6.いらないなら貰っちゃうね(2)
クラリスが責務を怠ったから追放? ……そんなはずがない。だって、クラリス・アインベルクは誰もが認めるほど優秀な王太子妃なのだから。
幼い頃から次期王妃となるための英才教育を受け、礼儀作法はもちろん、政治、外交、経済、法律まで徹底的に学んできた。
その知識は王城の文官たちですら舌を巻くほどで、十五歳になった頃には、すでに実務へ参加していたと聞いている。
そして今では、王城の政務はクラリスを中心に回っていると言っても過言ではなかった。
各地の報告書に目を通し、優先順位を決め、各部署へ指示を出し、必要な案件をまとめて王太子へ提出する。
会議の日程調整から貴族との折衝、予算の確認まで、そのほとんどをクラリスが担っていた。
それに対してアルフレドがやっていることと言えば、クラリスが整理し終えた書類へ目を通し、最後に承認の印を押すくらい。
王太子としての功績はすべてアルフレドのものになっていたけれど、その土台を築いていたのは間違いなくクラリスだった。
だけど、それだけではなかった。
「アルフレド様もそう思いになりますか。実は我々も困ったことになったのです」
「……なんだと? どういうことだ」
「クラリスが体調不良で一日休んだせいで、公爵家の実務が滞って、損害が出たんです。まさか、我が娘がこれほどまでに怠慢だとは思いませんでした」
「クラリスが一日休んだせいで、商談も破断になって、不利益ばかり起こしたんですよ。公爵家に損害を与えるなんて、なんて親不孝者なの!」
……クラリスって、王城の仕事だけじゃなくて、公爵家の仕事まで請け負っていたの? しかも、一日休んだだけで仕事が回らなくなるなんて……。他の人たちは、今まで何をしていたの?
私は意識をクラリスへ向け、その様子を詳しく観測した。
「……っ」
思わず息を呑む。その姿は、私が知っている気高く美しい公爵令嬢とは別人だった。
目は光を失い、何も映していないように虚ろだった。目の下には濃い隈が浮かび、長い間まともに眠れていないことが一目で分かる。
頬は痛々しいほどこけ細り、首筋や鎖骨は骨の形が浮き出るほど痩せていた。公爵令嬢らしく華奢だった身体は、今では折れてしまいそうなほど細くなっている。
立っていることさえ辛いのか、体は小刻みに震え、今にも膝から崩れ落ちそうになっている。それでも必死に背筋を伸ばき、気丈に立ち続けていた。
こんなのは努力家なんて言葉では済まされない。働かされ続け、休むことも許されず、心も体も限界を超えて壊されかけている。
それなのに、そのすべての責任を押し付けられ、婚約まで破棄されようとしているなんて……。
「……酷い」
クラリスがここまで痩せ細り、眠る時間すら削って働いていたことを知らない? 誰一人として止めず、助けもせず、限界まで働かせ続けたってこと?
ここまでクラリスを酷使していたなんて……アルフレドも、アインベルク公爵夫妻も――絶対に許せない。
「これほどまでに王家へ迷惑を掛けるとは、公爵家としても看過できん。クラリス、お前には失望した」
アインベルク公爵が冷たく言い放つ。続いて、公爵夫人も眉をひそめた。
「一日くらい無理をしてでも働くべきだったのです。王太子妃となる者が、その程度の覚悟も持ち合わせていなかったなんて……情けない子です」
二人の言葉に、アルフレドは満足そうに口角を吊り上げた。
「聞いたか、クラリス。お前の両親ですら、お前を認めていない。お前は王家にも、公爵家にも不要な存在だ! 追放だ!」
「追放です!」
「追放だ!」
三人の声が重なり、執務室へ響き渡る。だけど、その言葉を浴びても、クラリスは取り乱さなかった。
いや、取り乱す気力すら残っていなかった。俯いたまま、小さく肩を震わせると、乾き切った唇がゆっくりと動く。
「……分かりました」
掠れた声。感情も、怒りも、悲しみも、何も残っていない。すべてを諦めた人だけが出せる、小さな返事だった。
こんなにも頑張ってきた人が、最後に与えられた言葉が追放だなんて。
だけど次の瞬間、私は思わず笑みを浮かべていた。
「それなら、もう遠慮する必要はないよね。だって、みんなが『追放』って認めたんだもん」
私は口元を緩めたまま、右手をそっと前へ伸ばす。
「じゃあ――私が拾っても大丈夫ってことだよね」
ここは、収納魔法を裏返した世界。全てが、私の手の内にある。
その内側にいるクラリスへ、私は意識を向けた。そして、力を行使すると――王城のアルフレドの執務室から、クラリスの姿がふっと掻き消える。
「なっ!?」
「クラリスが消えた!?」
「ど、どこへ行ったのだ!」
三人が驚愕の声を上げる。だけど、今はそっちに構っている暇はない。私は意識を自分の体に戻した。私の目の前には、一人の少女の姿が。
くすんだ銀色の長い髪。やつれきった細い身体。今にも倒れてしまいそうなほど弱々しいその姿は、先ほどまで王城にいたクラリス・アインベルク、その人だった。




