呪詛返し:複合視点
【オルタンス:サイド】
「お母さま。お帰りなさい」
「あらあらサンディー。まだ寝ていなかったのね」
「だって、お出迎えしたかった」
「嬉しいわ。わたしの可愛いサンディー」
波止場の宿屋に到着すると、わたしはロビーでサンドリーヌに出迎えられた。
雨で濡れたコートを脱ぎ、両手を大きく広げてハグする。
「ノエル姉さまは、居ない?」
「ノエルは王子さまと結婚するの……。わたしたちと一緒には行けないのよ」
「つまんない」
「そんなことを言わないの……。新しいお屋敷に慣れたら、王子さまとノエルをお招きしましょうね」
「うん。絶対だよ」
子供騙しの口約束だ。
いけないことだとは判っていても、優先順位がある。
現状で一番大事なのは、わたしたちが速やかに、この国から脱出すること。
サンドリーヌに駄々を捏ねられては堪らない。
「サンディー、明日はお船に乗るのよ。さあ……。ヨイ子はベッドで、お母さまを待っていてちょうだい」
「はぁーい」
バカ息子と嫁に虐げられていたサンドリーヌもゆっくりと回復し、他人の視線を避けて絵ばかり描くのではなく、言葉によるコミュニケーションを取るようになった。
画用紙を埋める絵も、転がる死体や燃え盛る屋敷ではなく、舞い踊る精霊やお花畑に変わった。
この娘を邪教集団との争いには巻き込みたくはない。
ノエルへの罪悪感がないと言えば噓になる。
でも、あの子はアホで神経が図太い。
親に捨てられても平気だろう。
ただ、あの子を置き去りにするのが毒蛇の巣穴だってところに、少しだけ申し訳なさを感じる。
「いやいや、あれは不死身だし。心配するだけ馬鹿らしいわ」
とっくに三十路を過ぎているのだし。
男の子なんだから、恨み言なんて聞いて上げない。
素敵な王子さまを用意してあげた親心に、感謝して欲しいぐらいだわ。
「男の子なんて母親の肉盾になれば、それでいいのよ!」
あの日、あの場所で、ユストゥス教団の導師と面倒くさい因果を結んでから、わたしの人生は捻じ曲げられてしまった。
余りにも傲慢な修道僧たちの態度に憤慨し、ユストゥス教団の滅亡を予言したのが運の尽き。
今思えば、それらすべてが大いなる意思のお膳立てであったのだろう。
わたしは気づかぬまま導かれ、嵌められたのだ。
だって……。
あの運命的な分岐点を予知夢に見なかったことからして、不自然ではないか。
あれ以来、夜ごと予知夢の中で無残に殺され、一時は本気で対人恐怖症に陥った。
楽天的で陽気な性格の乙女は、疑り深く容赦のない女へと成長した。
頭の軽そうな伯爵夫人を演じるのは、さほど難しくなかった。
ああっ……。
わたしの可愛らしさは、どこへ行ってしまったのだろう?
幾つもの袋小路を避け、微かに未来へと命を繋ぐ分岐を選び取り、遮二無二なって生きた前半の三十年。
そしてノエルを生み、唯一の正しい道筋を辿り続けた、後半の三十年。
「この六十年間は長かった」
通算六十年間が、ただ一度の『失言』を清算するために費やされた。
そして今夜、漸く、あの忌々しい因果を断ち切ることができた。
息子のノエルに全てを託し、わたしは新たな人生の船出を迎えるのだ。
「肩の荷が下りるって、本当に素晴らしいことね」
雲の切れ間から、月が見える。
いつの間にか雨は上がっていた。
海の彼方に顔を覗かせた、美しい満月。
水面に反射する青白い光は、わたしが向かう幸せな未来への道標を想わせる。
「わたしの人生は、ここから再スタートよ」
明日になれば、コスタ商会の会頭ジョルジョ氏が迎えに来てくれる。
わたしたちは海運王の招きに預かり、遠い南国で楽しい新生活を始める。
暗殺者に怯えることもなく、美しいドレスで着飾り、サンドリーヌと散歩やショッピングに明け暮れるのだ。
王家の相談役……?
