上げた。
「この報告書を読めば、山府の人がどこで買い物をして、どの交通手段を使っているかは分かる。でも、その人がどうしてその店を選んだのか、その道を通る時に何を考えているのかまでは分からないでしょう?」
「そこまで必要なのか?」
「物語に出てくる人は、人口分布の表を見ながら生活しないからね」
それはそうだった。
「例えば、山府には大きな神社や古い建物がたくさんあるでしょう?」
母は、取材で集めた写真を一枚取り上げた。石造りの大きな鳥居と、その奥へ続く参道。写真の端には大勢の観光客が並んでいた。
「観光客なら、ここへ来たら写真を撮ると思う。でも、地元の高校生にとってはどうなのかしら。毎日見ているから何とも思わないのか、待ち合わせ場所として使うのか、観光客が多い時間は避けるのか」
「人によって違うと思う」
「その違いが知りたいのよ」
母は写真をテーブルへ戻した。
「雪の日だってそう。交通機関がどう変わるかは調べれば分かる。でも、山府の高校生が雪の朝に何分早く家を出るのか、靴をどうするのか、学校へ着いて最初に何をするのかは、ここで暮らしている人に聞かないと分からないでしょう?」
「漫画に、登校時間まで描くの?」
「描くかどうかは、話が決まってから考えるの」
まだ話が決まっていないことを、堂々と主張された。
「つまり、母さんが知りたいのは、山府についての表面だけの情報じゃない?」
「表面の情報も必要。でも、それだけじゃ人物が動かないのよ」
母は紬を見る。
「そうね、まずは高校生から見た山府が知りたいわ。二人の学校、地元の子が多いんでしょう?」
「ほとんど地元」
「だったら、誰かに話を聞いてきてくれない?」
紬は少し考えた。
「何を聞けばいいの?」
「山府がどんなところか。普段どこへ行くのか。学校が終わった後や、休みの日に何をしているのか。そのあたりからでいいわ」
母はそこで、軽い調子で付け加えた。
「地元の子、誰か捕まえてきて」
紬が頷く。
「分かった。明日、捕まえてくる」
そのまま椅子から立ち上がり、自分の部屋へ戻っていった。
「意味分かってるわよね。大丈夫よね?」
「だといいけど……」
俺は、紬が無茶をしないか心配だった。