そんなものは、息子のノエルに任せた。
「国家権力とか、融通が利かなくて煩わしいのよ」
これ以上の滅私奉公は、誰に懇願されても首を横に振らせてもらう。
どこの国が消えて無くなろうと、わたしの知ったことではない。
もう二度と、命懸けの綱渡りなんてしたくなかった。
心底、こりごりなのだ。
【ファビアン:サイド】
この日のために用意しておいた最高の美酒と、贅沢な料理を並べさせたテーブル。
普段は健康に気を使い、欲に任せた暴飲暴食を避け、規則正しい生活と適度な運動を自分に課してきた。
全ては王になる日を視座に入れてのことだ。
だが、今日だけは特別だった。
美しい生娘どもを傍近くに侍らせ、国王崩御の鐘を今か今かと待ち侘びる。
そう。今夜は、ジェラールに放った呪詛が成就する、祝うべき刻。
ユストゥス教団の導師ソレルに、呪詛の手ほどきを受けたあの日から、待ち続けた特別な夜。
約束された、特別な夜なのだ。
王都ロワイヤルに鐘の音が響いたなら、まずは祝杯を挙げ、生娘どもを一人ずつ犯す。
あられもない姿で傅く生娘どもは、借金まみれの貧乏貴族どもから買い取った、清楚な令嬢たちだ。
既にドレスを脱がせ、コルセットと靴下だけの姿にさせてある。
「良い格好だ。生まれがどうあろうと、売られてしまえば単なる奴隷にすぎん。なあ、アニーよ。たしかぁー。もと子爵令嬢……、だったか?」
「クゥゥゥーッ!」
恐怖と恥辱に震える生娘どもの姿が、儂を昂らせる。
怒りの表情を見せたところで、立場は変わらん。
オマエたちは無力なのだ。
「グヒヒヒ……。愉快でならんわ!」
儂は指に付着した料理の油を跪く娘の乳房で拭き取った。
乳房を汚された娘は、驚きと悔しさのあまり声も出せずに泣いているが、奴隷の立場に慣れてしまえば、この味わい深い反応も失われる。
儂を悦ばせる生娘どもの惨めで可哀想な様子は、今しか観賞できない貴重な景色だった。
「まあ……。鮮度が落ちたら、捨てるだけよ」
貧乏貴族どもなら、吐いて捨てるほど居る。
貧乏貴族どもの娘も、また然り。
この生娘どもには、大切に扱うほどの価値などない。
幾らでも交換が利くのだ。
人は贅沢に慣れる。
人的資源の浪費ともなれば、一国の王でもなければ忌避すべき愚行だ。
恨みを買い、嫉妬され、やがて足元をすくわれる。
儂のように優れた異能力者を除いて……。
「しかし、遅いな……。兄上は、まだ生きておるのか?」
今頃、ジェラール王の枕元には、その最後を見届けるためにフィリップやアルベールが張り付いているだろう。
儂が放った呪詛は、ジェラール王の息の根を止めても終わらぬ。
ジェラール王を贄として、新たな呪いに変異する。
そして王子たちを意欲なき廃人へと変える。
「それは、生きたまま魂を朽ちさせる呪いよ」
太古の失われた呪術だ。
冥界の王を名乗った偉大な死霊術師、ケルノノスが編み出した秘術である。
ユストゥス教団の学者たちが、古文書より発見した呪法なのだ。
「フフフッ……。誰にも、あの呪いを解くことはできぬ!」
儂は料理に視線を向け、たっぷりとソースの掛かった肉を手に取った。
次は、この汚れた指をどこに擦り付けてやろうか?
【カルマ君(冥界の王):サイド】
この世は皮肉に満ちている。
死王エクリプスの寵愛を一身に受け。
生と死の境界面を見るセンスと、その仕組みに干渉する技術を身に着けた私は、かつて死者の軍勢を率い、小さな国を興し、自ら冥界の王を名乗った。
だが私の国は建国百周年記念を間近に控え、あっけなく滅ぼされた。
無敵を誇る死者の国に、敗北の二文字を刻みつけたのは、強さの欠片も感じさせない華奢な娘だった。
色なし姫リリィである。
色なし姫リリィは、月の女神イーリアの加護を得ていただけでなく、大いなる意思の支持も受けていた。
大いなる意思は神々の個的な都合より、精霊たちの事情を優先させるようだった。
色なし姫リリィは、王城の地下に封じた精霊の解放を要求してきた。
だがそれは、私にとって受け入れられない要求であった。
王城の地下に封じた水鏡の精霊は、死者の身体と魂を結びつけるために不可欠な存在だったからだ。
色なし姫は猛り狂い、月の女神イーリアから授かった覇道の剣を振るった。
城壁が崩れ、死者の軍勢は薙ぎ払われ、私が編み出した呪縛の術式はズタズタに斬り刻まれた。
強力な封印から解放された水鏡の精霊は、色なし姫リリィと即座に融合。
アンデットの兵士たちは魂との繋がりを失い、次々と倒れ伏した。
私の敗北は必然と言えた。
色なし姫を背後で操る神々が、強すぎたのだ。
死王エクリプスが望んだ生者と死者の共存する世界は、大いなる意思に否定された。
死王エクリプスは大切な信者を一人残らず失い、なす術もなく迷宮に堕ちた。
私は残された力で自我を呪物に封じ、迷宮内でエルダーリッチとなった。
転生さえ許されず、永遠に囚われの身である。
そう諦めていたところに、色なし姫が現れた。
色なし姫はリリィでなく、ノエルと名乗っていた。
ノエルは幾度となく迷宮を訪れ、ついには私の自我が封じられた呪物を持ち去った。
それだけでなく、私を精霊に作り変え、新しい身体まで与えてくれたのだ。
昨日の敵が、今日は主君だ。
皮肉な話だが、これはもう報いるしかあるまい。
ノエルが敵対している相手は、邪竜の君だった。
これまた、私が迷宮でうらぶれているときに、滅ぼしてやりたいと憎み続けていた相手だ。
邪竜の君は、精霊たちの霊気を食う。
水鏡の精霊を捕らえ、拘束していた死王エクリプスより、始末に負えない。
死王エクリプスを叩き、邪竜の君を放置するのは片手落ちだろう。
エルダーリッチとして迷宮内を漂いながら、何度も何度も、その件について頭を悩ませ、恨み続けて来たのだ。
これは願ってもない誘いである。
主導権を持つのが色なし姫のノエルなのか、それとも大いなる意思なのか……?
そんなことは関係ない。
何故なら。
〈私が関与したいと欲するからだ!〉
私は私の契約者となるはずの男から漏れだす、命の一滴を掬い取った。
最後の一滴だ。
〈なるほど……〉
臨終を迎えた男から、馴染みのある呪詛が溢れだした。
と同時に、私の思考が怒りに染め上げられる。
それは私が長年の研究を経て、ようやっと完成させた究極の呪術だった。
〈邪竜のクソどもは、私の成果を横取りし……。罪に問われることもなく、こそこそと立ち回り、好き勝手に使いまくっている訳だ〉
自分が作った武器で、攻撃される。
これほど腹立たしいことがあろうか……。
私は木乃伊のように瘦せこけた男から溢れだす、赤黒い霧を吸い上げた。
死霊術師でエルダーリッチだった私に、呪詛は効かぬ。
むしろ活力の源だ。
〈思い知らせてくれん!〉
私は呪詛が放たれた方角に、視線を向けた。
しかし……。
この姿は、どうにかならんものか?
痩せこけた遺体の枕元に立つ私は、人の頭ほどしか背丈がない黒い呪術人形だった。
しかも全身に目が付いている。
【因果を見通す目】と名付けた魔道具から思いつき、このデザインを選んだのか……?
ふざけた名前に、この妙ちくりんな風体。
どうにもこうにも気に食わん。
〈我が主のセンスには、従えぬな!〉
急ぎの用事が終わり次第、色なし姫ノエルに抗議せねばなるまい。
〈せめてもう少し、賢そうな姿にして貰おう〉
我は死霊術師ケルノノス。
冥界の王である。




